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わたしは奏真のことを別れてからも好きだったんじゃないんだ。

わたしはたぶん、奏真のことを本気で愛していた自分のことが大好きで、忘れられなくて、胸がきゅっとなって、奏真のことをこんなにも好きなんだと勘違いしていた。

自己愛だったのだ。それも、好きな人を好きでいた自分が好きだという、歪んだ自己愛。


「さよなら」


怒るのでもなく、悲しむのでもなく、わたしは笑って奏真に手を振った。頭のおかしなやつだと思われたに違いない。だけどわたしはこみ上げてくる笑いが止まらなかった。なんて滑稽なんだろう。わたし、恋と自己愛すらも区別がついてなかったなんて。

水平線に夕日が沈んでいく。真っ赤に染め上げられた奏真の顔が驚きで強張っていた。

ああ、なんて綺麗なんだろう。

この美しい景色は、100年後も1000年後も消えてなくなることはないんだろうな。

変わらずに誰かの心を感動させるんだろう。

わたしのこの厄介な気持ちも、奏真の心を支配しているわたしの次に付き合った元カノへの気持ちも、なくなることはないのかもしれない。

だけど、わたしは願わずにはいられない。

この気持ちがある限り、わたしはもう誰のことも好きになどなれない気がするから。

わたしの歪んだ自己愛なんて、色褪せて、消えてなくなれ。


「菜乃花」


何を伝えたいのか、夕日を背にして砂を踏み締めたわたしの腕を奏真が掴む。その目が「もう帰るのか」と聞いている。「もう会わないのか。もう終わりなのか」と訴えている。「お前の気持ちはそれまでだったのか」と。

わたしは何も言わず、奏真の腕を振り払う。決して痛みなどない。奏真を想う自分は幻想だった。

視界から彼の姿が消えた。波の音が次第に遠くなって行く。二人分の足跡のついた砂の上を、ひとり転げそうになりながら歩く。

後ろを振り返ればきっと夕日がいよいよ水平線に沈んでいく幻想的な風景が見られるんだろうけれど。そんなことよりもわたしはお腹が空いていた。家に帰ったらまた、手作りのスープカレーを食べよっと。



【終わり】

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色褪せて、消えてなくなれ 葉方萌生 @moeri_185515

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