化身は訪う訪うやってくる

雨の陽

Fallen Life

人外、墜つ

暗転。 浮遊感。 落下。




「…………………は?」




唐突に、立て続けに起こる事象に、理解が追いつかない。

今の今まで見えていた光景が軒並み一瞬にして清々しい青空に変わったことで、少年の頭はパンクしそうだ。

天に足を伸ばして直立している体勢のまま首を上に向けると、はるか遠くに大地が見えていた。





———————————どういうことだ?





幻覚の類に惑わされているのでなければ、自分は今推定高度十数kmを頭からの自由落下運動にて体験していることになる。



おかしい。



今日は別にパラシュートなしでのスカイダイビングなど予定に入れていなかったはずなのだが。

スカイダイビングといえば、自分をここまで連れてきたであろうヘリも飛行機も見当たらない。

雲ひとつない快晴に、地平線の果てまでそんなものは無いと思い知らされる。



白雪のような白い瞳に、驚愕と困惑の色が象られた。




「意味わっかんないなぁ…なんでこんな…」


《…今は"なぜ"こうなっているのかではなく、"どうやって"この状況を打開するかを考えるべきだと思いますが、どうでしょう?》


「あぁ、ホントだ。どうしようか?」


《目測のため正確性には欠けますが、高度は10000mと少し、身体に異常は無いので、およそ3分後に地面とダイビングキスを交わすことになります》


「ダイナミックすぎるキスだね…。僕、大地と浮気する気はないなぁ」




この孤独な空での、唯一の話し相手。

姿は見えないし、遠隔で会話しているわけでもない。

実際に存在はしていたが、今や己の存在を形作る一部となった最愛。


それが彼女、




美鈴みれい


《なんでしょう?》


「助けて」


《たまには自分の力で…………と言っても無駄でしたね。面倒ごとは全部他人任せにするような人は、このまま地面のシミと化すのもよろしいかと》


「よろしくない。非常によろしくない。落下死とか、ダサすぎて絶対ヤダ」




例えるなら、頭を抱えるような。

そうしている時の感情が、ポッと湧いて出た気がした。




《…………………………………………はぁ…身体、替わってください。どうにかしてみます。…………今回だけですよ》


「そう言い続けること通算518回、100越えた辺りから思ってたけど、この数字分言わせる僕、クズだな」


《今更すぎますね。…では、出力最大でいきます』




地面まであと数秒ほどのところまで来ている。

意識がある内に、頼りがいのある同居人がいてくれたことに感謝しておくと同時に自分の不甲斐なさを反省しておく。




〈ありがと〜、よろしくね……〉




少年の意識が闇へと落ちたその直後、少女・・の腕から、青白い炎が迸る。




『…………………は?』




凄まじい衝撃波が、大地を抉り取った。







『なぜ、オリジナルの身体に戻っているんでしょうか…』




少女は鏡を片手にしきりに己の身体に触れながら、思わずと言ったふうに声を漏らした。


かつて彼女が、当たり前のように動かしていた肉体。

今はもう焼却処分を経て骨へと変わっているはずの少女——皇美鈴すめらぎみれいは、直径十数メートル大のクレーターの中心で可愛らしく座り込んでいた。


髪留めもないのに後頭部でまとまる長い白髪、人形の如く整った容姿やその肌の病的な白さを客観的に眺めてみれば人外じみた美しさを放っているように思われるだろう。


事実、生前から既に、彼女は人間という範疇からは逸脱していた。




れん?蓮?聞こえますか?』




主人格を美鈴へと移してすぐに意識を失った少年——霜刀祢蓮しもとねれんの人格に問いかけるも、返事はない。

美鈴が表に出ると蓮が夢の世界へ旅立つのは平常運転なのだが、状況が状況。

人格のみならず身体まで引っ張られたのは、初めてのことなのだ。

主人格である蓮が消えていないか確認したいところだが、残念ながら彼は一度寝ると数十分は寝たきりになってしまう。


今は情報の整理を行なって時間を潰したほうが効率的であると即座に判断する。


体内の簡易的なメンテナンスを終えるまで時間がかかることもあり、報告書ついでに箇条書き形式で記憶領域に落とし込んでいったものが次の通りだ。



・霜刀祢蓮(以後、「本機」と表記)は上空数十キロメートルから落下。

 →生還。損傷は軽微であるが、位置情報と落下原因は不明。灯油燃焼を全て燃焼させたため、ストックが消失。10%弱の自己修復を行う。


・人格交代時に異常事態発生。本機の肉体が、皇美鈴(以後、「子機」と表記)のものへと再構築される。

 →交代後5分時点では未解決。本機の人格はスリープ状態に入っており、人格の消失は未確認である。


・重ねて報告。データにない地形と地質であり、GPSへの接続が不可能。

 →グローバルインターネットおよびパブリックルーターへの接続も不可能であり、オフライン状態が継続。


・本機の周囲には生体反応なし。気温、湿度共に良好だが、地形的な影響により強紫外線を過剰被曝。

 →現在時点では身体への異常は認められないが、発汗の症状を確認。休憩地点の捜索を優先する。



こんなものだろうか。

色々と口にして言いたいことはあるが、一人で愚痴を呟いても詮無いことだ。

