オーロラの雨(彼女の記憶)

帆尊歩

第1話  彼女の記憶

「なんかさ、オーロラって雨ぽいよね」と彼女が言う。

「どこが?」と僕は言う。

「なんか空から落ちてくる感じが」

「オーロラーはカーテンに似ているって言うんだよ」と机に座る彼女に言う。

本棚しかない書庫の中に、二つだけ机がある。

ここを僕らは隠れ家と呼んでいた。

他の生徒はまず入ってこない。

彼女と僕は良くここで、様々な本を読んではいろんな事を話した。

「オーロラ、見てみたいな」

「カナダの奥とか、北極とかじゃないと見られないだろう」

「カナダの奥とか、北極にはどうやったら行けるの?」

「まあ、新婚旅行とかかな」

「凄い偏見に満ちた考え方だね」

「オーロラなんて、新婚カップルくらいしか見に行かないよ」

「自分を基準にした、偏見と先入観の考え方も、そこまで言い切れると逆にすがすがしいね」

「そうかな」

「いや、褒めてないし」

「そお」

「じゃあ、あたしを新婚旅行で、オーロラを見に連れて行ってよ」

「えっ」

「イヤ別に今すぐじゃないよ」と言って彼女は笑った。



「本当にオーロラなんて見えるのかな」と僕が言う。

「こればかりはね。確実に見るには、もっと長い時間をとってじっくり行かないと」と妻が言う。

もっとも、妻になってまだ5日だ。

「じゃあ、今回のオーロラ見学ツアーは、一発勝負のギャンブルみたいな物?」

「そうね」

「聞いてないよ」

「見れるかどうか分からないと言ったら、他の所になるかなと思って」

「なんでそんなところに、新婚旅行に行きたいと言うかな」

「だって、オーロラ見たくない。自然の大スペクタルだよ」

「いや、見たいけど。なんでオーロラにこだわるの」

「高校の図書館でオーロラの写真集を見て、いつかは本物をと思って」

「ふーん」と僕は言う。

その時、僕も思い出した。

同じ経験をしている。

でも、妻はあのときの彼女ではない。

何故か、顔も名前も思い出せないが、少なくとも妻ではない事は分かる。

そして、僕は思い出す。

僕と彼女は、あの隠れ家でしか会わなかった。

彼女のクラスも、担任も知らない。

そして、彼女の事は誰に聞いても知らないと言う。

高校を卒業して、あの隠れ家に行かなくなると、彼女は本当に存在していたのかさえ分からなくなった。

僕の幻だったのか。でもあの「オーロラって、雨みたい」と言う言葉だけは、あまりに鮮明に思い出した。


「こらこら、旦那様よ」

「えっ」

「新婚旅行なのに、上の空とはどういう了見だ」と妻が言う。

「あっいや、ごめん」

「せっかく、オーロラ観光を楽しもうとしているんだからね」

「ああ、本当にごめん」

バスは、オーロラ観光の拠点となるホテルに着いた。

新婚カップルは他にもいたが、わりと年配のツアー客が多かった。

オーロラを見るのは、明日の夜ピンポイントだった。

ここでオーロラが見えようと見えまいと、明後日の朝には次の観光地へ向かう。

食事をしながら妻が、僕の顔をのぞき込んだ。

妻との出会いは些細なことだ。

でも僕は強烈にひかれた。思い出せないくせに、彼女に似ていたからかもしれないと思った。

「何?」と妻が言う。

「いや」

「本当は他の誰かとオーロラ見たかったんじゃないの」妻がどういうつもりで言ったのか分からなかった。彼女の事は一切話していないし、イヤ何よりの十年も前のことだ。

「そんなことないよ」

「そうなんだ。でも明日はオーロラ見えそうな気がするな」

「何を根拠に」

「なにその否定的な物言いは。せっかくの新婚旅行なんだから、楽しい思い出を作ろうよ」

「ああ、そうだね」忘れていたオーロラのせいで、思い出せない彼女の事を考えたからかなと思う。

「明日はオーロラ見えるよ」と言いながら妻は、最後に残ったグラスのワインを飲み干した。


昼は暇だ。

オーロラ観光は夜だし、そもそもそういう所だから何もない。

ただ氷の原野が広がるだけだ。

他のツアー客は、夜までホテルから出ないつもりらしく、外を歩いている観光客は、僕と妻だけだった。

氷の原野を歩いて、ふと不安になった。

忽然といなくなった彼女のように、妻もいなくなるんじゃないかと。

そして後ろにいるはずの妻を確認するように振り返った。

でも、そこには誰もいない。

美しい白い世界の平原だけが広がっている。

途端、いなくなった彼女と妻がだぶった。

僕がパニックを起こしそうになった瞬間、後ろから目隠しされた。

「だーれだ」その安堵感はあまりに大きい物だった。

「ここには二人しかいないだろう」

「なーんだ、つまんない」


妻の予言どおり、その日は、綺麗なオーロラを見ることが出来た。

かなりラッキーだという事だ。

ここ最近は、全然見れなかったらしい。

「きれい」と妻が言う。

「本当だ」

「なんかさ、オーロラって雨っぽいよね」

「いや、普通オーロラーは、カーテンに似ているって言うんだよ」

この台詞。(覚えがある)

妻には、雨に似ていることは言ったことはない。

「ありがとう、約束を守ってくれて」

「えっ」と僕は声を出した。

そしてもう一度妻の顔を見た。

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オーロラの雨(彼女の記憶) 帆尊歩 @hosonayumu

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