可憐

雪国匁

可憐

2023.9.21. AM 02:27



「久し振り!」

「ああ、久し振り」

灯りのない波打ち際。海の端くれが陸に衝突する音だけが、辺りに木霊する。

いつもより暗いような、そんな気がした。彼女の姿以外何も見えない。

「私、学校休み始めたのいつからだっけ?」

「……夏休みが終わって、すぐ。二学期ほとんど来てないだろ」

「あはは、そうだねぇ」

会話が途切れる。波の音が聞こえてくるので、静かにはならない。

「えーっと……。最近、どう?」

「あからさまに、話振るの困ったな」

「あちゃー、バレちゃったか」

コイツ『レイ』は、こんなことを言った割には特に残念がってもいない。

「それで、どうなの?」

「……特に。変わったこともなかった」

「ふーん……」

「何だよ。何か不満か?」

「別にー?」

相変わらずだ。レイは、時々よく分からない反応をする。

「『君がいなかったから、悲しかったよ』。なんて言ってくれれば、満足したかもねぇ」

「俺がそういうこと言ってるの、見たことあるか?」

「ないから、一回くらい言わせたいんじゃん」

「絶対言わねぇ」

「えー、ケチだなぁ」

レイはくすくすと笑った。

その横顔も、相変わらず可愛かった。



「世間話はこんなところでいいや。本題入る?」

「……俺に聞くなよ。勝手にしろ」

「あはは、そうだね。まぁこの話をしなかったら、今日君を呼んだ意味がなくなっちゃうし」

そう言ってレイは大きく伸びをして。

軽くため息をついた。

「……君はさ、ていうか皆はさ。あの事件の内容、どこまで知ってるの?」

「……皆がどこまで知ってるかは知らねぇ。俺に関してなら、事実しか知らないぞ」

“俺がどこまで知ってるか”。聞かれたから、伝えなきゃいけない。

ただただ俺の頭が、それを俺の口に言わせることを拒んでいた。

…………重い。


「……レイが、友達のイアを殺した。正当防衛だった」


「場所は?」


「……学校の階段。イアがお前を突き落とそうとしたのを、お前が腕を掴んだ」


「そして、一緒に落ちた。私は運が良くて、イアは運が悪かった。日時は?」


「……2023年、8月24日。夏休み最終日だな」


「イアの、動機は?」


「……試験みたいに言うなよ。お前は休んでたけど、俺らはこの前終わってんだ」


「そうだね。休んでたから、知らなかったや」

見え透いた嘘をついた。これも相変わらずだ。

また会話が途切れる。今度は、波の音は聞こえなかった。

「流石に、そこくらいまでしか知らないか。どう? 聞く?」

「“知ってほしい”ってよりは、“話したい”の方だろ」

「……全部、見透かされちゃってるや。敵わないね」

再びため息をついた。俺も、レイも。


「正直さ、殺されかけた理由は分かんないんだよね」

「心当たりもないのか?」

「ない。殺されるくらいに嫌われてた人はさ、その理由なんて絶対分かんないんだよ」

「それもそうかもな」

諦め半分。もう半分の感情は、俺には分からなかった。

「突き落とされても私は床に肩とかぶつけちゃっただけなんだけど、イアは運悪く頭打っちゃっててさ。床についてた背中とか、服とか、腕とか掴んでた私の手とか、真っ赤に濡れてたの。そこで気付いたよ。殺されかけて、殺しちゃったって」

