『情を抱いたから。殺される事を望む』

小田舵木

『情を抱いたから。殺される事を望む』

 脈打つ心臓が彼女の手に収まっている。

 私はそれを唖然あぜんと眺めるしかなかった。

 何故このような事態になってしまったのか?

 このような光景を見せられても尚、信じられない私が居る。

 恵那えな姉。私のたった一人の幼馴染。彼女だけは怪異であって欲しくなかった。

 

 唖然とする私を他所に恵那姉は掴み取った心臓を口に運ぶ。

 そして貪りつき。噛み砕き。心臓は彼女の腹に収まっていく。

 口元に赤く鈍い血をしたたらせながら。彼女は私を見やる。

 その視線にどんな意味が込められているか?私はもう類推する事が出来ない。

 彼女は人間ではなく。だったのだから。

 人ならざる者。人倫を外れた者。永久とわの命を受ける者。

 

「あーあ。私はどうやらアンタを見誤っていたらしいね」私はやっとの事で言葉を放つ。

「…ももの側に居ることで大分楽をさせてもらった」彼女は冷たく見下ろしながら言う。

「まさか。アンタが人狼ハート・スナッチャーだったとはな」

「敵を騙したいなら懐に潜りこんでしまえば良い」

「まさしく。私は…いや私達一家は。恵那姉に騙されていたよ」

「御しやすかったわね。桃達一家は」

「返す言葉もないやね」あっさりと人狼に騙されていたのだから。

 

                  ◆


 私の一家は。地元では有名な祓い屋の集団である。

 神道を奉じながらも。怪異と人のなかだちをする一家である。

 私はその跡取り娘であり。幼い頃から修行に明け暮れる日々だった。

 その修行は苛烈を極め。私は幾度も折れかける事になる。

 それを見守っていたのが。近所に住む恵那姉であった。

 彼女は私の2つ上で。何かと世話を焼いてくれて。

 私は自然と彼女に憧れる事になるのだが。

 それが間違いだったのだ。私はそれをまじまじと見せつけられていて。

 まったく。選りに選って。一番深いところに潜りこまれていたのだ。

 ハート・スナッチャーの大胆さに舌を巻くほかあるまいて。

 

「私を騙しおおせて。どんな気分だったよ?恵那姉?」私は問いかける。時間を稼ぎたい。何せ相手は心臓を喰らったばかりのハート・スナッチャーであり。私がまともにぶつかって勝てる相手ではないのだ。

「うまくいったな、と。お陰で私は捜索の手をまぬがれる事になるのだから」

「そりゃね。娘の幼馴染がハート・スナッチャーであるなんて。考えたくもないだろうよ。父さんも爺ちゃんも」

「木を隠すなら森の中ってね」

「まさしく。人もどきを隠すなら人の中…」

「人もどきとは心外な」

「そう呼ばざるを得んよ、恵那姉」

 

 私と彼女は睨みあっている。

 その間には距離があるが。今やそれは万里に値するような気がする。人と人ならざる者。私達の間には無限の距離が開いているように思える。

 

 私は両掌りょうてのひらを打ち鳴らし。方陣を描いて。

 恵那姉は私の方へと向かってくる。

 方陣が。恵那姉の腕を弾く。

 ああ。始まってしまったんだな。そう思う。

 私が心の底から望まなかった事が今、起きようとしていて。

 私は悲しくなる。今までの思い出が無に帰すような気がして。

 

                  ◆


「まーた泣いてる」彼女は何時だって。私を見つける名人であり。

「だってえ」幼い私はこたえる。爺ちゃんと父さんにこってりとした修行を課されたばかりだ。私はその修行で怪我をしており。

「膝…大丈夫?」恵那姉はブランコに座る私の膝を見やる。

「痛いよ。でも我慢しろって言われた」

「桃のお父さんもお爺さんも。桃に期待してるのね」彼女は優しい顔で言う。

「期待なんて要らない」

「そういう事言わない」

「毎日、キツい修行ばかりさせられて。怪我一杯して…私は嫌」

「桃は。祓い屋になりたくないの?」彼女は私の顔を覗き込みなら言う。

「…なりたくない」私は当時はそう思っていた。こんなキツい目に遭うくらいなら普通の女の子になりたかった。だが。家がそれを許すはずもない。

「今はキツいかも知れないけど。が来るわよ」

「いつかって何時?」

「それは私には分からないけど」彼女は遠くを見やりながら言う。

「分からない事に向かって努力なんて出来ない…」

「…人の生なんて。分からない事だらけよ」恵那姉は時折こういう老成した事をいう子どもであった。昔はそれが不思議だったが。今なら腑に落ちる。ハート・スナッチャーは自在に年齢を操作できる。恵那姉は。子どもに化けた怪異だったのだ。

 

                  ◆

 

 私は恵那姉の攻撃を弾く事に終始させられている。

 彼女は苛烈かれつに攻め込んでくる。私はその姿に違和感を感じる。

 彼女はおっとりとした人間だったはずなのに…いや。それは人狼ハート・スナッチャーとして潜んでいた彼女が創り上げたペルソナであり。こちらが本性なのだろう。

 

「きっついって、恵那姉!」私は方陣にこもりながら言う。

「これくらい。どうにかして見せなさいな」と言いながら彼女は強烈な一撃を我が方陣に打ち込み。

「…うおっと!まずい拙い」

「修行の成果。見せなさいよ」

「いや。十分見せてると思うけどなあ…」

「まだまだぁ!」彼女は手を緩めてはくれず。私は困る。このままじゃあ。方陣が崩壊して。彼女の腕の餌食になるしかないのだ。頭を無理やり回転させるが。何も案が浮かびやしない。

 

                  ◆


 恵那姉と私は。何時でも一緒だった。

 それは学校でもそうで。私達は小中高と同じ学校で過ごす事になる。

 私は恵那姉に憧れていたのだ。そして彼女の真似をする事で自分を形成しようとしていた。

 まあ、それは間違いだったのだが。彼女はどっちかと言うとおっとりしたタイプであり。私は活発でせわしないタイプだったのだから。

 だが。私達はお互いに違っていたから。交友を結べたのかも知れない。

 

「恵那姉!」なんて私は子犬のように彼女に付き従い。

「はいな」なんて恵那姉は応えていた。

 私は彼女の行くところに着いていき。彼女がする事を見守って。

 まるで。子分か何かのように振る舞っていた。

 

                  ◆

 

「ほらほら!脚元がお留守!!」彼女は私の方陣の弱いところに足払いを入れて。

 私は姿勢を崩す。ああ。この人には敵わないのではなかろうか。

 私は地べたにいつくばり。彼女は私に腕を突きつける。

 ああ。これでゲームオーバーか?そう思ってしまう。

 だが。ここで負けたら。ハート・スナッチャーを1匹この世界に放ってしまう事になる。

 私は無理やり起き上がって。彼女の腹に向かって掌底しょうていを放つが。

 彼女はひらりとかわして。

 私はあらぬ方向に吹っ飛んでいく。

 その後ろから。彼女に肩を捕まれ。そして。

 彼女と向き合う事になる。ああ。このまま。胸に腕を突っ込まれて。心臓を抜き取られるのではあるまいか。

 

「これでお終い?桃?こんなに弱かったっけ?」

「…たかが女子高生だぜ?私は」

新藤しんどうの名を継ぐ者でしょう?」

「そんなもん。ただのオマケみたいなもんだ」

「その割には。修行。頑張ってたじゃない?」

「それはアンタが私の背中を押していたからだろ?」

「…今思えば。余計な事をしたかなって思うわよ」

「ホント。アンタは何がしたかったんだ?」私は思う。私を新藤の家の修行から遠ざける事は簡単だったはずなのに。彼女はえて私を修行させていたのだ。そこには矛盾がある。彼女がハート・スナッチャーであるならば。私をただの人でいさせた方が都合が良いのに。

「万全の相手を狩りたい。そういう理由で良い?」

「アンタは戦闘狂か何かか?」

「ある意味ではそう。私に全力で歯向かう者を狩って。その心臓を喰らう…」彼女は微笑んでいる。その笑顔は見慣れたモノのはずなのに。今は底が知れなくて。私は怖気おぞけを感じてしまう。

 

                  ◆


 微笑みが恵那姉のトレードマークであった。

 彼女は何時でも微笑みを絶やさない。それは強靭なペルソナがなせる業であり。

 私は尊敬していた。微笑み続けるってのは簡単な事ではない。

 人生嫌な事ばかりが起きる。それに対して常に微笑んでいるというのは。彼女が強い証拠であり。

「恵那姉は何でいつも微笑んでいるのさ?」私は問うた事がある。何時だったか。確か中学生の時だったような気がする。

「…人生は嫌な事ばかりだけど。それにヘソを曲げるのは簡単で。それを甘受するのは難しい。私は負けず嫌いなのね。どんな事があろうが。微笑んで対処する。これは世界に対する挑戦状なのかもね」

「…恵那姉はおっとりした人だと思っていたけど」

「実は気性が荒い」

「こっわ」

「…人間。おっとりとしていては。いつか食い物にされてしまう」

「ぞっとしない」

「でしょう?ま、

「生き汚い恵那姉なんて想像し辛い」

「…私は生き残る為なら何だってするわよ」

 

                  ◆


 生き残る為なら何だってする―

 彼女はそれを実践していたのだ。私達のすぐ側で。

 ハート・スナッチャーという人狼でありながら。私達の陣営に深く潜り込んでいた…

 ああ。彼女は手強い。ホントそう思う。

 選りに選っての彼女が人狼であろうとは。

 

 彼女は私の胸に腕をかざしている。

 ああ。私は彼女に狩られようとしている…まったく。参ったな。

 

「知り合いのよしみで見逃しちゃあくれんかね」私は言う。この期に及んでの感はあるが。

「知り合いだけど。桃を生かしておくことはできない」

「…私が祓い屋だからかい?」

「…そう」そう言いながら。彼女は私の胸に腕を突っ込み。

 

 私の心臓を鷲掴わしづかみにする恵那姉。

 私の心臓は締め上げられ。悲鳴を上げているが。

 私はどうする事も出来ない。

 ただただ、胸の痛みに耐えて。何とか立っているのだが。

 

「こんなのじゃ。生き残っていけないわよ?新藤桃さん?」彼女は微笑みながら。私の顔を覗き込む。

 私はかすむ視界を何とか保っているが。胸の痛みが尋常ではない。心臓を鷲掴みにされているのだから。

「ここで。私は死ぬのかあ…恵那姉に殺されて…」

「このままだと。死ぬわね」

 

                  ◆


「ねえ。桃。死ぬのは怖いことかしら?」いつかの川原。かたわらに居た恵那姉は問うた。

「…少なくとも怖い事ではあるでしょうね」私は応えたさ。

「そうよね。人が死ぬということは。ある種定めではあるけど。怖いわよね」彼女の顔はいつも通り微笑んでいたが。そこには影が落ちており。

「…急にどうしたのさ?」私は問い返す。こんな事を言う恵那姉は珍しい。

「人間、たまには死を考える事もあるわよ」

「…私らまだ高校生だぜ?早すぎない?」

「そうでもない。むしろ。今だからこそ生を問わねばならない」

「相変わらず老成してんね。恵那姉は」

「…たった18だけど。生きていれば。死を意識しなければならない。いつかは終わるの。この命は」

「終わりを意識する人生なんて…暗いなあ」

「死から逆算をして。後悔のない人生を送りなさいね。桃は」

「…恵那姉は例外なのかい?」

「…」彼女は微笑んだままで。

「…恵那姉も。後悔のない人生を歩んでよ。終わりに向かって」私はとりあえずの言葉を投げかける。

「私には…」彼女は言いかけて。

「…」私はその次の言葉を待つが。それが出てこなかった。

 

 そして。この会話の後。

 この町にハート・スナッチャーは現れた。心臓をくり抜かれた死骸が転がり。

 私達の家は捜索に駆り出され。

 私もその手伝いをする事になる。

 

                  ◆


 私は死んだよな、と思っていたが。

 まだ。死んではいない。

 心臓が締め上げられて悲鳴を上げているが。

 まだ。死んではいない。

 

「どうした?恵那姉…殺すなら殺せよ」私は眼の前の彼女に告げる。

「…」彼女は微笑みとも苦渋とも取れる顔をしていて。

「まさか。なんて言わねえよな?」私は問う。

「…私だって。人間みたいな者である訳で」

「の割にゃあ。幼馴染の心臓を掴んでいるけどな…」

「私は欲求がある…一方では桃の心臓を喰らいたい。一方では桃を生かしておきたい」

「…ほださちまったのかい?人狼さんよお」

「敵を欺く為に入り込んだのに。私は駄目ね…非情になりきれない」

「…んな事思うくらいなら。さっさと私達から離れれば良かったんだ。アホかよ」

「…桃。私はね。孤独に生きてきたの」

「人ならざる者だからな」

「そうして。この九州に落ち延びてきて。この地域で唯一の祓い屋の近くに潜むことにした」

「…そうしとけば。あざむく事が出来る。隠れる事が出来る」

「計算外だったのは。桃、貴女あなたよ」

「…別に。ただのガキじゃねえか」

「私は貴女に幼馴染として近づいて。いつかは喰らうつもりだったのだけど」

「ぞっとしない話だよ。つくづく」

「貴女が成長するのを見守って。なんだか自分の子どもみたいでね。情が湧いちゃったのね」

「なのに。今は本性を明かして。私を喰わんとしている」

「しょうがないじゃない。ボロ出しちゃったんだから」

「バカだよなあ。アンタは」

「まったくね。入り込んで油断してたのかしら」

 

                  ◆


 小さな違和感。恵那姉を疑う理由はそれしか無かった。

 あの時交わした会話。彼女はそこでボロを出し。

 私は彼女を付け回す事になる。

 私は彼女がハート・スナッチャーである事を信じたくは無かったが。その疑惑の種は芽吹いてしまっており。それを解消しない限り、私は彼女と向き合えそうに無かった。

 

 そうして。

 私は彼女を付け回し。今回の件に到っている。

 迂闊うかつだったのは。父さんと爺ちゃんに報告しなかった事。

 選りに選って私は自分でどうにかしようとしてしまったのだ。

 だって。一番身近で。大切な人が。人狼ハート・スナッチャーだったなんて。

 信じたくはないだろう?

 未だに私は信じられていない。

 心臓を鷲掴みにされて。命の危機を迎えているってのに。

 私は阿呆だ。つくづくそう思う。

 何が祓い屋だ。ただのガキでしかない。

 大切な幼馴染のお姉さんに裏切られてヘソを曲げてるガキでしかない。

 

「さあ。新藤桃。抗いなさいよ。眼の前のハート・スナッチャーを狩りなさいよ」彼女は心臓を掴みながら言う。無茶苦茶言うなって。どうしようもないじゃねえか。私は心臓を掴まれているんだぞ?これは詰んでる。どう考えても詰んでる。

 

「…アンタは死にたいのか生きたいのか。どっちか分かんねえな」

「…今となっては。もう。どっちが正解なのか。よく分からない」

「もっと。怪物ぜんとしてくれてたら。私もあっさり殺せるんだろうけどな」

「ハート・スナッチャーだって。ただの人間なのよ」

「情に絆される位にな」

「まったく。作戦失敗ね。大胆でありすぎた」

「策士策に溺れる」

「まさしく」

 

 私達はまんじりとしている。

 恵那姉は私の心臓を鷲掴みにしているが。手をこまねき。

 私は。心臓を掴まれているが。まだ死んではいない。

 ああ。さっさとケリを着けたいのだけど。お互いの思惑が絡まって。状況は動かない。

 …そう。私は。。この期に及んで。

 さっさと躊躇してる恵那姉を祓うべきだ。殺すべきだ。

 だが。私達には16年に及ぶ思い出があり。

 それがお互いの行動を縛っている。

 まさか。怪異が情に絆されるとは。

 さっさと殺してくれた方が楽である。私は裏切られ。死んでいく。

 なのに。彼女も私を殺しあぐねている。

 ああ。このまま。お互いに何もなかった事にしておきたいが。

 それは状況が許さない。どうであろうが彼女は怪異であり。

 祓われるべきであり。

 

                 ◆


 私は恵那姉と過ごした日々を思い返す。

 彼女はいつも私の側で微笑んでいた。その笑顔の裏に心臓喰らいの本性を隠しながら。

 彼女は大胆な策を打ち。私達の一家に近づいて。

 あっさりと入り込む事に成功する。

 お陰で私達は。彼女を16年見逃す事になる。

 だが。彼女は想定してなかったのだ。監視対象に情を持つ事なんて。

 

 お陰でこの様だ。

 今。私は命を掴まれているが。彼女は殺しあぐねている。

 まったく。物事はうまく運ばない。何時だって。

 だが。私もまた。情を持ってしまってる。

 彼女は人ならざる者であったが。同時に私の大切な幼馴染であり。

 私は役目を果たせずにいる。

 彼女はジレンマに悩まされているが。私もまた同じジレンマにはまり込んでいる。

 彼女は怪物だ。祓わなければならない。

 だが。同時に16年を過ごしてきた幼馴染であり。殺すのなんて…あまりに残酷であり。

 

 私は胸に手を突っ込まれたまま。回らない頭を回転させているが。

 彼女同様。動けぬままで。

 ああ。このまま時が止まってくれたら良いのに。

 そう思わざるを得ないが。

 

「―桃。ねえ。貴女は。乗り越えなくてはならない」彼女は静かに呟く。

「何を?」

「この状況を。私は何時までも貴女の側にいることは出来ないの」

「だから。えて。バレバレの犯行をしたとでも?」

「…そう。貴女に祓われる事を期待しながら」

「…矛盾してる。在り方と」

「人間。そうもロジックで生きていけるものじゃないのね」

「感情が。利得を超えた」

「そう。私は貴女に出会ってさえいなければ。このままこの町に潜み続け。ハート・スナッチャーとしての生を全うできた。露見することもなく」

「…そういう事になるかもね」

「…出会わなければ良かった」私はそうこぼしてしまう。私と出会った事が。彼女の生を決めてしまった。彼女を壊す事に繋がってしまった…

「そんな事言わないでよ。お姉さん泣けて来るじゃない」彼女は微笑みながら。涙を流していて。

「泣かれたら。余計に祓いにくいぜ」

「いやあ。どうしてこうも情に絆されるのかな」

「それが人と関係を結ぶって事だよ…ハート・スナッチャー」

「…初めて知った」

「アンタは。何でも知ってるお姉さんだろうが」

「…人との繋がりなんて。私の知識の外だった」

「…まったく。老成してるんだが、子どもなんだか」

「その何方どちらでもないのかもね」

 

                  ◆


「さあ。桃。お願い。私を殺してよ。見せたでしょう?人を殺すところを。もう躊躇しなくていいの」


 彼女は私の眼の前で微笑んでいる。

 いつもの笑顔で。

 今日。私はそれを失うんだ…そう思う。

 彼女は彼女を乗り越える事を望んでおり。

 私はそれに応えてやることしか出来ない。何故なら私は祓い屋だから。

 

 私は意を決して。

 掌に力を込めて。彼女の方へと向ける。

 彼女は心臓を掴んだ手を離さない。私はそっと。彼女の胸にてのひらを乗せる。

 トクトクと脈を打つ心臓がこの人にもある。だが。彼女はあくまで怪異であり。

 私は。掌に力を送って。

 彼女を内から壊す。全身へと力を送っていく。

 

「それで良いの…」彼女は言う。

「…こんな事しか出来ねえんだな。私は」私は呟く。ああ。怪異を祓う事しか出来ない私。幼馴染を殺す事しか出来ない私。

 

 恵那姉の身体は自壊していく。心臓を中心として。

 ボロボロと身体が崩れていく。

 心臓を掴まれた私はそれをじっくりと見せられて。

 段々と像を失っていく彼女の身体を見やっていたら。涙が零れてきた。

 だが。私が泣こうが。彼女の身体の崩壊は止まらず。

 最後には、心臓だけが残って。

 私はその脈打つ心臓を見やる。

 。心臓を掴まれていたはずの私が。今や彼女の心臓を掴んでいて。

 私はその心臓をじっくりと眺める。人のモノとそう変わりはない。

 だが。それは怪異の心臓であり。

 私はそれを握りつぶさねばならないが。

 どうしても。握り潰せない。

 そこには16年に渡る私の思い出が詰まっているような気がして。

 でも。私の大切な恵那姉は。握り潰されるのを望んでいる―

 

 私はそっと掌に力を込めて。

 そっと。その心臓を握りつぶして。

 そうして。初めてのハート・スナッチャーを狩ったのだった。

 残ったのは喪失感。

 私は。その場に崩れ落ち。泣き叫ぶことしか出来なかった―

 

                  ◆

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『情を抱いたから。殺される事を望む』 小田舵木 @odakajiki

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