第 玖 話
遠山から顔を出した太陽の光が、河原の散荒れ果てた姿を照らし始める。
大元である黒い桃の木を桃次郎が切った事で、操られていた死体達は服や刀を残して消滅した。
生前、死後と散々弄ばれた結果、死体も残せずに消されてしまうのは、さぞ悔しいだろうが、せめて安らかに成仏出来ればと心の底から思う。
他人の冥福を祈るとか、オレも随分と丸くなったもんだ。
緊張の糸が切れたオレは、その場に腰を下ろして深い溜め息を吐いた。
「円さん、体の方は大丈夫ですか?」
桃次郎が小走りに近付いてきて、オレの前で片膝を付く。
顔を上げて桃次郎の顔を見ると、凄く心配そうな表情をしていた。
黒い桃を取り込んだ影響で変色していた肌や瞳は、それぞれ元の状態に戻っている。
後遺症のような物が残らなければ良いが……。
「あぁ、ちょっと疲れただけだ。……ありがとな」
「い、いえ、そんなお礼を言われるような事は──って、円さん、ほぼ裸じゃないですか⁉」
ふと気が付いたのか、桃次郎は顔を真っ赤にして目を背けた。
本当、急にどうした?
「ちゃんと
「年頃の女性が肌を見せびらかしてはいけません! と、とりあえず、これを羽織って下さい!」
桃次郎はこちらに目を向けず、自分の来ていた紋付羽織を脱いでオレに手渡してきた。
「んだよ、仕方がねぇな……」
そのあまりの必死さに圧倒されたオレは、素直に受け取って紋付羽織を着る事にした。
まぁ、少し肌寒かったから、丁度良い。
桃次郎と同じ匂いがオレを包み込む感覚に、何故だかむず痒さを覚える。
別に嫌な訳ではない、けどな。
「ほっほっほ、青春しとるのぅ。まるで、儂らの若い頃のようじゃないか、媼さん」
「どうだかな。少なくとも、こんなウジウジした感じではなかったが」
談笑しながらこちらに近付いてくる気配がしたので、そちらに顔を向ける。
一人は、魔狩媼だとすぐに分かった。
もう一人は──。
「じじぃ!? なんで、じじぃがここにいる!?」
じじぃ、こと『
かつて故郷を追われ、路頭に迷っていたオレを拾った酔狂な爺さんだ。
小綺麗な小袖を身に纏い、歳を感じさせない軽快な足取りでこちらに近付いてきている。
じじぃは山に居を構えていて、滅多に下りて来ないはずだが──。
「ちょいと、お前さんの様子を見に山から下りてきたんじゃ。……その様子じゃ、なかなか『えんじょい』しておるようじゃの」
「ハッ! 寝言は寝て言え、クソじじぃ。アンタのせいで散々な目にあったぞ」
「そうかの? まぁ、退屈するよりは良いじゃろて」
桃太郎を追う事をじじぃに告げた時、山の麓にある村の寺子屋に向かえとじじぃは言ってきた。
闇雲に探すよりは良いと思ったのが運尽きだ。
「花咲老……ご無沙汰しております」
桃次郎が畏まった挨拶をしながら、じじぃに向かって頭を下げる。
じじぃは嬉しそうに笑顔を見せながら口を開く。
「やっほぃ、桃次郎。良い感じに吹っ切れたみたいじゃな」
「はい、円さんのお陰です」
「ほっほ、そいつは
じじぃは桃次郎に満面の笑みを見せた後、オレの方に目線を動かした。
「……」
「そんな嫌そうな顔をするでない、円。ここでの暮らしも、悪くはないであろう?」
「この惨状を見て、よくそんな事が言えるな、クソじじぃ」
激戦の跡が残る河原は、どう見ても『悪くない』と言えるような光景ではない。
「ほっほ、生きていれば儲けもんじゃて。良き出会いもあったであろう?」
「……それは、まぁ、そうだな」
それは、否定しようがない。
オレは隣にいる桃次郎の横顔を無意識に見てしまった。
すぐに気付いて目線をじじぃに戻す。
「そ、それで? 何しに来たんだよ? 黒い桃の木なら、ご覧の有様だぜ?」
「あぁ、ご苦労だった。ここまでしてくれたのなら、後は燃やすだけだ」
媼はそう言うと、黒い木の前まで移動して、懐から取り出した火打石を打ち鳴らした。
程なくして、黒い木は勢いよく燃え上がる。
「これで後処理も終わりだ。また流れ着いたりしない限りは、黒い木の脅威はないだろう」
「……結局、こいつは何だったんだ?」
「……さてな。何処から生まれ、何が目的なのか。皆目見当もつかん」
媼は燃え上がる黒い木を見ながら呟くように答えると、何処か感傷に浸るような表情を見せた。
「桃なら何か知っているかもしれんぞ」
「翁……」
媼が何か言いたげな表情で翁を見た。
「媼さんや、これも何かの導きじゃ。儂らが桃を拾った時のように、また何か大きな運命の兆しを感じるんじゃよ」
