第13話 スパイマスターの娘
イカルガ国議会の場に、メイはジェイコブを従えて立っていた。
会議場に入るや否や、その場にいる誰もが幽霊でも見たかのような驚きの表情を向けてくる。
「メイ・ウォルシンガム、空賊アストラムの船長、アルバート・ドレイクとの交渉結果を報告せよ」
「はい」
衆目が集まる中、メイは立ち上がる。
瞳と同じ琥珀色のダブレットを身に纏い、堂々とした表情で彼女が語る一言を、その場の誰もが固唾を飲んで見守っている。
「無事、交渉妥結となりました。条件は陛下にいただいた通り。一点異なるのは、イカルガ王国の利益の取り分が五分であるという点です」
議員が一斉にざわついた。半々の取り分は、前回の使者が失敗した取り分の配分だった。つまり、今回の提案条件は、前回ドレイクに提示した内容となんら変わらぬ内容で妥結されたことになる。
「女であるということは得ですな。その薄っぺらな体で誘惑でもしたのですか? 是非その手管をご教示いただきたいものです」
古株の議員がそう言えば、一部の議員がどっと沸いた。あからさまな侮蔑に顔が熱くなる。命を賭けて勝ち取った妥結を、そのように言われて怒らぬものなどいない。
しかしここで怒っては負けだ。
深呼吸をして心を整える。
––––私はスパイマスターの娘、メイ・ウォルシンガム。父の進んだ道は茨の道。私が進む道もまた、険しい道になるだろう。こんなところで挫けてはいられない。
「王国の使者は、案内人の空賊を足蹴にするなど、態度が悪かったそうです。また、リスクの高い航海を頼むのに非常に横柄な態度であったとか。私はただ、相手を一人の人間として、対等に扱ったまでです。もしも私の仕事に文句がおありなら、今よりイカルガに有利な条件でドレーク卿にどなたか交渉してみては?」
議会が静まり返る。言い返されるとは思っていなかったのかもしれない。
少しスッとした気持ちで浅くため息をつけば、どこからか拍手が聞こえる。
「素晴らしい! いやあ、交渉妥結も素晴らしいが、その度胸。僕は讃えるべきだと思うねえ」
––––あれ? この声。
王から比較的近い位置の座席に、彼はいた。緑色のダブレットに身を包んだ、議員としてはまだ若輩らしい茶髪の男。顔を見ても誰だかわからなかったが、声は聞き覚えがある。
「これまで失敗続きだった交渉を、巧みな情報収集能力と分析能力で成し遂げた。実績がないとおっしゃっていた方もおりますが。僕はこれだけの功績を立てたなら、彼女をスパイマスターに据えることを誰も反論できないと思いますがねえ」
「レオナルド公爵の言う通りだ」
イライジャがそう言えば、会場がしんと静まり返る。座席の位置からしても、五爵の最上位である公爵位を持っていることからしても、彼の発言力は強いらしい。
メイは彼の姿を盗み見る。ニコニコとその場の成り行きを見守る様子には緊張感がない。なんだか読めない人物である。
「メイ・ウォルシンガム、改めてここに任命する。王直属のスパイマスターとして、イカルガの国家安全に努めよ」
メイは胸に手を当て、礼をとった。
「仰せのままに、我が王」
「改めて今回の交渉は見事であった。褒美をつかわそう。ウォルシンガム卿には引き続きドレークとの調整に関わってもらうが。基本的には本来のスパイマスターの業務である、諜報活動に注力してもらう」
まだまだ敵は多いが、これでメイのスパイマスターとしての地位を認めさせる実績を作ることができた。
––––一歩一歩確実に進もう。私の肩には今、団員の生活だけでなく、この国の行く末もかかっているのだから。
議会が終わる頃、メイは再びレオナルドの姿を探したのだが。いつの間にか彼は煙のように消えていた。
◇◇◇
イカルガ国議会が夜半まで続いたため、メイは宮殿内に宿泊用の部屋をあてがわれた。翌朝劇団に帰ろうと馬車回しに向かっている最中、また、雑草抜き中の陛下に出会した。
しばらくそこで作業していたのか、頬には汗を拭ったときについたらしき土のあとが付いている。
「お早いですね。夜も遅かったのに」
「お前に会おうと待ち構えていた。今日は昼から公演だとマーロウが言っていたからな」
イライジャに手招きされ、メイはふたたび庭園の奥へ奥へと案内される。たどり着いたのはまた、青い薔薇の咲く秘密の花園だった。
「座れ、茶を入れよう」
