はむもむ

ゴオルド

揉んだり割れたり冷やっとしたり

 忘れられない言葉がある。


「ハムスターのオスは、金玉を揉みます」


 これは『小動物事典』という本に書いてあった一節だ。それは小動物の写真がいっぱい載った児童書で、当時小学生の女の子だった私は、ハムスターの愛らしい写真の間に差し込まれた「金玉」の文字に面食らった。ちょっと意味がわからなかった。


 ハムスターのオスは、金玉を揉む。

 一切の解説もなく、当たり前のことを語るかのように、ハムスターのページにそう書いてあった。


 意味がわからなさすぎて、ずっと覚えている。多分死ぬまで覚えている。この文章が私の脳みそに深く濃く刻み込まれてしまい、一生忘れることができない記憶となってしまったのだ。きっと私の走馬燈にも登場するに違いない。私は死ぬ直前、オスのハムスターが金玉を揉むことを思い出すのだろう。



 純真無垢だった小学生女児の私は、クラスの男子に聞いてみた。

「ねえ、ハムスターが金玉を揉むって、どういうことかわかる?」

 男子たちは、ちょっと何言ってるのかわからないという顔をして、「さあ」と言う。

「それよりさ、山田のやつ、金玉が割れてて、1袋に二つ入ってるんだって」

「へえ、すごいね!?」

 山田君の金玉は二個入りであるという話題にスライドしてしまった。みんなハムスターの金玉なんかどうでもいいのである。


 休み時間、ほかのクラスメートとともに、山田君に「金玉、2個入りなんだって?」と、聞きにいった。

「うん。袋の中の玉がいつのまにか割れて、二つになった」

 男子たちはすげえ、すげえと盛り上がっているが、女子たちはそういうノリではない。

「それって大丈夫なの?」

「えっ」

「割れるものなの? 金玉って」

「わからない……」

 山田君はさっきまで笑っていたのに、みるみる不安そうな顔になっていった。ひょっとしたら本当は心配でたまらなくて、でも強がっていただけなのかもしれない。

 私たちは保健室に行くことにした。山田君の金玉は本当に大丈夫なのか、みんな心配になってしまったのだ。

 保健室の先生は、「それは病院の先生に見てもらったほうがいい」と言った。山田君は顔面蒼白になって、黙り込んでしまった。きっと先生に「大丈夫だよ」と言ってほしかったのだろう。期待が裏切られてしまったのだ。

 その後、山田君は病院に行き、お医者さんから「問題なし」というお墨付きをもらって帰ってきた。金玉に異常なしとみんなに報告したときの山田君は安堵のためか、にこにこしていた。良かったね、山田君。


 担任の先生は、帰りの会で、みんなに金玉の話をした。

「金玉は、割れることがあります。だから、大事にしましょう。もし割れてしまったら、お医者さんに診てもらいましょう。割れても問題ないケースがほとんどのようですが、治療が必要になることもあるのです」と、大まじめに語った。


 金玉は割れるのである。だから大事にしなければならないのである。私たちはそう学んだ。(実際のところ本当に割れるのだろうかという疑問は残るものの、金玉を大事にすること自体には異論はない)


 しかし、私が知りたいのは、ハムスターは金玉を揉むかどうかなのである。それは誰も教えてくれないのである。


 それから時は流れ、私はフェレットを飼うことになった。ペットショップで売れ残っていた未去勢のオスフェレットで、生後半年を過ぎていた。

 金玉がついていた。

 それは小さなマリモのような大変愛らしい金玉だった。耳を触られるのを嫌がるフェレットだったけれど、金玉はどうぞ……という子だった。触り放題だった。というか金玉は場所的に汚れやすいので日常的に拭いてやっていたから、金玉を触られることに慣れていたのかもしれなかった。ただ、水で濡らしたティッシュで拭こうとすると暴れて嫌がった。あったかい蒸しタオルなら大人しく金玉を拭かれるのであった。


 このフェレットは未去勢であっただけでなく、臭線除去もされていなかった。スカンクのようなおならを出せるフェレットで、おならは怒ったり命の危険を感じたときに出すのだという。

 この子は飼い主に叱られても、動物病院で注射をされてもおならなんてしなかった。ただ人生で一度だけ、昼寝しているフェレットの金玉があまりに可愛らしくて、つい飼い主が冷たい手で金玉を触ってしまったとき、おならが出た。人生で最初で最後のおなら。強烈に臭かった。魚が腐ったような臭いだった。


