第12話 空賊アストラム

 エイハブの漁港の奥、人目にはつきにくい粗末な桟橋に、案内人と思しき男を乗せた小舟が浮いていた。


 長身で、薄汚れた白いシャツに裾の絞れた薄茶色のズボンを着ており、髪は癖毛なのかうねっている。葉巻をふかし、まるで汚いものを見るかのようにこちらを睨んでいる。しかし薄青い瞳には獣のような迫力があった。


「あなたが、案内人のアドルフですね。お迎え感謝いたします。今回の交渉人を務めます、ウォルシンガムと申します」


「……お前がイカルガ王からの使いだな。ずいぶんとまあちっこいやつをよこしたもんだな。王の元にはお前みたいなのしかもういないのか?」


 あからさまな侮蔑と挑発。しかしこういう手合いには慣れている。

 劇団のロビーでも、宮殿でも、毎日こういう態度を取られてきた。


 メイは敵意がないことをアピールするように、柔らかく微笑む。今はつば広の帽子を目深に被っているため、相手からはメイの口元しか見えない。


「後ろに立ってるところを見るに、そっちの綺麗なにいちゃんがお付きか。こっちはこのちっこいやつの首を刎ねるのが楽でいいけどよ。お前はそれでいいのか? え? 良心が痛まねえのか?」


 アドルフはジェイコブを嘲笑う。しかし彼は顔色ひとつかえず、いつも女性たちを誘惑するその美しい笑みで返す。


「僕は交渉役のウォルシンガムを補佐するためにここにおります。それに今回は首を取られることはないかと」


 動揺がまったく感じられないジェイコブの顔を見て、アドルフは心底不快そうな顔をした。


「ふん、どうだかな」


 三人を乗せた小舟は、エイハブから漕ぐこと半刻、小さな無人島へと辿り着いた。


 アドルフが指笛を吹く。すると上空の雲の中から、見たこともない大きさの船が現れた。


 無人島をすっぽりと覆うほどの影を落としたその船を、メイは緊張の面持ちで見上げる。


「これが……ガリレオ」


 まるで空に浮かぶ黒い要塞だ。

 形は海賊船に似ているが、船からは四つの翼が生えており、それぞれが独立して動いていた。

 機械技術と魔法の融合したような、不思議ないでたちの美しい船に、メイもジェイコブも驚きを隠せないでいる。


「これが俺たちの家さ。どうだ、立派だろう」


「はい。とても、とても立派で美しいと思います。この感動を言葉に現したいのですが、うまくできなくて困っています」


 交渉人の素直な感想に、アドルフはどう返答したら良いかわからなくなってしまったのか、押し黙った。想定外の反応だったのだろう。


 船からハシゴが下ろされると、アドルフに上るように顎で促された。


 一歩一歩、慣れない縄梯子を登り、ガリレオが近づくにつれ、脂っぽい強烈な臭いが鼻をついた。船底やロープの防水のためにタールを塗ると聞いたことがある。ガリレオは水陸両用であると聞く。この船が黒いのもタールを塗りこんでいるせいだろう。


 ハシゴの終わりが見えれば、心臓の鼓動が速さを増していく。船べりに手をかけ甲板に足を踏み入れた瞬間、大勢の空賊たちに出迎えられた。


 左目が潰れているのか、眼帯をしている男。隻腕の大男。今にも飛びかかってきそうなほどに、闘争心をむき出しにしている男。


 ひと目見て荒くれ者とわかる三十人ちかい人間たちが、ひしめき合いながらメイを検分している。議員たちとはまた違った圧があった。


「随分小せえ奴が来たなあ。まさか子どもじゃねえだろうなぁ」


「イカルガ王は俺たちを舐めてやがる。今回も交渉決裂で決まりだな」


「前回の二人は首を刎ねただけだからな、もっと残酷なやり方で殺して返してやるのがいいだろう」


 下卑た笑いがあたりに広がる。メイの後ろからジェイコブが現れれば、笑いはいっそう大きくなった。


「おいおいおい、マジかよ。その辺の舞台役者でも集めてつれてきたのか?」


 頭上では鮮やかな赤い羽をもつオウムが旋回している。「はらわたを引き摺り出せ! 眼球を抉り出せ!」などという物騒な言葉で鳴いているところを見るに、この船で飼われているのだろう。


