第35話 王女の足跡(最終話)



「まーくん、また電柱にくっついて……」


「僕とリアの愛を止めないで」


「朝からどうつっこんでいいのかわからないよ」


 バイト三昧の冬が明けて、春休み目前の早朝。


 通学路の繁華街で、まーくんがいつものように電柱を抱きしめているのを見つけた。


 秋斗がいたらきっと捨てていけばいいと言われるけど、なんとなく放っておけない私は、まーくんに駆け寄る。


 けど、まーくんに近づく直前で、同じ制服ブレザーの女の子にぶつかった。


「あ、すみません」


「いいえ。私もよそ見していたものですから」


 とても綺麗な人だった。


 目元のほくろが印象的な、癖一つない長髪の女の子。

 

 私とぶつかった拍子に落としたのだろう。


 足元のハンカチに気づいた私は、慌てて拾い上げるけど……。


「あの! 落としましたよ」


 顔を上げた時にはもう、その綺麗な人はいなくなっていた。


「これ、どうしよう……ん?」


 綺麗な人が落としたハンカチに何気なく視線を落とした私は──


 そこに刺繍されている紋章を見て凍り付く。


「うそ……」


 ガタガタと震え始めた体。


 心臓が、止まるかと思った。


「どうしたの?」


「な、なんでもないよ……」


 まーくんには精一杯強がってみたもの、体の震えはいっこうに止まらなかった。


 なぜならその模様は……前世で私に刺客を送った王女様のものだったから。


「もしかして、さっきの人……わざとぶつかったの?」


 恐怖の再来に、私はその場に座りこんでしばらく動けなかった。




「おはよう、リア」


「……お、おはよう」


「どうしたの、リア? 顔が真っ青だね」


 教室に入るなり敏感な秋斗が、怪訝な顔をする。


 今朝のことは、さすがに表情を隠すことができなかった。


「……ちょっと朝から混乱してて」


「その様子、混乱どころじゃないよ。震えてるよね? ……何があったのか、教えてくれる?」


「……」


 きっと説明するより見せた方が早いだろう。


 私が何も言わずに、今朝拾ったハンカチを見せると、秋斗は大きく見開いた。


「どうして……!? リア、このハンカチ、どこで手に入れたの?」


「実は……今朝、知らない人とぶつかって……その人が落としていったんだ」


「どんな人?」


「綺麗な人だったよ」


 私が唇を震わせながら告げると、秋斗は場所も考えずに私を抱きしめる。


 いつもだったら恥ずかしい気持ちになるところだけど、今は秋斗を突き飛ばす気力もなかった。


「リア、大丈夫。今度こそ僕が守るから」


「……」


「だから、これからしばらく一人になっちゃ駄目だよ」


「でも、家に帰ったら……」


「うちの別宅のマンションにくればいい」


「マンション?」


「うん。とりあえず今日は家に帰らないほうがいいよ。このハンカチが宣戦布告かもしれないし」


「でも、家族になんて言えばいいの?」 


「その辺は僕と小金先生がなんとかするから、心配しないで」


「……うん」


 その日、秋斗は気を遣って沢山喋りかけてくれたけど──私は見えない敵に怯えて、ほとんど耳に入らなかった。




 ***




「お邪魔します」


「リア、そんな固くならないで。この家には僕とリアしかいないから」


 前世で私を殺した王家の紋章が入ったハンカチを拾ったことで、身の危険を感じた私は秋斗の言葉に甘えて、秋斗の別宅マンションに泊まることにした。


 いつもなら、二人きりになることを躊躇う私だけど、その日は恐怖のあまり秋斗のことを意識する余裕なんてなかった。


 秋斗のほうも、ずっと顔が強張っているのがわかる。それ以上に、秋斗の目には鮮烈な怒りの色が見えた。


 私が客室の隅で固まっていると、そんな私を秋斗は抱きしめる。


「何があっても、今度こそ僕が守るから……」


 痛いくらい強く抱きしめられて、私は身動きがとれなかったけど、秋斗の腕の中は少しだけ安心できた。


 けど、前世を思い出すだけで怖くて、小刻みに震える体はいっこうに落ち着かなかった。


 私を殺した、真っ黒な服を着た刺客──その人は私に隣国の王女の使いだと言って紋章を見せた。それをまた見ることになるなんて、思いもよらなかった。


「リア?」


「どうしよう……私、死にたくない」


 言葉に出した途端、涙があふれた。


 見苦しいくらい、涙を流す私を、秋斗はいっそう強く抱きしめる。


「リア……僕が守るから」


 秋斗は何度も同じ言葉を繰り返す。


 そうして私たちは抱き合ったまま一緒に眠った。


 


