第 拾 話

 黒い木による『辻斬事件』から終日過ぎた、早朝。

 登り始めたお天道さんもまだ寝ぼけているであろう時間帯に、オレ達は旅立つ事にした。

 ここから都までは百里以上離れており、途中の村々で休憩しながら進む必要がある。

 もちろん、オレ一人であれば三日三晩休まず歩き続けても問題ないのだが──。


「円さん、準備は良いですか?」

「その問い掛け何回目だ? そんな気ぃ張って準備しなくても大丈夫だっての」


 人間である桃次郎の体力を考慮すると、無理は出来ない。

 今回、出発の日を遅らせたのも、桃次郎の回復を待つためだ。

 オレは多少の怪我であれば、一日二日で完治してしまうので関係ないが、人間である桃次郎はそうはいかない。

 急ぐ旅ではあるが、一緒に行くと決めた以上、ある程度は合わせてやらなければいけないわけだが……、旅立つ前から既に後悔し始めていた。


「いやいや、旅は何があるか分かりません。準備も万全にしておかなくては」

「ったく、これだから素人は困る。荷物の重さで苦労する事を知らねぇ」

「いや、円さんが軽装過ぎるんですよ? もっと備えて下さい」


 オレは全力で拒否したが、結局、桃次郎が用意した振り分け荷物を持たされる羽目になってしまった。

 桃次郎はオレに押し付けた物より更に大きい振り分け荷物を肩に掛けている。


「……ったく、とんでもなく過保護な奴に目ぇ付けられちまったな」


 オレは呆れながら溜め息を吐いて、改めて桃次郎を見た。


「……ってか、桃次郎。その格好で行くのか?」


 桃次郎は相変わらず童女の格好をしている。

 薄紅うすべに色の小袖を身に纏って髪を下ろした姿は、初めて桃次郎──当時は『燈子』と名乗っていたが──を助けた時の印象そのままだった。

 花のような童女(男)は、少し照れ臭そうに笑いながら口を開く。


「えっと、……実は、ずっと女装していたせいで、女装じゃないと落ち着かなくなってしまいまして」

「おいおい、本気か?」

「やはり、変……でしょうか?」


 狙ってやっているのか、桃次郎は困った表情を見せながら小首を傾げる。

 女よりも女らしい仕草に、オレはただただ感服するしかない。


「……別に変じゃない。良く似合ってるんじゃないか?」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ここ数日間で、桃次郎はよく笑うようになった。