「……経験したくはねぇな」

「でしょ?」

レイは、軽く息を吸い込んだ。

「一応、正当防衛だってね。最初の二日くらいは警察の人がよく来て、その後三日くらいはカウンセリングの人がよく来て。ずーっと、お話ししてた」

「…………」

「『災難だったね』って。『運が悪かったね』って。馬鹿みたいにずーっと言われた。

別に、心は動かなかった」

静かなのが、かえって騒がしかった。

「20日くらい、部屋に引きこもりっぱなしだった。私はどうしたら良いんだろうって、ずっと考えたんだ」

何かを言おうとして、出かかって、けど口を閉じた。

『お前のせいじゃねぇだろ』とでも言ったところで、多分コイツには何も響かない。

気を病んでいる、なんて話じゃないんだ。

「普通さ、人を殺したら悪人じゃん? そしたら悪人らしい振る舞いっていうのが多分あってさ。どんな形であってもイアを殺してる私は、そう堕ちてしまう方が楽なんだよ」

「……けど、お前は何も悪く―――」

「でもさぁ! 私は人を殺したって言っても、一応事故らしくてさ! 悪人のハズなのに、ちゃんとした悪人じゃないっぽいんだよね!」

無駄だと分かりながら口をついて出た俺の言葉は、レイの声に掻き消された。

高揚すら感じられるその声には、涙が入っていた。

「あの日のことは、生涯ずっと記憶に残る。もう焼きついてる。どの道、普通には戻れないんだよ。―――だからさ」

そこまで言って、レイは俺を押し倒した。

そして倒れた状態の俺に跨り、俺の首に両手をそっと置いた。




「私がちゃんと“悪役”になるためにさ。私に、殺されてくれない?」




目から涙が零れた。

レイの目から滴った雫が俺の目に落ちて、零れた。

そこに、俺の涙は含まれちゃいなかった。




「良いよ」


その声を聞いたレイは、酷く動揺した表情だった。




「何だよ。お前が言ったんだろ」

「……誰が即答するのさ」

そう言って、レイは首から手を離した。

「私の、聞き間違いじゃないよね」

「もう一回言ってやろうか?」

「いや、……大丈夫」

「未練とか、ないの?」

「ないと思うか? めちゃくちゃにあるよ。お前が想像してる、五倍はある」

砂浜の少し湿って冷たい感触が服越しに伝わってくる。

「……じゃあなんで」

「お前が頼んできたんだろうが」

別に、起き上がれる状況ではあった。でも俺はそのまま喋り続けた。

「てか、こんなイカれた話を俺に持ってきたってことは承諾される勝算があったってことだろ? なくてもそのまま殺そうとしたか? しないだろ」

「……普通に、力勝負なら勝てないしね」

「それもあるしな」

こんな状況なのに、頭は凄く冷えている。

「だから、殺して良いって言ってんだよ。やれよ、絶好のチャンスだろ」

また首に手が置かれた。露にでも触るかのように、優しい触れ方だった。

レイは、まだ怯えたような表情をしていた。

泣いて、高揚して、動揺して、怯えて。忙しい奴だ。


「……もう一回聞いていい?」


「なんだよ」


「……何で?」


「俺はさ、今は多分深夜テンションでおかしいんだ。最期くらい格好つけさせてくれよ」


「……そっか」

レイはそっと目を閉じて、次目を開けた時には手に力が入っていた。


「終わったらお前はどこ行くんだよ……」

「さぁ、どこだろうね」

「ハッ、……適当だな」

苦しくて、もう喋れそうにない。頭だけが回る。

この選択が間違ってるかは分からない。ていうか、多分間違ってる。

後悔したら負けだ。


本人の意思関係なく狂ってしまった、憐れむべき少女。

そんな彼女が作ってしまった、俺とレイのこの憐れまれるべき関係。

そして、俺から見たレイの―――



これは、言ったらダメだと思った。

伝えるべきじゃないと思った。だから、言わなかった。


俺の本音の恋の言葉は、このまま墓まで持っていこう。








「はぁ、はぁ、…………」

もう動いていない。息の音も聞こえない。

あの時のイアと一緒だ。死んだんだ。


「あっははは……」

さっきまでの問答が頭の中で無限ループ再生される。

今更浮いてきた後悔を、どこか遠くに飛ばす。



「……ありがと。これで私も君を殺した“悪役”だね。とても良い人を殺した、最悪の“悪役”」






そっと、動かない彼の唇に自分を合わせた。


「大好きだよ。じゃあね、シュウヤ」


手を合わせ、目を閉じる。



悪役の運命。正義にきっと滅ぼされる、悪役の宿命。

「近いうちに、また逢おっか」




2023.9.21. AM 03:14

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可憐 雪国匁 @by-jojo8128

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