8


「わたし奏真のこと好きなの。奏真しか好きになれないの」


誰の口から漏れたんだろうと、他人事のように思う。

それはたぶん奏真にとっては暴力的な言葉。5年間、いや奏真に片想いを始めてから8年間、わたしのそばに寄り添って消えずにいた気持ちが、ただ「今でもここにいるよ」って呟いただけの。

奏真はわたしの身から放たれたありふれた気持ちの残骸を聞いて、ふうと息を吐いた。


「そうか」


徐に立ち上がり、わたしから少し離れて掌についた砂を払い落とす。地面に落ちていく砂の粒を、わたしはぼんやりと眺める。


「……俺さ、この前菜乃花と偶然会って、本当に懐かしいなって思って」


「うん」


「あの時は若くて……って、こんなこと言ったら会社のおっさんたちに怒られそうだけどよ。若くて、青くて、俺もまだ子供で。菜乃花のちょっとした言動に苛立って別れちまったんだけど」


そうだったのか。わたしの言動に、苛立って。


「もしかしたら、5年経ったいま、違う見方ができるんじゃないかって。……もう一度好きになるかもって思って、今日誘ったんだ」


身体中の神経が研ぎ澄まされて、波の音も遠くでウミネコが鳴いている声も、何もかも聞こえなくなる。奏真の言葉だけを拾おうと必死になっている。


「だけど」


奏真は悲しそうな表情でわたしを見た。わたしは、顔の筋肉が引きつっていく。


「……やっぱり違った。俺はたぶんもう、菜乃花のことを好きにならない」


奏真はポケットからタオルを取り出して砂塗れの掌を拭う。例の、わたしの次に付き合った相手が好きだったバンドのロゴが刺繍されていた。

ずいぶん勝手だと思う。あのインフレーション・ケーキの売っている店よりも客のことを——この場合わたしのことを、馬鹿にしている。

ざぶん、と一際大きな波が起きて、水しぶきがわたしたちの元に降りかかる。立っていた奏真はすっと避けたがわたしは潮まみれになった。あーあ、このスカート、お気に入りだったのに。

わたしも奏真と同じように立ち上がり、全身に降りかかった潮水をタオルで拭いた。


「そっか」


波が引くと同時に、わたしの中で何かがすっと引いていくのを感じた。

思えばわたしにだってあったのだ。奏真のことを、鬱陶しいと思う瞬間が。

奏真は自分に都合の悪いことがあると、決まって不機嫌になる。たとえわたしが原因でなくても、わたしに対して口を利かなくなり、せっかくの楽しいデートが台無しになったことも少なくない。悲しく濁った気持ちを抱えたままデートを終えた日、とんでもなく後味が悪かったのに、彼と別れてから5年間、そういう負の部分には蓋をして美化された思い出だけに浸っていた。

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