第34話 平凡じゃなくても



「リア、一緒にバイト行こう」


 全ての授業が終了した直後──まだショートホームルームも終わってないのに、まーくんが私のクラスに現れた。

 

 メガネもないのに真っ直ぐ私の机にやってきたまーくんを見て驚いていると、隣の秋斗が立ち上がる。


「出たな、田橋たはし。リアは僕とバイトに行くんだ」


「ふん、自称恋人には負けないよ」


「まーくん! 裸眼で秋斗あきとを判別できるようになったんだ?」


「実は昨日、角膜屈折矯正手術レーシックをしてきたんだ」


「そうなんだ! 良かったね。これで秋斗と私を間違えないね」


「リアを自称恋人になんて渡さない!」


「自称恋人じゃなくて、リアルな恋人だ」


 まともなまーくんを見て私が感動する中、秋斗は苛立たしそうに腕を組んでまーくんを睨みつけた。

 

 そんな中、どこからともなく飛んできた太い針が、まーくんの首に直撃する。


 教壇には、竹筒を持って構える南人兄さんの姿があった。


 けど、まーくんはなんでもなさそうに首から針を抜くと、兄さんと笑顔で対峙した。


 そのあと何度も兄さんが竹筒を吹いていたけど、まーくんは舞うように全ての針を避けたのだった。


「悪いけど、視力が完全回復した今、小金こがね先生の吹き矢はスローモーションに見えるからね。避けるのなんて簡単だよ」


「レーシックって動体視力まで上げるの?」


「くっ……私の吹き矢が見切られるなんて……」


「リア、僕と一緒にバイトへ行こう」


「え、ちょっと! まーくん?」


 私を引っ張って連れて行こうとするまーくんを、秋斗は不機嫌な顔で睨んでいた。




「リア、今日も頑張ってるね」


「うん。だいぶ仕事にも慣れてきたし、最近バイトが楽しいんだ。私って接客に向いてるかも」


 相変わらずカフェで肉まんのワゴンを販売しているまーくんが、片付けをする私のところにやってくる。


 こうやってバイト先でまともに話すのは初めてなんだよね。


 いつもは秋斗のことをリアと呼んで追いかけてるから、なんだか新鮮だった。


「じゃあ、将来僕が店を持ったら、リアが店長になってくれる?」


「店長?」


「そうだよ。リアがいれば、きっと楽しいと思うんだ」


「ふふ、私を雇ってくれるの?」


「きっとリアなら良い店にしてくれると思うんだ」 


 ウサギのような目をくりくりさせながら夢を語るまーくんを可愛いと思いながら喋っていると、タイミング悪く秋斗が通りがかる。


「リア、なんだか楽しそうだね」


 秋斗は笑顔だけどあからさまに不機嫌な声をしていた。

 

「あ、……秋斗」


「出たな、リアの自称恋人!」


「リア、帰ろう」


「う、うん」

 

 バックヤードで着替えた後、カフェの出入り口にいる秋斗の元へ急ぐと、まーくんも後ろから追いかけてくる。


 ただでさえ機嫌の悪い秋斗がますます綺麗な笑みを浮かべる中、まーくんは気にする風もなく私の後ろをついてくる。

 

 それから秋斗とまーくんはお互い牽制けんせいしあいながら横並びに歩き──結局、三人で帰ったのだった。


 暗い住宅街を秋斗が不満そうに歩く隣で、マイペースなまーくんは、夢の続きを語った。


「さっきの話だけど、リアはどの駅に店を構えたらいいと思う?」


「そうだね……U駅付近なんかいいんじゃない? 都会すぎないし」


「……」


「じゃあ、U駅を候補に入れておくよ。確か空いてるテナントを見た気がするから、今度の休みの日に一緒に内見しない?」


「え? まーくんは本気で私を店長にしようとしてるの?」


「そうだよ。リアは店長だよ」


「てっきり、冗談かと思ったよ」


「リアはなんのお店がいい?」


「それは……」


 まさかまーくんが本気で私を店長にしようとしてるとは思わなくて、軽い気持ちで話に乗っていたけど……


 今になって秋斗の顔色をうかがった。


 すると案の定、秋斗は悪魔みたいなドス黒い笑顔をしていた。


「あ、秋斗」


「どうしたの? リア」


「ごめん……」


「何を謝るの?」


「だって、秋斗がいるのに、まーくんの話に乗っちゃって……」


「……自称恋人か。あながち嘘じゃないかもしれないね」


「秋斗?」


「だってそうでしょ? 僕が恋人だと思っていても、リアはそう思ってないんじゃない?」


「そ、そんなことないよ」

 

