『自戒―フラストレイテッド・オーサー―』

小田舵木

『自戒―フラストレイテッド・オーサー―』

 男は不満だった。

 何故。自分が心血を注いだ作品に読者がつかぬのか、と。

 男はアマチュアの物書きであり。小説投稿サイトにポストし続けていた。

 だが。彼の作品には思ったように読者がつかないのであった。

 はたから見れば不毛な思いであるが。彼にとっては真剣な悩みなのであった。

 

 俺は作品に心血を注いでいる。

 持てる全てを作品にぶつけている。

 だのに。回りの阿呆あほうは読みもしない…

 これが男の怒りを強めていくのであった。

 

 男は気付いていない。

 

 文章とは。コミュニケーションである。

 作品を読んで欲しければ。読者の方へ向かっていく必要がある。

 それが男の軽蔑するような者であれ。

 男は哀れにも。それに気付いていないのであった。

 だから。自己満足のような作品を書き連ね。

 そこに読者がついてくることを哀れに期待している。

 こういうのは負ける試合ってヤツなのである。

 

 小説を自己の分解に使い。そこに満足する男。

 それはなのだ。

 だから。他人が入り込む余地がない。

 男の文章は徹頭徹尾、自分に向かって語られたモノであり。読者が相槌を入れる余地がない。

 それは独り言に似る。彼は公衆の面前で独り言を放ちながら歩き回っている不審者なのだ。

 そんな者に誰が近づこうか。

 私なら避けて歩く。

 子どもの頃に道端で見かけた、大声で独り言を放ちながら歩くおっさんに似ているのだから。

 

                  ◆

 

 男は傲慢であった。

 自らの作品を優れていると思い込んでいた。

 作者はとかく傲慢になりやすい。これは書いている者なら認める事だと思うが。

 自分の作品を書きながら、推敲の為に読み直す。そしてそれを繰り返す。

 すると。どんどん客観性が失われていく。自らの作品に深く埋没していく。

 そうして。自らの視線だけに満たされた作品を書いてしまう。

 ああ。悲しきかな。男に必要なのは主観性ではなく。客観性なのだ。

 

 ウェブに作品を投稿することは。他者の目線を取り入れる事であるが。

 悲しいかな。男には読者があまりついていない。

 そして。どんどんと主観性に満ちた作品ばかりを投稿していく。

 結果として。読者はついてこない。

 これが男の悲劇を回転させる。

 男はフラストレーションを高めていく。

 その原因は自分であると言うのに。まったくそれに気がついてないのだ。

 

 男は小説投稿サイトの自分のページを見て。愕然がくぜんとする。

 俺の作品には―読者がつかない。どうしてだ?

 男も少しは考えて見るが。自らが流行りの作品を書いていないから、という理由を無理やり見つけ出し。そこに満足してしまう。

 

 違う。そうじゃない。

 

 

 お前の作品は。自己満足のような地の文から始まり、自己満足のような結末に帰結する。だから、読者がつかないのだ。

 何故。そこに気が付けないのか?

 男は敢えてそれに気が付かないようにしているとさえ思える。

 男は怖いのだ。自分の文章が人に受け入れてもらえないという事実を知るのが怖いのだ。

 

 そうして。男は今日も怒り狂いながら文章を書く。

 俺の文章を理解せぬ阿呆共。これでも喰らいやがれ―

 彼は間違った方向に努力している。

 客観的に見れば自明の事実だが。人間という生き物は、自己の客観視が出来るように出来ていない。

 

 自らを使い、自らを客観視する。これは難しい事なのである。

 そこには罠がある。自己欺瞞ぎまんだ。

 俺は俺の欠点を理解している―だからお前なんぞより高尚だ。無知の知型の自己欺瞞。

 

 そう。自己の客観視とは罠に満ちたモノなのである。

 このような文章を書いている私さえ。それを免れてはいない。

 私は今、過去の自分をカリカチュアライズして、自己反省を行ってるていであるが。

 過去の自分を反省しているから、自分をカリカチュアライズしているから。

 他の阿呆よりは高尚である…そう思い込もうとしているフシがある。

 ああ。阿呆が阿呆を見て。それを見下している。

 そこには皮肉がある。

 

                  ◆


 私は傲慢だ。

 それを認めなくてならない。

 過去の私は自惚れ屋であった。客観的に自己の文章を省みず。自らが優れてると思い込んでいた。

 それは誰よりも読書をした、という自負心が起こしたモノのようにも思える。

 私は。普通の人間が社会通念を学んでいる時に。それから逃げて文章を読み漁り続けた。

 そして。読めば読むほど。謎に自負心を高めていったのだ。

 俺は人より読書をした。だから人より巧い文章が書ける―

 うん。今、客観的に書きだして。自分のロジックのお粗末さを痛感した次第である。

 文章をいくら読み込もうが。別にそれで巧い文章が書けるようになる訳ではない。

 野球観戦に取り憑かれた男が。自らはプレイしたことないのに、偉そうに他人のプレイを批評したり、自分は巧くプレイ出来ると信じ込んでいるようなものだ。

 