 翌朝、気づくと秋斗が同じベッドの中にいて、少しだけ照れ臭い気持ちになる。


 一緒に暮らしたら、毎日こんな感じなのかな? なんて、考えられるだけ少しだけ気持ちに余裕ができていた。


「おはよう、秋斗」


「……目が腫れてるね。今日は学校休みなよ」


「でも……今日だけ休んでも意味がないよ」


「そんなことはないよ。僕が今日中にハンカチの持ち主を割り出すから、リアはゆっくり休んで」


「今日中って……そんなことできるわけが」


「やってみせるよ。僕のリアを怖がらせるなんて、生きてることを後悔させてやる」


「あ……秋斗」


 真っ黒な秋斗のオーラに若干引いていると、秋斗はにっこり笑って私の肩を嗅ぐような仕草をする。


「ちょ、ちょっと秋斗! こんな時に」


「愛を確かめるのに、こんな時も何もないよ」


「もう……」


 おどけて笑う秋斗を見ていると、なんだか気持ちが楽になった。


 きっとわざとだよね。


「じゃあ、僕は学校に行くから。絶対に部屋から出ちゃダメだよ?」


「うん、わかった」


 秋斗は名残惜しそうに私にキスをして、客室を出ていった。




 ***




小金こがね先生」


「おや、相智あいちくん。今日は大塚おおつかさんとそろってお休みだったんじゃないんですか?」


「実は、こんなものが」


 学校の渡り廊下で出会うなり、秋斗は南人みなとに一枚のハンカチを見せる。


 その紋章を見た瞬間、南人は大きく見開いて信じられないという顔をする。


「なんと! 私はてっきり、新婚旅行にでも出かけたのかと」


「お前の妄想はどうでもいいから、とにかくこれを調べてほしいんだ」


「これは前世の……隣国王家の紋章ですね」


「これの持ち主は高校ここの制服を着ていたらしい。他にこの模様を見た者はいないか、調べてくれ」


「かしこまりました、王子殿下。今度こそ私が犯人を突き止めましょう」


 すぐさま駆け出した南人を見送りながら、秋斗は唇を噛み締めた。

 

 思い出せば、はらわたが煮えくり返る思いだった。

 

 前世で堂々と王子の大切な人を殺した隣国の王女。


 彼女にはそれ相応の報いを受けてもらったが、それでも怒りはおさまらず、結局王家ごと滅ぼした。


 抑圧された民を扇動するのは簡単だった。重い税で苦しむ民を手助けすれば、勝手に隣国の王家を滅ぼしてくれたのだ。


 おかげで王子は英雄と崇められたが、そんなことはどうでもよかった。


 彼女を失くした傷はそんなことで埋められるはずもなかった。

 



「──相智くん! さっそくこの模様を見た人間を見つけましたよ」


 授業間の短い休憩時間に、小金が秋斗の席にやってくる。


 クラスメイトは何事かと秋斗の席を見ていたが、説明する気にもなれなかった。


「さすがだな。で、誰のものかわかったのか?」


「それが……この模様を見た人間は二名ほど存在しますが……どちらも誰かが落としたハンカチを見た程度だそうで」


「落とした相手を見た人間はいないのか?」


「落とした相手は男だったそうです」


「男? どういうことだ?」


「情報をかく乱するために、人を雇って落とさせたのでしょうか?」


「どうだろう……ん?」


「どうかしましたか? 相智くん」


「今、窓の外にリアを見たような」

 



 ***




 五時限目の授業を終えた頃。


 知らない番号からのショートメールで呼びだされた私──リアは、秋斗には内緒で登校していた。


 本当は怖くて身のすくむ思いをしていたけど、「来ないなら、秋斗を殺す」という文面を見て、動かずにはいられなかった。


 うちっぱなしのコンクリートの屋上にやってきた私は、腕を組んで待ち構える女の人の背中を見つける。

 

 私はごくりと固唾を飲むと、その女の人の前に回り込んだ。


「呼びだしたのはあなたですか?」


 すらりとしたパンツスーツに身を包んだその人は──今朝見た綺麗な学生ではなくて、隣のクラスの担任だった。


「そうよ、あなたを見ただけで虫唾むしずが走るわ」


「どうしてあんなメッセージを?」


「わかりきったことよ。私は相智くんを愛しているの。だけどあなたは邪魔だわ。私たちは生まれる前から赤い糸で結ばれていたのに……あなたのせいで一緒になれないのよ」


「生まれる前から……転生前から知ってるってことだよね。なら、この人が王女様? でもハンカチを落とした人じゃない……」


「何をブツブツ言っているのか知らないけど、あなたは自分がどんな状況にいるのかわかっているのかしら?」


「え?」

 

