最終話

 積み荷の積載をおこなっていると、アルベリアが子どもたちに、おおきな木箱を運ばせて、クロネコの背に載せた。

 中身は道中の食料だといった。

 木箱がおちないように、縄でくくりつける。

 出発の準備が整い、空太は子どもたちに別れのことばを告げ、ひとりひとりの頭をなでた。

 最後にアルベリアと握手した。

「さようなら……アルベリア様」

 アルベリアはちいさな声で「さようなら、空太」とつぶやくと、目をふせ「泣いてしまいそうだから」とお城にもどった。

 猫の鞍に足をかけた時、とおくの木陰の裏に、うごめく人影をみた。

「どうしたの? お兄やん」

 空太は、妹にすこしまつようにいうと、木にむかった。


「ペトラレイン様」

 ペトラレインの体は、包帯だらけで、目には眼帯があった。

 メイド服がすこし着崩れている。

 のこっていた一つの目で、ペトラレインは、空太の顔を、虚無な瞳でみつめている。

 風がふき、ふたりのあいだに、枯れ葉がまった。

「生きていてよかった。ききたいことがあったのです」

「私はアナタがしっているペトラレインではないだろう。記憶のほとんどは破損し、すべてが朧気で、ノイズがまじっている。私がここにきたのは、私にのこっていた最後のピースが、呼びつけていたからだ。おそらく、アナタに対して、重大な使命を背負っていたのだろう」

「草介を殺したのは、オマエだな?」

 ペトラレインは、眉ひとつうごかさずに、空太の顔をみつめていた。

 草介とはだれだ? 私のメモリーには、保存されていない人物のようだ。

 ペトラレインは、まるで録音した音源を再生するように澱みのない語り口で、いった。

「何日か前の深夜、オマエをたずねた、私と同じ年ごろの男の子がいたはずだ」

「私のメモリーは破損しているが、ひとつだけ忠実にインプリントされている命令がある。それは、アルベリア様の身を、なにがあっても御守りせよ、ということだ。もしも障壁が発生したのであれば、それを排除するのは当然のことだ」

 空太は、そうか、とつぶやき、ペトラレインの胸ぐらをつかんだ。

 ペトラレインはジっとその手をみつめるだけで、とくに反応をみせなかった。

「わかった。それなら、いいさ。

 私は今日、このお城を旅立つ。

 このお城には……アルベリア様がのこる。

 オマエは……なにがあってもアルベリア様を守っていろ」

「ハイ。アナタにいわれなくとも、それが私に与えられた、使命ですから」




 雪につつまれた森の道を、四匹の邪行クロネコと、ふたりの人間がわたっている。

 霧のなか、その影だけがぼんやりとうかぶ。

 赤いスカーフをまいたクロネコの背に、妹と空太がまたがっている。

 最初に、野良のクロネコたちを、適性のある場所へ、移送する。

 どこなのだ、そこは。

 空太が妹にたずねた。

 妹は、前をむいたまま、淡々といった。

 細菌兵器をつくりすぎて、人が狂暴化している星が、いくつかあるらしい。

 クロネコは、狂人たちをくらいつくすことができる。

 自分の身が惜しい権力者に、邪行クロネコは高値で売れる。

 猫は益虫ならぬ益猫として生存者たちにあがめられ、妹は神の遣いとして手厚い待遇を受けることができる。

「マァ、ちょっと遠いからなー。到着まで休み休みいこう」

 霧を吸いすぎると、適応力の高い空太の肉体も疲弊をみせる。

 妹は空太に自製のハーブティーをふるまった。アルベリアと森に遊びにいった時に採取したハーブであった。精神のたかぶりと疲労を解消、そして、アルベリアがいくつかの薬液を混ぜているらしく、霧の毒素を浄化する力があった。

「どう? 飲むとおちついてくるやろ」

「アァ……」

「アルベリア様がなー、空太が安全に森をすすめるように、一生懸命に焙煎してたんや。にしても、お兄やんがアルベリア様ではなく、うちといっしょにくるとはおもわんかったなぁ」

