行き場のない謝罪

早河縁

本編

 札幌駅。その周辺は、ビジネスマンやおしゃれな若者で溢れかえっている。以南、少しはずれりゃ大通り。学生の姿も多く見られる。大通り以南に、その場所は存在している。

 なあんだ、こんなものか、すすきのって。始めて来たときはそう思ったものだ。

 ただただ風俗ビルと居酒屋が並んでいるだけで、ときどき酔っぱらいの吐しゃ物が巻き散らかされている。彼らにとっては食料であるごみに溢れたこの町では、カラスが軒並み太っている。

 日が落ちればネオン看板の明かりが点きだ町は賑わうが、朝日が射すような時間には人っ子ひとりいないときだってある。夕方という時間には出勤中のキャバ嬢の姿もちらほら見られる。

碁盤の目状のこの町の、少し細い道を進めばホテル街に突き当る。ただでさえ狭い道路には、ホテヘル嬢の送り迎えの車が停まっていたり、道端に警察の車両が停まっていれば皆で遠目にヤク中のうわさをするのだ。

ある意味死んだ人間しかいない。すすきのとは、そんなところ。

あたしがこの町にやってきた理由は、風俗店で働くためだった。箱ヘルと呼ばれる種類の店で、移動がなくて楽だし本番行為もないから楽だろうと思って入店を決めた。実際は重労働にほかならなかったわけだけれど。

箱ヘルというお店のだいたいはビルの中に構えられていて、シャワー付きの部屋がいくつか用意されている。それぞれキャストと呼ばれる女の子たちが割り当てられた個室で待機をし、フリーだろうが指名だろうが、お客様が来たらそれを出迎えるという仕組みだ。

今日も今日とて十時間勤務を終えて、日給を貰うために店の受付裏の小さな事務室に通される。

「あれ、イイムラさん。今日受付ひとりなんですか」

「あー、なんか下の方の店で女の子がお客さんと死んじゃったらしいんだよね。今、下の方じゃ大騒ぎだよ。もちろん警察も来てる。それで最後の方は客が来なかったんだよ」

「あーね。ていうか、令和の時代に? 遊郭じゃあるまいし」

 あたしは思わず、鼻で笑ってしまった。

 大昔の遊郭であれば、親の借金の肩代わりのために遊郭で働かざるを得なかったりするけれど……まさか、この時代に客と心中なんて、よっぽど自分に酔っていたんだな。自殺や心中を美化する文化もあるけれど、あたしにはわからない世界だ。何してたって、生きててなんぼでしょ。

「本当にそうだよ。ここは現代社会なんだ。スカウトだって禁止されてる。俺たちみたいなのはある程度の厳選はすれど、自分から望んでこの業界に入りたいって言う女の子を助けてあげてるだけなんだよな。逃げるなら逃げればいい、飛ぶなら飛べばいい。それが出来るのになあ……」

「そうだよね」

「しかも、店で! せめて死ぬなら、家で死ね!」

 イイムラさんの言い分はもっともだ。家で死ねば店や世間にかかる迷惑は最小限になる。

 実は、このビルに入っている店で人死にが出るのは、これが初めてではない。私がこの店に勤め始めてからの約二年間の間、これで四人目だ。ネットに事故物件を調べられるサイトがあるけれど、このビルにはすでに「3」という数字が刻まれている。

 その晩、帰宅してシャワーを浴びてから食事をしていると、長い茶色の髪の毛がお米の中に混ざりこんでいた。この出来事の奇妙な点は、あたしの髪の毛が黒色だということ。家に茶髪の友人を呼んだわけでもなければ、家族と同居しているわけでもない。黒髪のあたしがひとりで炊いたご飯に、茶色の毛髪が混ざっているのは、何か、奇妙だ。

 それから、不可解な出来事は起きた。

 まず、出勤すると体調が悪くなるようになった。家にいるとき、市電の車内では元気なのに、店に着いて待機を始めると吐き気を催し頭痛にも悩まされるようになった。それに、首の周囲が、熱されたネックレスでかすかに締め付けられているようにチリチリと痛むのだ。

