地下格闘技が舞台の小説である。
殴ってよし蹴ってよし絞めてよし、とほぼノールールなのは古代のパンクラチオンに似ている。
が目つぶしや噛みつきまで許されているのは過激だ。
自分はボクシングが好きで、また以前古代ギリシャのパンクラチオンを素材にした小説を書いていたので、興味を持って本作を読んだ。
読んでいろいろ身につまされた。
主人公の小笠原は元ボクサーの現ヤクザで、現役時代パンチを受けて左目の視力が悪い。
自分も五歳のとき事故で左目を失明しているから、体に欠損を抱えた人間が自分の体を大切にいたわれなくなる感覚がよくわかる。
自分が自分の身体を虐待するような生き方を抜け出せたのは京極夏彦がいった
「体は鍛えるものではなくいたわるもの」
というシンプルな言葉に出会えたからだ。
たぶん小笠原はこういう言葉に出会っていない。
この小説で一番の地獄を生きるのは小笠原の弟、中学生の鈴太だ。
鈴太は養護施設でいじめにあい、今は一緒に暮らす兄小笠原の暴力にさらされている。
だから鈴太視点でこの小説を眺めると、この作品の風景も一変すると思う。
小説の主題はヘミングウェイの『敗れざる者』の系譜に連なると思う。
敗れざる者は盛りを過ぎた老闘牛士がもう一度と意地を見せ、凶暴な闘牛に立ち向かう物語。
ヘミングウェイらしいマッチョの美学と破滅願望を感じる作品で、それと似たニュアンスを本作にも感じた。
最大のちがいはヘミングウェイはいじめの場面になると必ずいじめる側の視点でいじめを語るが、本作で小笠原が鈴太を殴る場面は第三者視点だが、ややカメラが殴られる=いじめられる鈴太に寄っているところ。
短い場面だが、暴力の無惨さがマッチョの美学や破滅願望といった虚飾を剥がされ、剥き出しになっている。
残酷な場面だが、ここに救いがあるような気がした。