第3話

 視界に見えるのは一面が火の海に包まれた空間だった。

 俺は「清香っ! 清香っ!」と必死に叫んでいた。聞き覚えのある名前だなと思いつつも、火の海をかき分けて必死に前へと進んでいく。火は徐々に開かれた空間を閉じていき、俺の動きを封じていく。


 焼かれた肌がヒリヒリ痛む。頭痛はみるみるうちにひどくなり、目眩を引き起こし始めた。彼女はもう見つからないのだろうか。嫌だ。俺は彼女と結婚すると誓ったんだ。それをこんな形で終わらせるわけにはいかない。


 父さん、ばあちゃん、すまない。

 家族としては俺の命が守られることが一番だろう。でも、俺は自分の命のために愛する人を死なせてしまうような真似はできない。


 痛みを堪えながらも必死に奥へと進んでいく。

 目眩で歪んだ視界の中、微かに見える道を進んでいく。自分が見ていた景色が跡形もなく崩れ去り、全てが失われた空間に対して、最初に見た記憶を掘り起こしながら道を切り開いていった。


 命に代えても絶対に助ける。ただその願いだけを胸に抱えて。


「勝くんっ!」


 すると向こう側から彼女の声がするのが分かった。

 同時に俺は今見ているこの景色が誰のものなのか理解することができた。

 これは俺の父の記憶だ。その瞬間、視界は意識を失ったかのように暗くなっていった。


 ****


 再び意識が覚醒し、瞼をゆっくりと開いた。

 見えるのは一面真っ白なザラザラとした触感の壁。それが天井だと気づくのに数秒かかった。そこから少しずつ全身の感覚が戻っていく。


 口元につけられた呼吸器。体を包み込む布団。そして、俺の手をぎゅっと握りしめる手。


「貴龍くん……」


 左に目を向けると優凪が俺の顔をしみじみとした様子で眺めていた。病衣を着ていることから彼女も少し前まで意識を失っていたのだろう。右手にある窓に目をやると日が沈み夜になっていた。


「子供は?」

「命に別状はないって。でも、あと数分でも遅れていたら助からなかったらしい」

「そうか……」


 依頼に応じた人はうまくやってくれたみたいだな。

 優凪を助けに行く前、俺は近くにいた男に『消防車が到着したら、火災の発生した部屋のベランダ下に救護マットを敷いてくれ』と頼んだ。


 優凪が駆け出した瞬間、俺の中ではすでに、『火災部屋に行った場合に助かる方法』について人工脳が解析をし、作戦立てが行われていた。最初は『見放すこと』を選んでいた。だが、優凪が助けに行ったことで、俺の中の感情が『助けること』を選んだのだ。


 きっと心の中で無意識のうちに、優凪を自分の命に代えても守らなければいけないと判断してしまったのだろう。俺の父親が母親を火事の場から救い出そうとしたように。


「なあ、どうして優凪は助けに行こうと思ったんだ? いくらなんでも何もない状況で火災部屋に向かっていくのは無理がありすぎるだろ」

「どうしてって言われてもなー。正直、私もよく分からないんだ。反射的にというか」


 反射的にか。なんとなくだが、俺と優凪の違いがよく分かった気がした。

 俺は基本的に頭で先に考える。人工脳が計算してくれた結果から自分にあったものを選択して行動をしているのだ。


 逆に優凪は基本的に心で先に考える。だから頭で考えたら非合理的なこともやってしまえるのだろう。頭が先か、心が先か、正直なところどちらがいいかは分からない。いや、分からなくなったというのが正しい。


 俺としては頭が先が絶対的に正しいと思っていた。心が先行するといい結果は起こらないと考えているからだ。だが、今回の件で心が先行したからこそうまくいくことがあるのだと分かった。人の持つ直感が正しいこともあるんだな。


「でも、火元に行った時に少しだけ後悔したんだ。男の子を見つけて助けた瞬間、行き場を見失ったというか。火に飲み込まれる自分を想像して、身震いしたって言うか。だからその……貴龍くんが来てくれてすごく嬉しかった」


 優凪は俺の顔を見ながら照れ臭そうに言う。いつもの元気な様子と違って、朱色に染まった頬を掻きながら困ったような表情をする。

 きっと優凪はこれからも何かがある度に、心が先行することがあるのだろう。ただ、彼女自身そうなる自分に歯止めが効かず困っているみたいだ。


 なら、俺にできることはなんだろうか。


「あと、貴龍くんに謝らなきゃいけないことがあって。そのケーキなんだけど、部屋に置いてきちゃって、全部焼けちゃった。あはは……」

「そんなことか。別にまた買ってやるよ」

「ホント! ヤッター!」


「その代わりと言っちゃなんだが、最近新しく近くにプラネタリウムができたらしい。良かったら一緒に行かないか?」

「おお、プラネタリウム! もちろん行くよ! 代金は……」

「それは払ってくれ」

「だよね〜〜」


 俺にできることは優凪が心でやろうと決めたことを援助することなのではないだろうか。きっとそれが本来の人工知能のあるべき形なのだ。人が心に描いた希望を遂行できる援助をする。優凪との一件で、それが身にしみて分かった気がした。


 これを今後の子孫への学習データとして、大切に保管しておくことにしよう。

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【短編】継承知能 結城 刹那 @Saikyo-braster7

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