手袋をとり、ハンカチで手を拭くと、イライジャは先に用意されていたらしき茶器で紅茶を淹れ始める。
「陛下、それは私が」
「普段世話ばかりされているとな、たまには人の世話を焼いてみたくなるものなのだ。俺の楽しみをとるでない」
「はあ……、ではありがたく」
こうして青いシャツを着て、汚れた作業用のズボンを履いていると、年相応の若者に見える。初めて対峙した時は緊張感しかなかったが、今は不思議と心穏やかに話せていた。
「次々と無理難題を押し付けて、申し訳ないと思っている。だが、今は、お前以外にこれをできる人間がいないのだ、ウォルシンガム」
茶を蒸らしながら、申し訳なさげに王がそう言う。
「滅相もございません。一度受けた仕事は、最後までやり通すのが私の主義です」
「真面目だな、お前は」
ポットから黄金色の紅茶が注がれる。これはアップルティーの香りか。爽やかな甘い香りに、不意に微笑が溢れる。
「……父は、陛下とどんな話を?」
「ハリーか。俺がハリーと直接話をするようになったのは、アメリの治世になってからだが。色々な話をしたな。牢屋に投獄されてからも」
イライジャに勧められ、メイは紅茶を一口含む。上質なリンゴの香りが口いっぱいに広がり、これまでの怒涛の毎日の疲れが、多少は癒された気がした。
「投獄中も、ですか……」
それなりに劇団が忙しい時だった記憶があるが、父はいつ家を抜け出ていたのだろう。
「俺が送られたのは、イーストエンド塔。一度送られれば、二度と出てくることができないと言われている湖上の牢獄だ。アメリに幽閉された時点で、いつ反逆者の罪を着せられ殺されるかわからない状況だった」
若き王の瞳に昏さが宿る。彼はため息をつくと、ティーカップをデーブルに置いた。
「面会に来るイーサンは今後の策略の話しかしなかったが、ハリーは死の恐怖に怯える俺を慰めるためか、他愛ない話もたくさんしてくれた。特に多かったのは、メイ、お前の話だ」
「私の話? なぜ、私の話など」
メイは首を傾げる。
「イーストエンド塔という王侯貴族専門の監獄は、常に拷問による悲鳴が響いているところだった。骨をへし折られ、目を潰され。今際の断末魔が今でも耳にこびりついている。そして塔を囲む湖に設置された台の上には、処刑された人間の首がオブジェのように飾られる。俺はそれを自分の牢から毎日見ていた」
心の芯が冷える。想像を絶する過酷さだ。無実の罪で処刑された庶民たちの苦しみを知っていても、王に敵対視された王族の末路が、こんなにも悲惨なものであるということを、メイは知らなかった。
「死に怯え、立ち上がることさえ出来なくなった俺の心を、ハリーは愛らしい娘の話をして紛らわせてくれた」
「たいして面白い話でもなかったでしょう……まして陛下を楽しませられるほどには」
イライジャは屈託なく笑った。その瞳に、先ほどの昏さはもうない。
「母親譲りの赤毛でいじめられることもあるが、強い子で、男の子どもとも取っ組み合いの喧嘩をする。人に対して愛情深く、争ったとしても最終的には、どんな相手も自分の味方に引き入れる力がある、と。とても賢く、優しい子だとも言っていた」
「そんな話を……」
「可愛くて仕方がないという様子だったな。そのうち俺も、メイの話を聞くのが楽しみになっていった。お前は俺を世俗とつなぐ唯一の接点で、女ながらに力強く生きるお前の話は、俺が生きる上での希望にもなっていた」
イライジャはメイの手をとる。
「本当なら手を伸ばしてはいけなかった。この悪魔の巣窟に、輝かしい世界で立派に生きていたお前を引き込んではいけなかったと思う。しかしどうしても俺は、あの薄暗い独房で生きる希望を繋いでくれたハリーの一人娘に、ひと目会いたくてたまらなかった」
握られた手が熱い。心臓が脈うち、顔がほてる。
「アメリが死に、ようやく解放された後、ブラックフレイヤーズ座にジュピターの劇を観に行ったんだ。その時ステージに立つメイを見て、どうしても欲しくなった」
これは、どういう意味なのだろう。
勘違いしてはいけない、これはきっと「味方」としてメイを得たい、という意味の言葉でしかないはず。
「そ、そうですか……」
恥ずかしくなって手を引っ込め、下を向けば、イライジャが笑ったのが聞こえる。