 フェレットはきっと寝ているときに金玉を冷えた手で触られて、命の危険を感じたのだろう。無意識におならを出してしまうほどショックだったのだ。病院で注射されるよりショックだったのだ。悪いことをした。こんなの虐待ではないか。本当に反省している。


 私は男性とお付き合いすると、ついこの思い出が頭をよぎるのである。寝ている男性の金玉を、ひえっひえの手で触ったらどうなるのであろうか。フェレットはおならが出たわけだが、人間の男性はどうなるのであろうか。

 いけない。

 そんなことを考えてはいけない、私。

 それはもうDVである。いけない。

 ただ、どうなるのだろうかという思いが消えないのだ。無防備な金玉が、どうぞ……と私に語りかけてくる……、いや、だめだ。

 一度、私にべた惚れだった男に相談したことがある。寝込みの金玉を冷攻撃しても良いかと。断られない絶対の自信があったので言えたのだ。

 男は、少し困ったような顔をして、

「タマはちょっと」と、言った。

 まさか断られるだなんて。私がわざとらしいぐらいガッカリしてみせると、

「ちんぽなら良いよ」と、男は妥協案を出してきた。

 ちんぽならいいのであれば、金玉でもいいのではないか?

「うーん、じゃあ、起きているときならいいよ。あと乳首もやっていいよ」

 妥協案ばかり出てくる。就寝中の金玉だけは絶対拒絶、そこは譲れないらしい。

 就寝中の金玉ひえっひえは、そんなにダメか。

「保冷剤を金玉にきゅっと押し付けたい……」

「いやいや死ぬって。寝ているときにやられたらビックリしすぎて心臓止まる気がする」

 そんな大げさな……いや、本当にあり得るのかもしれない。本能的な恐怖を感じるのか。やはり生命の危機ということなのだろうか。フェレットも生涯でただ一度のおならが出たぐらいだし。



 いや。人間の金玉のことはいいのだ。私はハムスターの金玉の話をしたいのである。つい話が逸れてしまった。



 それにしても、ハムスターのオスは、なぜ金玉を揉むのだろうか。

 揉むのは自分の金玉なのだろうか。

 まさか飼い主の金玉を?

 あるいは親の金玉を……?

 どういうこと?


 そもそもこれは本当のことなのだろうか。

 嘘なんじゃないだろうか。

 気になる……。


 だから、ハムスターを飼っているという人と出会うと、どきどきしながら尋ねてしまう。

「おたくのハムちゃんは女の子? それとも、お、男の子?」

「女の子だよ」と言われると、私はむしろほっとする。

 問題は「男の子だよ」と言われたときだ。

 そこで私は言葉に詰まる。

「金玉、揉むの?」

 どう考えても変態だと思われてしまう。だめだ、こんなこと質問できない。

 相手の人も、可愛がっているハムスターの下ネタ話をされたら悲しい思いをするかもしれない。

 だから、相手のほうから話してくれたらいいのにと勝手な期待をして、ハムスターの男の子のことを詳細に聞くことになる。

「ハムスターの男の子ってさ……あの、女の子と違ったりするのかな?」

 なんてぐあいに誘導しようと試みたりもする。

 でも、金玉の話なんか誰もしてくれないのである。

「別にオスもメスも大して変わらないよ」

「そ、そうなんだ」

 そういうわけで、ずっと真偽不明のままなのだ。



 一応、ネットで調べてはみた。揉むらしい。自分自身の金玉を揉むと書いてあった。本当か。なにかの見間違いではないのか。本当に本当の真実なのか。揉むのか。ハムよ、揉むのか。

 しかし、なぜ揉むのかは不明である。慈しむ的な……自分を大事にする的な……セルフケアなのだろうか。揉めば血行も良くなりそう。

 あと、検索していたとき「金玉を揉み伸ばす」という記述も見かけた。伸ばす!? 本当に?


 そういえばハムの金玉についてネットを検索中、人間用の金玉マッサージのページも見かけたのだが、「優しく伸ばす」と書かれていたものがあった。

 伸ばす……。

 金玉は伸ばせるのだ……。優しく……伸ばすのだ……。



 どうやら私のネットリテラシーが試されているらしい。

 何がデマで、何が真実か、見極めなければならない。


 熟考した末に、私が出した結論はこうだ。


「ハムスターのオスは、金玉を……たぶん揉む。そして伸ばす」



 <終わり>

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