 ……秋斗がいつになく拗ねてる……どうしよう。


 同棲騒動で喧嘩して仲直りしたばかりなのに、また何かが起きそうな雰囲気だった。


 けど、そんな私たちの傍らでまーくんは夢を広げ続けた。


「リアに似合う制服を考えないといけないね」


「まーくん」


「明日は制服のカタログ持ってくるから、リア見てくれる?」


「ちょっと待ってまーくん、そんな急に言われても」


 私がまーくんの話を上手く断れないでいると──

 

 突然、蜂が飛ぶようなブンという音が響いた。


 辺りを見回すと、竹筒を吹く南人兄さんの姿を見つけた。


 けど、兄さんがいくら吹き矢を放っても、まーくんには当たらなかった。


「だから、今の僕に先生の吹き矢は当たらないよ」


「くっ……この私が、田橋くんに負けるなど」


 その場に膝をついて地面を叩きつける兄さんとは違って、まーくんは自信満々で胸を張って見せる。もはやまーくんを止められる人はいなかった。

 

 私が困惑気味に兄さんとまーくんを見比べていると、そのうち秋斗は私に背中を向ける。


「じゃあ、僕はこの辺で帰るよ」


「待って、秋斗」


「リア、今の僕は嫉妬にかられて何をするかわからないから、帰ることにするよ」


「……」


 どうしよう、私がまーくんの話に乗ったせいで、秋斗を怒らせちゃった。


 秋斗はそのまま私とまーくんを置いて、帰っていった。


「ねぇ、リア。マカロンのお店とかどうかな? フルーツをたっぷり挟んで、肉まんの生地に包むんだ」


「どうして肉まんの生地に包む必要があるの?」


 断らなきゃいけないのに……つい、ツッコミを入れちゃったし。


「僕は究極の肉まんを目指して修行していたんだ」


「肉まんなら、普通の中身でいいと思うけど」


「普通って何? やっぱりアイスクリームみたいな肉まんがいいかな?」


「アイスクリームみたいな肉まんってなんなの?」


「それは企業秘密だけど、お嫁さんになったら、レシピを教えてあげるね」


「まーくん……私はまーくんのお嫁さんにはなれないよ」


「どうして?」


「何度も言うけど、私には秋斗がいるの」


「あんな胡散臭い王子顔に騙されちゃダメだよ。僕なら、堅実で平凡な将来を約束するよ。家から自立する予定なんだ」


「それは……」


 私の目指すところは、きっとまーくんの言う将来なんだと思うけど、でも私が今好きなのは秋斗だから……。


「ねぇ、まーくん。平凡な将来を約束してくれるのは、確かに魅力的なことだけど……私は秋斗のことが好きなの。平凡じゃなくても一緒にいたいと思うほどに。だからまーくんの話には乗れないよ」


「リア……あいつにすっかり洗脳されちゃったんだね。大丈夫、僕がその目を覚ましてあげるよ」

 

 そう言って、まーくんは私の肩を掴んで唇を寄せた。


 突然のことに、避けることもできなくて──私はまーくんのキスを受け取ってしまう。


 ショックなあまり反射的にまーくんの右頬を叩いた私は、さらにまーくんを突き飛ばして後ずさった。


「やめてよ、まーくん!」


「リア、どうして怒るの?」


「あのね、していいことと、悪いことがあるよ? 私……まーくんはもっと人のことを考えられる優しい人だと思ってたのに……がっかりだよ」


「リア」


「悪いけどまーくん、明日からは秋斗と二人でバイトに行くよ」


「……そんなにあいつがいいの?」


「私は秋斗が好きって、もう何回言ってると思う?」


「うわーん」


「泣いても許さないんだから」

 

 その日私は、まーくんを完全に拒絶した。




 ***




「おはよう、秋斗」


「ああ、おはよう」

 

 ──ん?


