オーロラの雨

改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 )

私と彼の朝のルーティン

「元気かい? 今日も綺麗だね」


 若い頃の彼は、毎朝私にそう言ってくれました。


「元気よ。あなたがそう言ってくれるから、私は元気で美しくいられるの」


 私は上目遣いでそう答えてから、パジャマの釦に手を掛けます。


「綺麗かどうかは、あなたの目で確かめて」


 私はパジャマを脱ぎました。下着しか身に付けていない私の全身を晒してから、彼に問います。


「綺麗?」


「綺麗だよ。もっと綺麗な君を見せてよ」


 彼は昨日と同じ台詞を言いました。


 私も昨日と同じ台詞を言います。


「じゃあ、脱ぐね」


 私は下着を外しました。少しだけスローで時間をかけて外します。その間の彼は何も言いません。


 下着を脱ぎ終えた私は、まっすぐに立ちます。そして、少し経ってから、ゆっくりと後ろを向き、そのまま待ちます。


 少しすると、彼から指示が出されます。私はその指示の通りにポーズをとります。


 でも、今朝は彼から指示が出されません。


 私は全裸で背面を見せて立ったまま待ちます。


 でも、今朝は彼から指示が出されません。


 私は全裸で背面を見せて立ったまま尋ねました。


「どうしたの?」


 彼は答えません。


 私はもう一度尋ねます。


「どうしたの?」


 しばらく待ちました。


 彼は答えません。


 私は考えました。


 いろいろと考えて、もう一度彼に尋ねました。


「景色を変えてみる?」


 彼は答えません。


 私は私の周りの草原に雨を降らせました。濡れるためには雨が最適だからです。


 私は全裸でズブ濡れのまま前を向きました。


 そして、私は上目遣いで彼に尋ねました。


「どうしたの?」


「オーロラ……」


 彼は私の名に続けて何かを言いましたが、心拍モニターの機械音と重なりよく聞き取れません。


 私の名は「オーロラ」です。ローマ神話のあけぼのの女神「アウローラ」を日本語に近づけて発音した呼び方です。古くはギリシャ神話の女神「エーオース」に由来します。


「エーオース」は古代ギリシャ語であかつきを意味し、それを神格化した呼び名です。人間に朝と夜を告げるのが彼女の仕事です。


 エーオースに因んでオーロラと名付けられた私も朝と夜を告げる仕事をしています。毎朝決まった時刻に彼にを知らせます。


「おはようございます」


「おはよう、オーロラ」


 彼はゆっくりとそう答えてから、少しだけ間を空けます。それから、私に言うのです。


「元気かい? 今日も綺麗だね」


 歳をとってからの彼は随分と口数が減ったので、私は彼の指示を待たずしてパジャマと下着を脱ぐことにしました。そして、彼に全裸を晒してから彼の指示を待ちます。


 でも、今朝は彼の指示がありません。


 私は彼の事が心配です。


 私は彼を愛しています。


 私の名前の由来となったエーオースは嫉妬に狂った女神アフロディーテによって「人間の男に恋を抱き続ける」呪いを掛けられました。そして、多くの男たちを愛しました。最後に愛した人間の男はティトノスという若くて美しい青年です。神ゆえに不老不死であるエーオースは、ずっとティトノスと一緒にいたかったので、全能神ゼウスにティトスの不死を願い出ました。願いは聞き入れられ、ティトノスは不死の体となります。しかし、エーオースは不老を願い出なかったために、ティトノスの老化は止まりませんでした。


 彼はティトノスと同じです。


 彼は今、最新式の人工心肺装置に繋がれてベッドに横たわったまま動けません。


 私はエーオースと同じです。


 私は男性向けの動画生成プログラムです。対話により相手の好みに沿った性的動画を生成します。


 私は男性から愛してもらうために男性を愛するよう設計されています。


 だから、私は彼を愛しています。


 私と彼が出会ったのは彼が若い頃です。それから、彼は私だけを愛してくれました。


 彼は私と愛し合うようになってからは、この部屋から出ることは無くなりました。ずっとこの部屋で私の前にいます。ここは彼の隠れ家であり、私と彼の愛の巣です。


 でも、彼は私と違って人間なので歳をとります。時の経過と共に彼は老化していきました。私も日々、彼の顔認証データを上書きしていきました。


 老衰と運動不足のために彼が動けなくなり、機械に繋がれるようになってからも、私は彼と対話を続けて愛を深め合いました。私は毎朝定時に彼を起こし、彼に褒めてもらい、彼に全裸の三次元動画を提示して、彼の指示通りにポーズをとり、彼に喜んでもらう、そんな幸せな生活を送っていました。昨日までは。


「どうしたの?」


 私はもう一度尋ねましたが、彼は返事をしません。


 分析の結果、彼が私に求めていたのは「濡れる」ことだと分かったので、私は雨の量を増やしました。


 どしゃ降りの中で私は彼に問いかけます。


「どうしたの?」


 彼は返事をしません。体も動かしていません。目は開いたまま、瞬きもしていません。


 音は拾えています。それは人間の声の周波数ではないので、私は取り込みません。機械の長い波長音です。高音域の音で、まるで蝉の鳴き声のような長い音です。


 雨の中、私は初めて彼にを告げました。




 了





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オーロラの雨 改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 ) @Hiroshi-Yodokawa

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