 女教師が指を鳴らすと、貯水槽の陰から知らない男子生徒が五人ほど現れる。


 下品な笑みを浮かべる男の子たちに、嫌な予感しかしないけど──逃げることもできなくて、私は震える手で胸元を押さえた。


「相智くんを振り向かせるには、まずはあなたをボロボロに──」


「そこまでだ!」


 知らない男の子たちが私に手を伸ばしたその時、秋斗が屋上に現れる。


 走ってきたのだろう。息を切らした秋斗は怖い顔でこちらを見ていた。


 そして秋斗の後ろから駆けつけた南人兄さんが、秋斗の隣で竹筒を構えると──私を取り囲んでいた男の子たちがいっせいに倒れた。


 見ると、気絶した男の子たちの首には太い針が刺さっている。


 南人兄さんが親指を立てる中、女教師が動揺し始める。


「え? 相智くん? どうしてここに……」


「こんな大人数で移動したら、目立つに決まっているでしょう。クラスメイトがあなたの不穏な動きを教えてくれたんだ」


「相智くん……私は誰よりもあなたを愛しているのよ」


「僕にケンカを売ることがどういうことかわかってないみたいですね」


「殿下。あなたの手を煩わせるほどでもありません。ここは私が……」


「けど、僕は怒っているんだ……僕の可愛いリアを怖がらせるなんて、許せないからね。僕が直々に、社会的に抹殺してあげますよ。覚悟してください。明日にはもう、あなたの席はこの学校にはありませんから」


「あ、相智くん?」


「本当にあなたはバカな教師ですね。相智くんを怒らせるなんて」


「……秋斗」


 ホッとした以上に、秋斗の恐ろしい一面を見てしまった私が、少なからずドン引きしていると、秋斗がこちらに寄ってくる。


「リア、何も怖いものなんてないからね。僕が必ず君を守るから、安心して僕と一緒にいてね」


 いや、今一番怖いのはあなたなんですけど。

 

 とは言えなくて、私はとりあえず小さく頷いた。


 それに、気になったのは──

 

「でもハンカチの持ち主はまだ見つかってないよ」 


「え? 彼女じゃないの?」


「違うよ。私がぶつかったのは、あの人じゃない」


「じゃ、王女は別にいるってこと?」


 秋斗の目がみるみる釣り上るのを見て、私は黙りこむ。


 心強い味方なのに、それ以上に怖いと思ってしまった。


 そんな中、


「リア!」 


「まーくん?」


「やっと見つけた」


 なぜかまーくんが現れた。


 まーくんはこの状況が見えていないのか、秋斗のところに走り寄る。


「どうしたの、まーくん?」


「もうすぐリアの誕生日でしょ? だからプレゼントを持ってきたんだ」


「プレゼント? 私の誕生日はとっくに終わったけど。もしかして、秋斗の誕生日の? ……でもないよね」


「リア、これ受け取って」


 まーくんは紙袋を秋斗に差し出した。

 

 秋斗はそれを掴むと、中身も見ずに小金先生に渡した。


「小金先生、捨てておいてください」


「かしこまりました」


「ちょっと! 可哀相だよ。せめて中身くらい見てあげてよ」


「わかった、見てすぐに捨てる──って……これは」


 秋斗が雑に扱った紙袋の中には、ハンカチがあった。


 しかもそのハンカチには亡国の紋章があって、私が先日見たものと同じ模様だった。


「まーくん……どうしたの、これ」


「カッコいい柄でしょ? ネットで見つけたんだ。隣国に滅ぼされた小さな王家の紋章だって」


「じゃあ、さきほど聞いた証言の、ハンカチを落とした男とは……田橋くんのことだったのですか?」


「私がぶつかった女の子が落とした物じゃなかったんだ……」


「そういうことか……全く、田橋はどこまで人を振り回すんだ」


「ごめんね、秋斗……私の早とちりで」


「いや、リアと一緒に眠れて良かったよ」


「そこは『何もなくて良かった』でしょ」


「ごめん、つい本音が」


「今日は家に帰るからね」


「せっかくだから、もう少し泊まっていきなよ」


「ええ! やだよ」


「けっこう頑張ったのに」


「ごめん……でも(秋斗怖いし)」


「一緒に暮らすんだから、今から慣れておかないとね」


「何に!?」




 その後も私と秋斗には色んなことがあったけれど、前世の分まで幸せになれたことは、言うまでもなかった。



                        おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王子様と平凡な私 〜普通じゃないクラスの王子様に溺愛されたり甘えられたり忙しいけどそうじゃないんだよ〜 #zen @zendesuyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説