月を見る場所

@osakenpiro

月を見る場所

「地球がなくなったら、どこで月見をしようか?」


行きつけの居酒屋でゆったりと酒を飲んでいると、

一口飲んだグラスをコトリと置いて、アサリがそんなことを言った。

そういえば今夜は中秋の名月だと、店に備え付けてあるテレビの中でニュースキャスターが解説していた。だからだろう。


「さあ、木星にも月はあるんじゃなかったっけ?それも何個も。」


ヨダカは中学の理科の授業で得たであろううろ覚えの知識でそう言った。


「それはダメよ。月曜日の後に木曜日が来るなんて、ぞっとしない。私、火曜日生まれだし。」


僕の意見はよくわからない理論で一蹴された。

彼女はこの類の空論が好きだから、僕は慣れていた。


僕はグラスを上げた際にちらりと目の端に写った、

壁に掛けられた短冊に書かれたメニューを見て、彼女に提案する。


「月見という名前は残るんじゃないかな、月見つくねとか月見バーガーとか。それで我慢しなよ。」


日本文化と鶏が星間飛行後も生き抜いていればだが。


「宇宙に行ってまでそんなチェーン店の生存戦略に踊らされたくないわ。スケールが小さいわよ。」


宇宙進出できる企業ならスケールは大きいと思うけれど……

彼女の目的が僕にはわからなかった。少し考えて、


「うーんそれじゃあ、地球がなくなるまでまだ時間はありそうだし、その頃にはホログラムかなんかで再現できるだろう。」


「いやよ。火星の博物館で見る月なんか。」


カランと氷が鳴る。

にべもないなあ。


「きっとそうやって月のことは忘れられていくのね。

ガガーリンよろしく『月は綺麗だった』なんて、

一部の人間だけが遠い思い出の中でしか味わえなくなるの。

そして、『月がきれいですね。』という穿った表現もできなくなるわ。」


アサリがそう言う。それを穿った表現と呼ぶこと自体が彼女らしい穿った見方だった。


「恐竜だって、博物館にしかいないけど人々の記憶からは無くなっていないよ。

月の景色の化石にも、そういう風情があるんじゃないか?」


反論になっていなかった。

アサリは僕のことをじろりと睨みつけている。


「君なら地球がなくなった後、どうやって月を見るんだ?」と僕が続けると、


「察しが悪い男ね。」なんて言った。


まだ投了を許してはくれないようだ。

アサリはレモンサワーの残りを飲み干した。

輪切りにされたレモンが氷といっしょにグラスの底に落ちる。

僕は苦し紛れに


「そうなると、地球があるうちに見るしかないんじゃないか?」と言ってみた。


すると彼女は


「そうよ!そういうことよ!!」


え、そういうことなのか?


「『月がきれいですね。』と言ったって本当に月を見ていないように、

『地球がなくなったら、』と言ったら月が見たいという意味よ。」


そんな歪曲な表現があるか。と思ったが、彼女の提案には乗ることにした。


「確かに。じゃあ、月を見よう。」


僕は小難しいことは言えなかった。



僕たちはお会計を終えて外へ出る。


風は涼しく、確かめるまでもなく夏は終わっていた。

僕たちは小高いところにある公園へ向かう。

僕は知らなかったが、昼間には原っぱしかないこの公園も夜になると絶好の天文台になるようだ。

空を見上げるとうろこ雲に紛れて、月が光る。


彼女が言う通り、地球から見る月は確かにきれいだった。

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