今はとにかく、身体に害をなす紫外線から逃れるべく日陰を探すことにした。




『本当に、ここはどこで私たちはなぜこんなところにいるんでしょうね』




疑問の解消よりも目の前の課題の解決を優先しろと言ったのは自分だが、"なぜ"、"どうして"と言った言葉は尽きない。



いつも通り訓練を受けて


いつも通り戦場を駆け抜けて


いつも通り大量に湧く敵を殺して



そんな日常を、いつも通り繰り返していたのに。

なのになぜこんな非日常的な事象が連続するのだろう。

私たちが何かひどいことをしたとでもいうのか。




『非常に腹立たしいですね』




仮に軍の上層部が絡んでいるのなら、まぁ、訓練の一環として捉えられなくもない。

しかしここは現実で、人の手で作られた仮想空間ではないのだ。

万が一蓮の身体に何かあれば、洗脳教育を施されて汚れ切ったこの頭でも反乱を企てることはできる。











そこまで考えてから、ふっと息をついてを排する。


私たち、というよりも蓮の身体を軍が失えば、それだけで日本軍の戦力は1割強削れてしまうことになるのだ。

戦争が続いている間は、そこらの華族連中よりも重宝される立場なのだから心配は無用である——そんなふうに自己暗示をかけてひたすら足を動かす。


そうでもしないと、"家族"も蓮もいない今の状況は美鈴の心を蝕んでいく。




『我がことながら、ひどい有様ですね。まだみんなの前なら取り繕えるのに』




日本軍最高戦力の一角である蓮の身体を操る少女は、玉露のような汗を流しながら自嘲的な笑みを浮かべていた。





歩き始めて1時間が経過しただろうか。

着地した時と変わらない、フラットな硬い地面が続くばかりでそろそろ嫌になってきたところだ。

植物の一本、水溜まりの一つすら見かけることなく歩いてきた道程に人工建造物など存在するはずもなく、おかげでずっと歩きっぱなしだ。

疲れてはいないが、汗の感触が気持ち悪い。


この身体における汗とは冷却機能ではなく生理的に発せられるただの水の無駄遣いであり、不快なだけの排泄物だ。

なぜ開発部の連中は不必要な機能をわざわざ残したのか?



この思考は、美鈴の頭の中で今の1時間のうちに4度ほど繰り返されている。

益体もない思考を繰り返すことでしか気が紛れてくれないのだ。

蓮の起床がいつもより遅くなっていることで不安を煽られたこともあり気分が最底辺スレスレまで下落しているのを自覚して、またさらに気分が悪くなった。




『そろそろ何か見えてきてもいいでしょう……!地面と空ばかりの風景はもう飽きたんですよ……』




誰かがそんな美鈴に情けをかけようとでもしたのか。

ムズムズといった表現が適切な、慣れた感覚が身体を駆け巡った。

蓮がようやく起きるのだ。




『おはようございます、寝坊助さん。できれば可及的速やかに交代して欲しいんですが、準備はよろしいですか?』


〈……なんかあったの、美鈴。すっごい不機嫌じゃん〉


『何もありません。今はむしろ何もないことの方が問題ですよ。何か感じたのなら早く代わってください…そろそろストレスが爆発しそうです』


〈ほいほい〉




ようやく不快感から逃れることができた美鈴は、居心地の良い精神空間でしばらく休むことにした。

それと同時に身体も蓮のものへと変化する。


違和感を感じつつも美鈴がまとめた報告と彼女の記憶を覗き見て、蓮は懐疑の念を抱いたことを取り繕おうともしなかった。

取り繕ったところで身体を共有する身では意味をなすわけではないのだが。




「この、人格交代時の再構築って何さ」


『わりとそんままの意味ですよ。私に替わると身体も私のものになるんです』


「え、見たい。久しぶりの生美鈴の身体じゃん」


『蓮は替わるとすぐ寝てしまうでしょう。カメラが手に入るまでは我慢してください』




人格交代後も意識を失わない美鈴ならば自分で確認できるが、蓮はずっと寝ているので見ることができない。

体内の情報をデータとして取得して容姿のイメージを作成することはできるものの、彼はその状態の美鈴の姿を見ても満足できなくなってしまった。

美鈴が肉体的な死を迎えて6年、今まで毎日記憶の中の彼女を頼りに散々妄想してきているのだ。


美鈴としても、汗だくのまま着飾っていない姿など見せたくはなかった。




「今はとにかく日陰と水分を求めて歩くしかないか。きっついねー」


『誰か人でもいてくれれば安心できるんですけどね。強請れば案内役にできますし』


「それなら最悪、敵対陣営のヤツでもいいね」




ぺちゃくちゃと喋りながら、しかし他人から見れば独り言を繰り返しながら、蓮は歩き出す。


あいも変わらず何も存在しない枯れた大地を見渡すと早速萎えてくるが、生物に容易に死をもたらす強紫外線を長時間浴びていると身がもたないのだ。

こんな環境では現実逃避気味に会話を繰り返さなければ精神が先に参ってしまう。


この地域のオゾン層から受ける庇護の影響がどれほどかは知らないが、決して大きくはないだろう。

南極から広がった穴に差し込む死の電磁波は地球全域に降り注いでいるのだから。


今日も燦々と照りつける太陽を睨もうとして、思ったより空が眩しくて目を逸らした。


太陽らしき星は、見つからなかった。

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