 『辻斬事件』を通して、桃次郎が内に秘めていたわだかまりが解消され、精神的に余裕が出来始めたのだろう。


「あ、そうだ。旅立つ前に、円さんにこちらをお贈りします」

「……ん? これは?」


 桃次郎は袖口から一つのかんざしを取り出してオレに手渡してきた。

 先端に桃の花の装飾が付いた簪。

 確か桃次郎が総髪にした際に付けていた物だったはずだ。


「……貰って良いのか?」

「は、はい! 是非受け取って下さい」


 何故か緊張した様子の桃次郎に疑問を抱きつつも、オレは簪を受け取る事にした。


「花咲老に特殊な加工をして頂きました。これを付けていれば、円さんが使っていた髪紐と同じ隠蔽・抑制効果が得られます」

「……じじぃめ。だから今の今まで新しい髪紐を寄越さなかったのか」


 オレは今、鬼としての力と素性を常に晒している状態になっている。

 この村の連中は、魔狩媼の根回しによってすんなり受け入れていた。

 だが今後、人間の村や都に入る際、鬼である事がバレると何かと厄介だし、有り余る力を制御しながら行動するのは非常に面倒だ。

 人間の作った物は、どれもこれも脆過ぎる。


「じゃ、早速──って、どうやって付けりゃ良いんだ?」


 オレが苦戦していると、桃次郎が簪を手に取りながら口を開く。


「あぁ、僕が代わりに付けますよ。円さんは鏡で様子でも見てて下さい」


 そう言うと桃次郎は鏡を取り出してオレに手渡してきた。

 鏡を覗き込むと、肩まで伸ばしっぱなしになっている紅い髪を生やした仏頂面が、オレを見返して──。


「ひゃっ⁉︎ き、急に始めるんじゃねぇ!」


 慣れない感触が頭に伝わり、思わず変な声を上げてしまった。

 オレの後ろに移動した桃次郎が、くしでオレの髪を整え始めたのだ。 


「す、すみません。すぐに済みますから」

「うぅっ……。は、早くしてくれ!」


 一定の間隔で伝わってくる感触に震えそうになるのを必死に我慢した。

 全身の毛が逆立ったような錯覚を覚えた頃に、やっと解放される。


「はい、終わりました。……うん、思っていた通り、よく似合ってますよ」

「そう、か。……ふぅ、とんでもない目にあった」


 鏡越しに改めて自分を見ると、一度根本から結って持ち上げた後ろ髪を纏め、簪を刺して止めていた。

 オレが頭を動かす度に、簪に付いている桃の花の装飾が揺れる。

 髪色が黒に変わっていき、力の制御具合も、髪紐を使用していた時のものと遜色ない状態になっていた。


「思いの外、しっかり固定出来ましたので、多少激しく動いても大丈夫だと思います」

「あ、あぁ、……分かった」


 ──ありがとう。


 自然と感謝の言葉が零れた。

 そして、溢した自分に驚く。


「え? 今、最後になんと仰ったんですか?」

「う、うるせー! 何も言ってねぇ! つーか、何でお礼の品が簪なんだよ?」


 聞こえるとは思っていなかったので、オレは鏡を桃次郎に投げ付けながら話題を逸らす。

 慌てて鏡を受け取った桃次郎は、意外な反応を示した。


「……え、まさか円さん。簪を贈る意味を、ご存知でない?」


 オレに問い返しながら、ちょっと引いている?

 まるで信じられない物を見るような、絶望を含んだ表情に、オレはただただ困惑した。


「し、知る訳ねーだろ。人間の文化なんざ、興味ねーっての」

「……ハァァァァ。そっか、……いや、確かにそうですよねぇ」


 オレの言葉を聞いた桃次郎は、くっそでかい溜め息を吐きながら肩を落とす。

 何事かと思い、声を掛けようと思ったが、桃次郎はうわ言のようにブツブツと何かを呟いていた。


『まぁ、分からないのであれば仕方がないですが、受け取ってくれたのだから、まだ可能性はありますね。いや、逆に考えれば、これからじっくりと意識して貰えば良いだけの話だから何ら問題はないですし、むしろ受け取って貰えた事の方が重要な訳で──』


 長ぇし、ボソボソ言ってて聞き取れねぇしで、桃次郎に初めて恐怖を覚えた。

 目線も何処見てるか分かんねぇし、何がどうしたってんだ?


「……調子悪いなら置いてくぞ? じゃあな」

「──あっ! ま、待って下さい、円さん!」


 桃次郎を放って置いて、さっさと出発する事にした。

 慌てた桃次郎の足音が後ろから追いかけて来る。

 一族を失い、独りになってから始まった旅路は、いつの間にか二人旅になった。

 桃次郎が何処まで付き合ってくれるかは分からないが、今はただ、賑やかになった旅を楽しんでいようと思う。



 * * * * *



 むかしむかし、ある所に故郷を追われた鬼娘がいた。

 鬼娘は山で修業し、仇を追って麓に下りる。

 麓の村には一人の童女がいた。

 否、童女と見間違うほど美しい花のような少年だ。

 鬼娘は少年と出会い、争い、助け合い、絆を深めながら旅をした。

 決して楽な道のりではなかったけれど、二人であれば乗り切れる。

 旅の果てに鬼娘は見事に目的を果たした。

 後に二人がどうなったのか、知る者は誰もいない。

 めでたし、めでたし。

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ペシェ 〜 罪の在処 〜 松雪 誠 @m2h2_Matsuyuki

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