 雰囲気に押しつぶされそうになる。足はすくみ、前に進むことができずにいた。


 メイの肩に手が乗せられる。温かく大きな手の感触は、長く同じ道を歩んでくれた友のもの。


「メイ、大丈夫だ。これまであんなに準備をしてきたじゃないか。僕が保証する。君はきっとやり遂げられる」


 ジェイコブにそう声をかけられ、歯を噛み締めた。

 ポケットに忍ばせていた、ペンダントを握りしめる。


 ––––これが初仕事。まだ始まってさえいない。


 できることはすべてやって来た。

 あとは勇気を振り絞るのみ。


 心を落ち着かせるように小さく息を吐くと、メイは脱帽し、舞台で観客に挨拶をするように、流れるような礼をする。


 顔を上げたメイを見た空賊たちは、ギョッとした。


「女だ」


「なんで使者が女なんだ?」


「でも男装してる」


 前に一歩、二歩と進みでる。そして出てくる気配のない、目的の人物の名前を呼んだ。


「アルバート・ドレーク卿! 王の使いとして参りました、メイ・ウォルシンガムです。こちらは立会人のジェイコブ・マーロウ。ご挨拶をさせていただけませんか!」


「なかなか威勢のいい嬢ちゃんじゃねえの」


 声は、背後から聞こえた。振り返れば、声の主はアドルフ。彼が長い両腕を広げれば、豪華な金の刺繍が施された濃紺の上着を、船員が彼に着せた。


「あなたが、ドレーク卿?」


 オウムが口に咥えてきた黒いつば広帽を被りながら、彼は答える。


「そうさ。王の使いってぇのはよォ、俺たちを見下した態度をとる奴が多いんだよな。俺の前では繕っていても、案内人の部下に不遜な態度をとる人間ばかり。だから俺自ら案内人として、やってくる人間の品定めをしているんだよ」


 スキンヘッドの男が、ドレークに椅子を用意する。メイたちの近くにいた男たちも、ドレークに向かい合う形で二人分の椅子を用意した。


 –––ヴィルヘルムたちは、初手からしくじっていたんだな。


 ようやく交渉のテーブルには立てたようだと、メイは胸を撫で下ろす。だが、今は第一関門をクリアしただけ。本番はこれからだ。


「交渉内容を聞こう。場合によってはお前も前の二人と同じ目にあうぞ。ああ、いかん、そうかお前は女だから殺すことはできないなぁ」


 ドレークの顔がぐいと近づく。黒く汚れた指先が、メイの頬をなぜ、葉巻の匂いが鼻をつく。


「処刑をするのは、立会人の色男にしようか。それとも首を切る代わり、お前が俺の相手を一晩するか? 俺一人でご不満なら、ここにいる紳士どもの相手もしてもらって構わない」


 いやらしい笑い声が周囲から上がる。

 メイは視線を外さず、ドレークを見据えた。


 記者が言っていた。「彼らは仕事を簡単にするため、自分たちの極悪非道な行いを、センセーショナルに世に広めているのだ」と。

 彼らは過去二回の悲劇を使って脅しをかけようとしている。

 そしてアストラムに優位な条件で交渉を進めようとしているのだ。


「処刑の方法を決めるのは、交渉が決裂してからではないですか?」


 琥珀色の瞳が鋭さを増す。ドレークは珍しいものでも見たかのように、まじまじとメイの顔を見た。


「……小せえが、肝は座ってるなぁ、アンタ。よし、話を聞いてやろう」


「まず、これまでのイカルガ王国の使者の振る舞いをお詫びいたします」


「お詫び……?」


 ドレークは椅子にそっくりかえり、頬杖をついて不思議そうな顔をする。


「なぜだ、なぜ詫びる? 言ってみろ」


「対等な立場であるべき相手に、これまで不躾な態度で交渉を持ちかけて来たことを、イカルガの使者としてお詫びします」


「対等、だと?」


「アストラムは、空と海を制する唯一無二の空賊。優れた戒律により、船内の治安を守り、団員の団結力を確かなものにしています。決め事については民主的に話し合い、決まらぬ場合は多数決を取る。王政とは異なりますが、これも一つの国家の形ではないかと私は思います。ある意味では王政よりも進んだ統治の形かもしれない」


 ドレークの青い瞳が細められる。先ほどのふざけた調子とは変わり、表情は真面目なものになっていた。


 彼の表情を注意深く観察しながら、メイは続ける。


「負傷した船員には慰労金が出され、以後も勤め続ける場合は残った障害の程度により、毎回の分前は割り増しされる。こうした仕組みは王国にはありません。あなた方のことを知るたび、私は敬意を強めました」