 これはおかしいと思いつつも、明日生きるお金はもちろんのこと、趣味の洋服やお酒を楽しむためには働いて稼ぐしかないので、あたしは多少無理をしながらでも出勤を続けた。

 しかし、次第にことは重大になっていく。発熱に伴い、いつも痛む首まわりが赤く爛れたようになって無数の水膨れが出来てしまったのだ。爛れた部分は焼けるように痛んだ。

 店を休んで皮膚科で状態を診てもらったけれど、お医者さんにもよくわからなかったみたいで、ステロイドを処方されると「よくならなかったらまた来てください」と帰されてしまった。こんなに目立つところに爛れがあったんじゃ、容姿勝負のこの業界では使い物にならないので非常に困った。

 少しの貯金はあるけれど、自炊をせず買い食いばかりでお酒も飲むようなあたしの生活じゃ、すぐに底を尽きる程度のお金だ。心もとない。

 それでも出勤できる状況じゃないことには変わりがないので、お店には事情を説明し、しばらくお休みを貰うことにした。せめて熱が引いて水膨れさえ治ってくれたら、多少どこかしらが痛くても働くのに。

 ひとりで家にいるのも暇なので、余計なお金を使いたくないと思いつつ、あたしは外に出ることにした。大通りからすすきのをぶらついて、ナンパをしてきた男と適当に遊ぼうかと思ったが、この首の爛れを見れば男なんて避けていくし、そもそも発熱からくる体のダルさで、あたし自身に遊べる気力がなかった。

 やっぱり、帰って安静にしよう。そう思い踵を返すと、友人であるミハルの姿があった。

「あれ? サトコじゃん」

「ミハル……」

「って、うわー、どうしたのその首。てか、顔色悪っ。大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃない、かな」

 私はこのとき、だれかの視線を感じた。

「ちょっと休んだ方がいいよ。あたし暇だし、一緒に喫茶店入ろ! なんかふらふらしてるし、やばいって!」

 ミハルは、あたしが田舎を出て、札幌に来てから絡むようになった元同級生だ。数少ない友人と呼べる存在。あたしの仕事のことも知っている、本当に数少ない信頼のおける友人。促されるまま、あたしは近くの喫茶店に入ることにした。

 チリン、とドアを開けると同時にベルが鳴る。

この喫茶店は大通りとすすきのの間くらいに構えられた、喫茶店でありバーとも呼べる店だ。ドリンクのお値段は少々お高めだけれど、どれもおいしくて気に入っている。店内に入るためにはドアを開けた後に地下へ降らなくてはならず、階段を下りた後は二階分の空間が広がっており、店内の階段で一階席と二階席を選んで座ることが出来る。一階部分にはドラムの飾られた小さなステージがあり、時々ここでミニライブが開かれていると聞いたことがあるが、まだそれに遭遇したことはない。

「いらっしゃいませ」

 吹き抜けで見晴らしのいい二階席を確保すると、いつも通り不愛想な店員が、席時間が二時間までであることを説明しメニュー表を見せてくれる。あたしたちは適当にコーヒーを注文して、さっそくおしゃべりをする。

「ねえ、それで? そうしたの、それ」

 あたしの首を見て訊ねてくるミハルは、内心若干引いているような感じではあったが、心配の表情を見せた。

「いや、原因不明なんだよね。病院も行ったんだけど、軟膏出されて終わっちゃった。しかも、治んないし。ここ最近、体調おかしいんだよね」

「じゃあ出勤もしてないんだ」

「うん。三日前から」

「へえ……もしかして、風俗嬢の幽霊に憑りつかれたんじゃないの?」

 あたしはそのピンポイントでタイムリーな言葉に、少しドキリとした。どうしてミハルが店の事件のことをにおわせるようなことを言うのだろうかと。

「なにそれ」

 あたしが軽く流すような返事をすると、ミハルは極めて真剣そうな表情を浮かべてこう言った。

「いや、まじでさ。あんた、もしかして知らないの? 最近すすきのの風俗で何人も死んでるんだよ。この一週間で六人も死んだんだって。しかも、全員男と、首吊りで。ニュースになってたんだから。あんたは風俗の業界にいるんだし、憑りつかれたっておかしくないよ」

テレビをつけない生活をしているので、全く知らなかった。そもそも幽霊なんて信じていないけれど、ミハルの気迫に圧倒されて、思わず息を飲んだ。そんな馬鹿な、と思った。でも、一週間のうちに同じ町で六人が自殺しているというのは、どうにも不可解だとも思った。