 文章は実践である。

 曲がりなりにもカクヨムに100本以上作品をポストした私はそう言える。

 やらなければ。書かなければ。巧い文章は書けない。

 そして。読者を欲するなれば。受け手の事を考えねばならない。

 

 スピーチに似ているのかも知れないな。作品執筆して、ウェブに投稿するという事は。

 スピーチ。それもまた一見、単方向のコミュニケーションに見えて。実は双方向のコミュニケーションである。

 聞き手を意識して。話し方を変える。時にはアドリブも織り交ぜながら。

 一方通行のスピーチは眠気を誘う。小学校の校長の話みたいなもんだ。

 過去の私は。一方通行のスピーチをしてばかりだった。

 聞き手の事を意識せず。語りっぱなしであった。

 だから読者がついてこなかったのだ―

 とか。反省しているが。未だに私は一人語りの多い男であり。

 こうやって。自己をまな板の上に乗せてさばく事で始めて、その事実に思い当たる。

 

                  ◆

 

 フラストレイテッド・オーサー。

 それが私に付けられるべき名前である。

 

 自らの作品に読者がつかぬことに怒り狂った作者なのである。

 それが自分のせいであれど。それに気付かぬフリをして。今日も駄文を書き続ける。

 まるで。さいの河原の石積みのような心境になる。シーシュポスの心境になる。

 

 だが。それは。全て自分が悪い。

 簡単な自己分析をかければすぐに明らかになる事実。

 お前が自己満足型の文章を書き続ける限り。私はフラストレイテッド・オーサーのままである。

 

 分析をかけている私は。傲慢にも自分の弱点を発見したつもりでいるが。

 それもまた。自己欺瞞の可能性を抜け出せていない。

 

 さて。どうするべきなのか?

 哀れなフラストレイテッド・オーサーの俺は惑う。

 どうすれば。人に語りかける、人に読んでもらえる文章が書けるのか?

 媚びれば良いのか?安易な考えが頭に上るが。

 長々と自己満足で書き続けていた俺は。人に媚びる文章の書き方を知らない。

 そも。媚びてしまえば。俺は俺の個性を失う…

 

 個性。それは捨てがたいモノである。

 そして。創作には一番必要なモノでありながら、一番の邪魔をするモノでもある。

 俺は自我がうるさい。とかく全面に自分を出す悪癖がある。

 それが人を寄せ付けぬ文章を産み出す基盤になっているように思えるが。

 それと同時に一番のアピールポイントでもあり。

 俺は悩む。自我を捨てれば。人を寄せ付ける文章が書けるかも知れない…

 

 とか。

 何で私は妙に自分の文章に自信を持っているのか?

 根拠のない自信である。

 話が逆戻りしてしまうではないか。

 

                  ◆


 何時から私は。読者を追い求める哀れなフラストレイテッド・オーサーになってしまったのか?


 それはウェブに投稿し始めた頃にムクムクと起き上がってしまった感情だ。

 私は。公募作品を書き続ける事に疲れた。

 下読みの方に読んでもらえはするが。読者がつかぬ自分の創作物に疲れ果ててしまったのだ。

 そして。小説投稿サイトを探している内にカクヨムに出会ってしまった。

 これが間違いの始まりなのである。

 私は無邪気に自分の文章を信じていたから。投稿すれば読者がわんさかつくものだと思い込んでいた。

 だが。それは大きな誤りであり。

 私は絶望することになる。

 何故、俺の作品には読者がつかぬのか?

 今は。自分の文章がつまらないと知っているが。その頃の私は知りもしなかったし、知ろうともしてなかった。

 

 俺の文章はつまらない。

 そんな事に思い当たったのは何時のことか。

 多分。修行のように毎日文章をポストしていた頃のように思う。

 今年の1月の末から4月の頃の話である。

 一応は。私の作品にも評価はついていたが。

 それは宣伝をし続けた結果である。日がな一日某SNSに張り付いて宣伝していたからである。

 私の作品は進歩などしていなかった。

 今は確実にそう言える。むしろ退化しているフシさえあったように思う。

 

 私は評価を求める虚しい作者に成り下がっていた。

 評価ゾンビと形容出来る位に。

 毎日、自分のページを見て。プレヴュー数に一喜一憂していた。

 それが自分の文章を研鑽することに繋がらぬと分かっていながら、評価だけを求めるゾンビに成り下がっていた。

 