 朝から席に着く前に挨拶をすると、秋斗は視線をそらして教科書を出し始める。

 

 なんでだろう。


 いつもと違う秋斗の様子を不思議に思っても、その時の私はとくに気に留めたりはしなかった。


 けど、それから休み時間の度に、私が話しかけようとすると、秋斗は逃げるようにして教室から出ていった。


「ねぇ、秋斗。バイトに行こう」


「……田橋は?」


「昨日、ちょっと喧嘩したから……まーくんは来ないよ」


「喧嘩? 仲良さそうに見えたけど」


「うん……ちょっと色々あって」


「ふうん」


「なんだか秋斗……今日はそっけないね」


「そう? 僕はいつも通りだよ」


「嘘だ。今も目を合わせないし。……私、何かした?」


「……リアは」


「?」


「なんでもないよ」


 いつもと違う秋斗に違和感を覚えたけど、それでも私は機嫌が悪いだけだと思って、それ以上話を聞くことはなかった。




「今日はいつも以上に忙しかったね」


「……そうだね」


「ねぇ、秋斗」


「なに?」


「私、何かした?」


 最初は少しの違和感だったけど、一緒にバイトをしてようやくわかった。


 秋斗、ものすごく怒ってる。


 けど私が訊ねても、秋斗は何も言わずにバックヤードでエプロンをとる。


「今日は一日中、ほとんど目を合わせてくれてないし」


「……」


「何かあるなら、言ってほしいんだけど」


「……リアは」


「うん」


「あいつとなら、平凡な生活が望めると思ってる?」


「あいつって、まーくんのこと?」


「リアが望むのは平凡な恋愛なんだよね」


「そうだね……そんな風に思ったこともあったけど」


「だったら、僕は身を引いたほうがいいのかな? リアには前世の分まで幸せになってもらいたいんだ」


「秋斗……」


「……けど、リアが他の人と一緒になることを考えただけで、嫉妬で気が狂いそうになるんだ。だから僕は……僕には近づかないで。本当に、何をするかわからないし」


「……」


 いつも自信に満ち溢れた秋斗が、泣き言のように言う姿が切なくて、私は気づくと秋斗を抱きしめていた。


 いつ人が来るかもわからないバックヤードで、こんなことをするなんて自分でも驚きだった。


 けど、弱ってる秋斗を見たら、抱きしめずにはいられなかった。


「心配しなくて大丈夫だよ、秋斗。私が好きなのは秋斗だから……平凡を蹴ってもいいと思うくらい、秋斗のことを好きになってるんだから」


「……リア……本当に信じていい?」


「うん。私のことを信じて」


「じゃあ、あいつのことを上書きしないとね」


「もしかして、私がキスされたの見てたの?」


「うん」


「ごめんね、秋斗。私が油断してたから」


「このままリアの部屋に行っていい?」


「それはダメ」


「なんで? 今の流れだと、部屋で幸せな時間を過ごすものだよね?」


「ダメなものはダメ」


「リアのケチ」


 それから秋斗はいつものように悪い笑みを浮かべて、私にキスをした。




 ***




 早朝の教室。しばらく見なかったまーくんが、うちのクラスにやってきた。


 けど、まーくんは私ではなく、秋斗の席に向かう。


「おはよう、リア」


「リアじゃない」


「今日も可愛いね、リア」


「だから僕はリアじゃない!」


「まーくん、レーシックで目が良くなったんじゃなかったの?」


「レーシックの効力は一日だけなんだって。でも匂いでリアのことはわかるから、安心してね」


「それ、本当にレーシックなの?」


「……お前はリアがわからないくらいがちょうどいいかもな」


「秋斗……まだ妬いてるの?」


「リア、今度僕以外の人とキスしたら、覚悟して」


「……しないよ。秋斗以外と」


「約束だよ」


 こうして平凡の壁を破って秋斗と一緒にいることを宣言した私だけど、それからしばらくして、後悔することになるのだった。


 



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