「あんたの首見て思ったの、なんか、首吊りの痕みたいだなって」

 ぞくり、と背中が粟立つ感覚を覚えた。そっと首の爛れに触れると、じくりと痛んだ。

「でも、憑りつかれているだなんて、そんなわけ。だいたい、なんであたし? 風俗嬢ならほかにもいっぱいいるじゃん」

「そんなのあたしだってわかんないよ。そういう話もありそうだなって思っただけだし」

 店員さんが注文の品を持ってきたので、話題はここで途切れた。

 久々に会ったって言うのに、はたから見てどうであれ、こんな気分が悪くなることは言わないでほしかった。あたしは若干のもやもやとイライラを抱えつつも、なんとなく雑談をしてその場をやり過ごした。自分が言い出したこととは言え、ミハルもなんだか気まずそうだった。

「じゃあ、またね」

 別れの挨拶をして帰路につく。狸小路から市電に乗って、最寄りまで電車に揺られる。駅から五分ほど歩き家に着く。鍵を開け、ドアに手をかけた瞬間、部屋の中から異臭が漂ってきた。

 ただならぬ雰囲気を感じつつも、恐る恐る玄関に足を踏み入れる。靴を脱ぎ、部屋の明かりをつける。ただ自分の家に帰ってきただけなのに、大量の汗をかき呼吸を乱しているあたしは、どこかおかしいのだと思う。つんと鼻にくる刺激臭。その臭いの元は、部屋の真ん中に落ちていた。

「なに、これ」

 見覚えのない、黒いへどろのようなもの。臭いはそこから発されているようだった。それを認識したが最後。急に首まわりが痛み出し、水膨れが潰れて生暖かい液体が首筋を垂れていく感覚に襲われる。気持ち悪い、臭い、吐き気がする。どうしようもない不快感に、私はその場で嘔吐した。

 ――ピンポーン。

 インターホンが鳴る。起き上がってテレビモニターを覗いても、誰も映っていない。不愉快な悪戯だろうと思いモニターの前から立ち去ろうとした、そのとき。

 画面が真っ暗になった。液晶はついている。でも、真っ暗になった。これは、なんだ?

「あ……」

 悪い予感がした。昼間感じた視線と、同じような感覚。しりもちをつく。あたしは、これは【目】であると確信した。それに気が付いてしまったが最後だった。首が激しく痛み出し、次々に水膨れが潰れていく。皮膚がはじけるのと同時に激しい痒みを感じる。痒い、かゆいかゆいかゆい! あたしは無意識のうちに首元を搔きむしっていた。

 はあはあと激しくなっていく呼吸。二酸化炭素が足りない。胸が苦しい。

 首の痛みはどんどん増していき、そして、それに伴って痒みも激しくなっていく。首を掻きむしりながら、苦しさの中であたしは床に転がった。ガリガリと音がする。でも、掻くことをやめられない。痛い。もう、血が出ているのに。

 酸素が過剰に回り、ぼうっとする頭で思い出した。

『せめて死ぬなら、家で死ね!』

 イイムラさんのあの言葉。そして、それに同調した、あたし。

 首からは大量の血が出ている。自分の首の皮膚がえぐれて、指先で肉を裂いているのが嫌でもわかる。痛い、いたいいたいいたい! それでも、首を掻くあたしの手はなぜか止まらなかった。

 もう、だいぶ出血したのだろう。遠のく意識の中で、あたしは昔お母さんに言われた言葉を思い出していた。

『あのね、サトコ。口は災いの元って言うんだよ。何気なく発した言葉でも、絶対に、なにかしらに影響をもたらして、自分に悪いことが返ってくるんだから。だから、ひとには優しくしてね』

 お母さんは、優しいひとだった。あたしは昔から、悪い子だった。お母さんに隠れて、よくひとをいじめていた。この前だって、死んだひとを簡単に嗤った。だから、こんな最期を迎えるのだ。

 かちゃり、とドアの開く音がする。廊下から、ギシギシと床板のきしむ音が聴こえる。だれかが、歩いてこちらに向かっている。ぼやける視界。最後にそこに映りこんだのは、こちらを見下ろす、長い茶髪の、黒いベビードールを身に纏った女の姿だった。

「ごめんなさい」

 いったい私は、だれに謝罪したのだろう。

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行き場のない謝罪 早河縁 @amami_ch

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