「よく俺たちのことを調べているな」


「仲良くなりたい相手のことを知ろうとするのは、自然なことです」


 仲良く、ねぇ、とドレイクは笑う。

 しかし初めとは違い、そこに侮蔑の色はなかった。


「だがそれでも俺たちは空賊だ。人を殺し、金を奪っている。悪党であることに変わりはない。その俺たちを対等な相手としていいのか? 使者さんよ」


 口を挟んだドレイクに、メイは笑いかける。


「それは国家でも同じこと。王は民から税を徴収し、脅威となる者たちがいれば残虐な方法で拷問し、殺します」


 イライジャがそうするとは思わない。

 だが、記憶に新しいアメリの治世は、実質空賊の支配よりも酷いものだった。


 椅子に座っていたドレークは、メイの言葉を聞き、椅子がひっくり返るかと思うほどにのけぞって笑う。


「さらにあなた方は、アストラムの悪名で脅しをかけて積み荷を奪うことはすれど、記事に書かれているような民間人に対する残虐な拷問は行なっていない。相手が海賊の場合は容赦ないようですが。調べを進めていてわかったことです。それに海上で遭難した船の救助、沿岸の町を襲う海賊の駆逐なども行っているご様子。しかしそうした善行は、人の目に触れないように巧みに隠されている」


「その辺のことは絶対外には漏らすなよ、営業妨害だ」


 あまりに笑って出た涙を、ドレークは袖で拭うと、好意的な笑顔をメイに向けた。


「そうか、同じか。王の使いにそんなことを言われるとは思わなかった」


 彼らは根っからの極悪人ではない。そうメイは調査を通じて思ったのだ。犯罪行為を一切していないわけではない。だが、彼らは命を弄ぶことはしていない。自分たちの縄張りを平和に保ち、社会から爪弾きにされた船員たちが、よりよく生きるために必要なことをやっているだけ。


 空と海を故郷にする者としての誇りを持ち、自分たちなりの信念に基づき行動している。そう感じていた。


「はい、そしてここからは、イカルガ王から空と海の王への提案です。イカルガは未来ある空賊団に、新大陸開拓、および通商交渉、また国家防衛への協力をお願いする代わり、出資をしたいと思っています」


「出資ってことは、金は色をつけて返さなきゃならないってことだな。まあそこはおいおい調整するとして。航海や戦いで得た利益はどうなる。俺たちの取り分はもちろんあるんだろうな?」


「取り分は五対五でいかがでしょう」


 周囲から怒号がなる。少なすぎる、舐めているのかと男たちが声を上げた。


「うるせえ、黙んなお前ら。俺は今この嬢ちゃんと話をしている。嬢ちゃん、なぜ五対五なんだ。俺たちは体張って仕事するわけだろう。俺たちの取り分が多くて当然だろうが」


 メイはその質問を待っていた。王から指定された取り分は四対六。ドレークたちの取り分を多くしていいと言われている。だが、国庫が困窮している今、イカルガの利益は多い方がいい。


「これは、王と王との契約ではありませんか。それならば、対等であるべきでしょう?」


 場は静まり返った。誰もが言葉を口にすることはできなかったが、視線は敵意に満ちたものではなくなっていた。


 ドレークは立ち上がり、メイの前に跪く。そして小さな手を取ると、その甲に口付けを落とした。


 隣にいるジェイコブがびくりとしたのが目の端で見えたが、結局彼はドレークを睨みつけたまま、動かずにいる。


「メイ・ウォルシンガム。俺の完敗だ。その条件で協力しよう」


 メイは緊張から解き放たれ、頬が緩むのを感じる。


「ありがとうございます! ドレーク卿!」


 好意的な眼差しをこちらに向けたドレークは、メイの手をひき、自分の近くに引き寄せた。


「いい笑顔だねえ、勇敢なお嬢ちゃん。お嬢ちゃんさえ良ければ、俺と一晩……」


「ウォルシンガムはこのあと仕事が残っておりますので」


 流石に口を挟まずにいられなかったらしいジェイコブがそう言えば、ドレークは吹き出す。


「冗談だよ色男。まあ、仕事まではまだあるだろ? 野郎どもラム酒を用意しろ、王の使者と契約の宴だ!」


 揶揄われたと思ったらしいジェイコブは、不満そうな顔をしながらも、渡された樽のジョッキを持つ。


 地獄のような空間が、賑やかな宴の席へと変わっていく。


 ––––なんとか、やり遂げられた。


 体験したことのない高揚感と達成感。

 メイは初めての仕事の成功に酔っていた。

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