「ハリーの存命中、ジュピターはそこまで評価の高い劇団ではなかった。今の評価を勝ち取ったのは間違いなくメイだ。男装という鎧を身にまとい、さまざまな知略を巡らせ、世間を味方につけていく姿は、俺の求めるスパイマスター像にも重なる」
ほら、やはり。彼が言っているのはあくまで仕事人としての自分のことである。
「過分なお言葉、ありがとうございます……。あ、そうだ、陛下、これを」
メイはポケットから、ハンカチに包んだペンダントを取り出した。
「ドレークとの交渉時、お貸しいただいてありがとうございました。おかげで勇気を振り絞ることができました」
「ああ、それか。まだ持っておいてくれ」
「え?」
「俺はこの先、メイを、何度も奈落の底に突き落とし、這い上がってこいと要求するだろう」
真剣さを帯びたイライジャの言葉に、メイは息を呑む。
「はい」
「だが、見捨てるわけじゃない。メイが目的を達成できるよう、降りかかる火の粉は払うと誓おう。当然できるサポートはする」
イライジャの顔が近づく。ラピスラズリの双眸には、いつものような強さがなく、縋るような瞳をしている。
「だから–––俺の一番の味方でいてくれ、メイ。これが俺のわがままだというのは、わかっている」
––––ああそうか。
王といえど人間である。
この人も寂しく、心細いのだ。
父王が死に、母はアメリの手によって殺され、暗い牢獄で長い時を過ごした。王になっても周りは荊だらけ。しかしそんな逆境にあっても、ボロボロになったこの国の窮状を立て直し、なんとか民を幸せへと導こうとしている。
––––望んでもらえるなら。苦しむ人たちが救われるなら、いくらでも。
「はい、私は陛下のおそばにおります。イカルガの行く末を、明るいものにするために」
メイがそう言えば、イライジャが、ふ、と微笑む。
伸ばされた指先がメイの頬に触れた。深い青の瞳が閉じられ、美しい顔がこちらに近づいてくる。
––––あれ、これって。
「陛下!」
レンガで作られたバラ園の小道を、全力疾走で走ってくる男がいた。ジェイコブである。
「うちのメイに、何か御用でしたか?!」
鬼のような形相で肩を上下させながら、そうジェイコブが叫ぶ。一国の主人に向かってその顔はどうなのかとメイは思ったが、ジェイコブは改める気は無いらしい。
イライジャはというと、両手をカエルのように顔の横にあげて、いつもの薄笑いを浮かべている。いったいさっきまでのあれはなんだったのだろうか。
「なんだマーロウ。お前は馬車回しの前でウォルシンガムを待っているはずではなかったか?」
先ほどは下の名前で呼んでいたのに、ファミリーネーム呼びに戻っている。
「あまりに遅いので探しに来たのです。イーサン卿に聞けば、ここではないかと」
「イーサンめ」
イライジャは立ち上がると、ハンチング帽を目深に被り、泥のついた手袋をした。
「では、ウォルシンガム。今日はゆっくり休め。また明日、この先の話をしよう」
すっかりいつもの様子に戻ったイライジャは、庭園の奥へと消えていった。
「メイ! 一人で陛下についていっちゃダメじゃないか!」
「そんな、子どもじゃ無いんだから。それに他の人間に聞かれたくない話もあるかもしれないじゃないか」
「そういう時は僕も呼んで。君はもう少し、自分が女の子だっていう自覚を持った方がいい」
メイの頬が、リンゴのように染まる。
「あ……」
それを見たジェイコブの顔が、真っ青になった。
「まさか何か……」
「ない! 何もないよ! さあ、行こうジェイコブ、みんなが待っている。昼の公演に間に合わなくなってしまうよ!」
慌てて駆け出すメイをジェイコブが追う。
スパイマスターの娘が行く未来は、果たして明るいものとなるのだろうか。
どちらにせよ危険な旅路になることは間違いない。
それでも。下を向くことがあっても、傷つくことがあっても、メイは上を向いて生きていく。
父の背中を追い、若き王と手を取り合い、自分の力で未来を築いていく。そう、メイは決めていた。
この先、どんなに過酷な運命が待っていようとも。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
これにて一部完結です。
この続きは、「運命の恋中編コンテスト」終了後に投稿予定です!
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