 そうして。私は壊れる。

 文章を書き続ける事に疲れてしまったのだ。

 だが。そこには皮肉がある。

 自己の文章の研鑽をサボりながら、毎日駄文を垂れ流して、評価を下げて絶望した哀れな物書き。それが私であり。

 

                  ◆

 

 私は過去の自分をフラストレイテッド・オーサーとしてカリカチュアしているが。

 私は未だに今まで書いてきたような心境から逃れていないと思う。

 何度でも言うが、私は傲慢な男なのだ。

 

 こうやって。自己反省型のエッセイを書いているのだって。

 同情を誘う為のモノであり。私はそこに汚さを感じる。

 私は小出しに自分の弱点と思われるモノを陳列し。読者に媚びているのだ―ああ。なんて小賢しい事か。こんなエッセイを書く前に。さっさと別の作品を書くべきだ。何故それをしないのか?

 それは恐ろしいからである。今日も今日とて自己満足型の作品を書いて読者がつかない事を恐れているのだ。

 

 私はもう。どうして良いのか分からない。

 自己の欠点は洗い出せる…

 だが。自分を変える方法が見つからないのだ。

 どうやったら。傲慢で読者のつかないフラストレイテッド・オーサーから抜け出せるのか?

 

 いっその事。書かない事を考えてもみるが。

 今年の4月から7月末の絶筆期は苦しいものだった。

 インプットもアウトプットも出来ない苦しみ。

 そんなモノを二度と味わいたくはない。

 

                  ◆

 

 人の欲は計り知れない…いや主語を大きくし過ぎた。

 私の欲は計り知れない。

 私は再三読者がつかないと嘆いてきたが。

 実は読者がいない訳ではない。有難い事に私の作品を読んで下さる方は少なからず居る。

 

 だが。

 これは欲深い話である。

 だが。ウェブという土俵に上がってしまった以上。この欲とは決別できそうにない。

 

 さて。どうするべきか。

 私の中の賢いヤツは言う―読者の事など気にするな、と。

 彼は綺麗事に包まれた男であり。欲求という薄暗いモノから開放されてしまってる。

 

 まるで麻薬のようだなあ、読者様は。

 私は今、そう思ってしまった。

 私は寂しん坊であり。満たされない人生を送っている。

 だから。せめて文章では。人に評価され、人に囲まれたい…

 そういう欲求を満たすのが読者様であり。それはまるで麻薬のようなモノなのだ。

 摂取すればするほど、依存性は高まっていく。一時の快楽に身を焦がす事は出来るが。

 

 …今の私に出来ることは。

 人を惹きつける文章を書くことだが。

 これが中々どうして難しい。

 

                  ◆


 私は満たされぬ欲に駆動させられる哀れな道化だ。

 拙い文章を書き、それで人を魅了出来ると勘違いしている道化だ。

 …と。こういう風に自分を書き出せるからって理解できているとは限らない。

 言うは易し。行うは難し。

 言うだけなら。口さえあれば出来るのである。

 問題は。口にしたことをどう改善していくかである。

 

 私は人を惹きつける文章を書かなくてはならない。

 それは欲求が求めるものだから。

 人に文章で愛されたいと願う私は。人が受け入れるような文章を書かねばならない…

 とか言ってるくせに。既に自己満足型の文章をひねり出している私がいる。

 まったく。習慣というモノは恐ろしい。

 

 私はこの問題にケリをつけられないような気がしてきた。

 私はどれだけ読者がつこうが満足しない男であるみたいだし。

 と。なると。

 開き直るしかないのではなかろうか?

 開き直ると言っても。現状の自分に甘んじる事だけはしたくない。

 私の文章はまだまだ稚拙なモノなのである。研鑚されて然るべきものだ。

 私は。読者がつかない…と思い込んでいる事に対して開き直るべきなのだ。

 少なからず。私には読んで下さる読者様が居り。それを大切にしていくべきではないか?

 …難しい戦いになりそうである。

 私は作品を出す度に失望されないか不安なのである。

 過去の自分がライバル―なんて一流の口ぶりを借りてみる。

 絞れば絞るほど、私は希薄になっていく。

 そして。読者を失う未来が近づいてくる…

 

                  ◆



 私は欲深い作者です。

 フラストレイテッド・オーサーです。

 傲慢な作者です。


 この3点を明らかにするだけで。5000字浪費した自分が嫌になってまいりました。

 そろそろ自己反省を締めくくりたく思います。


 …ん?問題が解決してないって?

 問題は解決しない事もあるのだ。

 だが。問題を意識する事も重要な自己反省なのである。

 後は未来の自分に任せたく思います。

 

 願わくば。人を惹きつける文章が書けるようになりますように。

 そして。それに向かって努力する事を忘れぬよう。

 未来の自分に誓う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『自戒―フラストレイテッド・オーサー―』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