「……あの方には、私がいなくとも大丈夫だ。お城の皆がいる」

「ふふん。でも、いくら鈍いお兄でも、アルベリア様の気持ちにきづいていなかったわけやないやろ」

「……」空太は目をふせた。すこしずつ、頭が重くなってくる。「そんなはずはない。私をお城に閉じこめておきたいなら、なぜオマエを城によんだ」

 ケラケラケラ……。

 一瞬、化けガラスが鳴いたのかとおもうほどのぶきみな笑い声がきこえたとおもったが、それは妹の笑い声であった。

「お兄やんは、今目の前にいる少女が、妹にみえる? それとも、真紅の着物をきた、猫使いの巫女……もしくは、得体のしれない、バケモノか?」

「は?」

 空太は、かすみつつある眼で、妹の赤い着物のうしろ姿をみつめた。

 赤色が、ぼんやりとインクのように滲みだし、血潮のように、空太の視界を埋めつくした。




 旅は長い、せっかくだから、面白い話でもしたろうか……。




 お兄やんは女心わかっていないなぁ。

 アルベリア様は、うちと自分がふたりおる時に、お兄やんに自分を選んでほしかったんよ。

 いつまでもいつまでも、妹に未練がある男のことなんか、そばにおきたくなかったんや。

 お兄やんに選ばれへんかったアルベリア様……かわいそうやわぁ。

 それで……アルベリア様は、顔に似合わずあくどいことやるよなぁ。

 毎夜やってたあの流れ星のヤツ、あれ、自分が気に入らないものは破壊したろういう、破滅願望のもとおこなわれていた行為や。

 それはもちろん、お兄やんとの諍いにも表れているわけで……。

 ククツ……。

 お兄やん、うちについてきてしもうたなぁ。




 ガタンッ。

 倒木をクロネコがまたがった瞬間、おおきく体がふるえた。

 うしろで物音がしたから、空太はふりかえった。

 アルベリアから授かった木箱の蓋が、さきほどの振動ですこしずれている。

 木箱のなかの、くらやみのすきまに、白い、棒状のものが、ぼんやりとうかぶ。

 パン……だろうか。

 空太はみなかったことにして、ふたたび、ふしぎな話を詠唱する、「赤い少女」の背中をみつめた。



 

 ……その木箱の中身、きになるか?

 お兄やんは、ふしぎにおもわんかったか?

 あの施設の城主は、邪行使という行商人と商品の売買を行っている。

 でも……買い物をするには、もちろんお金がいるんや。

 お金をえるためには、働くか、税収をえるか、あるいは、……なにかを売るしかないわ。

 お兄やんは、アルベリア様が働いているところをみたことがある?

 子どもたちから税金を徴収しているところは?

 ないやろ、それなら、なにかを売るしかない。

 なにを売るか……。

 お兄やんもきいたことあるやろ?

 邪行クロネコを飼いならすために、人肉ににたエサを精製しとる工場がある……。

 また、この異電子乱流の森は、時間のながれから疎外されている空間だ。それはつまり、新鮮さを永久に保存できることとも同義や。そんな空間に迷いこんだ子どもの肉を好んで食べる美食家たちがいる。

 その工場や美食家とつながりのあるバイヤーたちに、仕込み種として肉を売買すれば、多額な金銭を得ることができる……。

 それで……バイヤー、ってのは邪行使のことやけど、これがいい金になるんやわぁ。……うちも、「猫使いの巫女」の副業としておこなうほどに。

 そう、あの拠点は、子どもたちを保護するような場所ではない。

 子どもたちを誘いこみ、ストレスで肉が傷まぬよう、保全する施設。

 以前にも消えた子がおるっている話をきいたことがあるやろ?

 お兄やんのしっとる男の子も、最近おらんなったやろ?

 ホラ、あの前髪が長くて、根暗そうだけど、プライドだけは高そうな、アイツや……。

 どこにいったんやろなぁ……。アルベリア様がいったように、どこかへ旅にいったんか?

 あるいは……もしかしたら、その木箱のなかで寝とるんちゃう?

 



 クロネコの背のゆれにあわせて、木箱はガタガタ鳴っている。

 助けをもとめるように、ガタガタ鳴っている。

 空太はふりむくことなく、頭のしびれとたたかっていた。




 ……ふふ。頭をうちの背中におしつけよって、薬がきいてきたか?

 ン? ジョーダンや、さっきのハーブティーにはなにもいれとらん。

 最初の話にもどるけれど……アルベリア様は破滅願望が強い。

 手に入らないものは、自分の手で破壊してしまおうとおもうほどに。

 それはお兄やんに対しても発動した。

 お兄やんは……アルベリア様は、快く、うちとの旅立ちを認めたように映ったかもしれへん。

 だけど本当は……もうどうでもよくなってしまった男を、仕込み肉として売買しただけやったんかも?

 かわいそうなお兄やん。

 愛してくれた女性を裏切って、妹に卸肉として販売されるお兄やん。




 クスクスクスクス……。

 妹の笑い声が、空太の頭のなかにみたされる。




「という作り話を考えてみましたー。道中暇やから、いい時間つぶしになったやろ」

 妹は、笑うのをやめ、あっけらかんとした口調でそういった。


「……すこし、眠る。とても、頭が重い」

「クククっ……そうかそうか、それなら眠るとええ。お兄やんが好きな、物語のゆくえを夢にみながら……」




 空太の視界をつつんでいた、妹の着物の、血によくにた赤のにじみは、やがて、夢うつつの深淵にきえていった。




 そして、今宵も異電子乱流の森は、冬の冷たさにつつみこまれていった。

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