「……どうなっても知らんぞ?」
媼は呆れながら溜め息を吐くと、静かに口を閉ざして再び黒い木の方に目線を戻す。
大部分が燃えた事で、火の勢いはだいぶ弱くなっている。
「花咲老、何故父なら知っていると仰るのですか?」
桃次郎が問い掛けると、じじぃは真剣な表情で質問に答えた。
「かつて桃が鬼ヶ島から帰った時の土産話に『黒い木』について語っていた時があったのだ」
「そう、なんですか……」
「その時は、話半分にしか聞いていなかったが……、こんな事になるなら書物にでも残してもらえば良かったのぅ」
じじぃは申し訳なさそうな表情を見せる。
結局、現時点では『黒い木』についての事は何一つ分からない、とういう事だな。
だが──。
「正直、そんな事はどうでも良い」
「え?」
桃次郎が驚いた表情を見せながらオレの方に顔を向ける。
「オレ達は『正義の味方』でも何でもない。たまたまこの村で『黒い木』の被害に遭ったに過ぎない」
「それは、そうですが……」
「脅威は退けた。オレは本来の目的に戻るだけだ。『桃太郎に復讐する』という目的にな」
「円さん……」
桃次郎的には反応に困るだろうが、オレはオレの『生きる目的』を見失うわけにはいかなかった。
誰かを恨む事でしかオレは生きられない。
少なくとも、今は、まだ。
オレは立ち上がって、媼に声を掛ける。
「媼さんよ。最初にアンタから言われた事は全て片付けた。『桃太郎』の居場所を教えろ」
「……都だ。桃太郎は都にいる」
そこら辺に転がっていた刀で黒い木の燃えカスを突いていた媼は、こちらに一瞥もくれずに短く答えた。
散々勿体ぶったくせに、やけにアッサリと答えるもんだな。
「何だよ、思ったより目立つ所に住んでんじゃねぇか」
燃えカスを全て崩した媼は、手にしていた刀を燃えカスの上に放り投げる。
一礼の後に合掌して、とりあえずの供養を締めくくった後、オレの方に顔を向けて口を開いた。
「今も住んでいるとは限らん。だが、当てもなく彷徨うよりは幾分かマシだろう?」
「そうだな。……これで、やっと奴を追う事が出来る」
「……円さん」
横にいた桃次郎がオレに声を掛けてくる。
桃次郎は、何処か思い詰めたような表情を見せていた。
「この村に、残る気はありませんか?」
「ないな」
桃次郎の提案に、オレは即答して拒否した。
この村での出来事は、──いや、違うな。
桃次郎との出会いは、オレにとって別の可能性を感じさせてくれる、とても穏やかな日々だった。
当初の目的を一瞬忘れてしまうような、平穏が見えた気がしたんだ。
だけど、そちら側には行けない。
奴を……桃太郎を探し出し、復讐を果たす。
『
「……分かりました。仕方がないですね」
「悪いな。お前との日々も、悪くはなかっ──」
「僕も貴女に付いて行きます」
桃次郎は食い気味に、よく分からない事を言い出した。
聞き間違えたか?
「……は?」
「ですから、僕も貴女の旅に付いて行くと言っているんです」
聞き間違いじゃなかった。
嘘や冗談ではない事は、桃次郎の表情を見れば解る。
いつも通りの真剣な表情に加えて、覚悟を決めた漢の表情をしてやがった。
……コイツは筋金入りの馬鹿野郎かもしれない。
「本気か、お前? この旅はお前の親父に復讐する為の旅だ。……邪魔する気なら、容赦はしねぇぞ?」
身構えるオレに対して、桃次郎は首を横に振る。
「邪魔なんてしません。僕も父上に聞きたい事があるんです。ですので、二人で一緒に探しませんか、という提案なんですが?」
「……」
「それに、ここで貴女を一人で行かせてしまったら、僕はきっと後悔する。ですから、まぁ、断られても付いて行くつもりです」
「……ふふっ」
オレは思わず、笑ってしまった。
拒否権も何もあったもんじゃない。
オレへの迷惑度外視で自分の都合を優先しますって宣言されちまった。
「面白れぇ、言うようになったじゃねぇか。良いぜ、勝手に付いて来い」
「えへへ、ありがとうございます。そうさせて頂きます」
無邪気な子供のような笑顔を見せながら、桃次郎は満足そうに返事をする。
オレは溜め息を吐きながらも、口元が緩むのを感じて桃次郎から顔を背けた。
ふと気が付いて空を見上げると、二羽の鳥が遠い空の向こうに飛んでいく姿を見付ける。
仲良く並行して飛んでいく姿を誰かと重ねてしまい、自然と笑みが零れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます