第7話 薩摩狂句の作り方

さて、このエッセイ?創作論?お国自慢?も今回で最後でございます。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました<(_ _)>


最終回は薩摩狂句の作り方についてです。

が、ここで短期集中連載のキャッチコピーにつながります。

私は、今のところ薩摩狂句が詠めません。


鹿児島県の比較的若い世代の人達は、鹿児島弁のイントネーションで標準語を話すケースがほとんどなのではないかと思います。そうした標準語を「唐芋標準語」(唐芋は鹿児島弁でさつまいものこと)と言ったりします。


私も県内にいたころは、唐芋標準語を話していたクチで、なかなか高齢者の方と接する機会もなく、県外に出てしまいました。そのため、残念ながら狂句を詠めるほどの鹿児島弁の語彙と独自の発音に関する知識がございません。


ただ、たびたび引用しております南日本放送の本において、狂句作家の有馬二刀流氏が、同じ狂句作家である寺師若法師氏の書いた「狂句づくり十二章」を紹介しています。


そちらの内容を見ると、散文はだめ、たくさん詠む、自選眼を磨く、身近なもの全てが狂句の題材になる、狂句味があること、人にうまく伝わるかなどなどのポイントが挙げられています。


これって、韻文であること、多作多捨、自選も勉強、モノを縦横斜めから見る、詩情の重要性などなど、俳句でよく言われることと近しい面もあるなと感じました。


このまま俳句の勉強を続けて、いつか郷里に帰ることがあれば、薩摩狂句も詠んでみたいなーと考える次第です。


今後も面白い薩摩狂句がありましたら、近況ノート等でご紹介するかもしれません。


以上です。ありがとうございました。

こんな終わり方でも怒らないでくださいましね<(_ _)>






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みなさま、薩摩狂句をご存知ですよね!? ネコ? @tanaka0045

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