第2話

 ことの始まりは、数時間前に遡る。


 そのときには、おれはまだ、職場でくだらないクレーム対応や、修正の入った報告書の処理に明け暮れていた。


「リュカ調査官、ちょっと来てくれ」


 係長から手招きされたのは、そろそろ皆、昼を告げるニスタの鐘の音が恋しくなってくる頃合いだった。おれは机の上にぶちまけた報告書やらなんやらを、まとめて引き出しに押し込めると、悪態をつきながら席を立った。同僚たちはみな、おれに同情の目を向けていた。ご愁傷様です、そんな言葉すら聞こえてきた。例えこれが出世や昇給に関しての打診だったのだとしても、同じことだ。係長が大事に飼っている犬ですら、彼を見ると親を殺された子熊のように吠え立てる。つまるところ、係長と会話をするのは、それほどの苦痛を伴う業務なのだ。

 おれは苦痛を噛みしめながら、係長に言われるがまま面談室に入った。


「リュカ、座っていいぞ、楽にしてくれ」


「はい、お言葉に甘えて」


 面談室は小さくも大きくもない机が一つ、それに向かい合うように椅子が二つあるだけの、殺風景な部屋だった。窓はなく、扉は防音のため固く閉ざされ、机の中心に申しわけ程度に置かれたテラコッタのランプが、古い油特有の、すえた臭いを漂わせている。この部屋にいい思い出がある職員など、一人もいないはずだ。おれは言った。


「私の業務に、何か問題でも?」手短に済ませたかった。


「いや、問題が起きるとしたらこれからだ」


 聞き捨てならない言葉だった。

 係長は机を挟んでおれの向かいに腰掛けると、机の下から書類の束と書字版を取り出しながら続けた。


「先々週くらいからだったか、フラウィウス遺跡でゴーレムに襲われて、負傷する冒険者が急増したって話は聞いてるか?」


「はい、概要程度は」


 フラウィウス遺跡はエゼル紀にエルフたちが残したとされる古い遺跡だ。とうの昔に完全踏破され、エルフたちが残した秘宝もすべて人間の手に渡ったが、比較的安全であること、そして街からそれほど遠くないという理由もあってか、今でも残りかすを当てにした冒険者たちの往来が絶えない場所でもある。しかし、それが最近になって問題が発生したらしいのだ。


「今までも遺跡を徘徊するゴーレムが、人を襲うことはあった。しかしそれは建造物を破壊しようとしたり、ゴーレム自体を破壊しようとした者に限られていた。これほどまでに積極的な敵対行動は遺跡踏破後は報告されていなかった」


「そうですか……」


 おれは嫌な予感を感じ、相槌の途中で口をつぐんだが、何か言いたげな係長との沈黙に耐えられなくなって口を開いてしまった。


「えっと、ゴーレムの討伐依頼は出さないのですか?」


「既存の討伐依頼として存在してはいる。だが報酬がリスクと見合わないのか、誰も依頼を受けない」


「報酬額を上げればいいのでは?」


「出来なくはないが、最終手段にしたい」


「予算上の問題で?」


「まあ、そんなところだ。遺跡の保安上の問題もあって、ゴーレムはその数が減ると、遺跡深部から無限に配給されつづける。討伐依頼の報酬額を上げて冒険者たちにゴーレムを討伐させたとしても、今回の現象を根本から解決できない限り、永久にゴーレム討伐が必要になる。そうなれば遺跡の特産品でもあるフラウィウスの花の卸価格にゴーレムの討伐費用を乗せなければならなくなる」


 フラウィウスの花――その名のとおり、フラウィウス遺跡の一区画で採取できる花なのだが、一定の需要があるにもかかわらず、諸事情で栽培ができないため、必要ならその都度遺跡に足を運ばなければならない。しかし、それがギルドや冒険者の馬鹿にならない利益になることも確かだ。係長は報告書のページをめくりながら続けた。


「根本的な解決を図りたいんだ。もちろん、可逆的な現象であればの話だが」


「何かとっかかりはあるのですか?」


「一応、負傷した冒険者の状況報告書はまとめてある」


 係長はそう言うと、めくったページを、分厚い報告書ごとおれの前に押し出した。


「当然だが多くの者がフラウィウスの花を採りに遺跡へ赴いている。まだ花とゴーレムの異常行動との関連性を裏付ける確証は取れてないが、とりあえず現在は遺跡の立ち入り、及び花の採取は禁止してある」


 おれは報告書に目を落とした。自分で言うのもなんだが、調査官が書く報告書は冗長な言い回しや、堅苦しい表現ばかりで読みづらい。あとで時間があるときにじっくり目を通そう。


 おれが顔を上げると、係長が待っていたかのように続けた。


「ちなみに、ダルムントという3級に上がったばかりの冒険者が、ゴーレムに襲われたにもかかわらず、唯一無傷で帰ってきた。しかもゴーレムを返り討ちにしてコアまで持って帰ってきた」


「ゴーレムとの戦闘経験が豊富な集団だったということでしょうか?」


 エゲル紀につくられた遺跡は複数ある。その多くでゴーレムが発見されているため、対処方法は広く共有されている。魔術耐性も物理耐性も高い厄介な相手だが、適切な人数を集めて周到な用意で迎撃すれば、勝てない相手ではないのだ。


「いや、ダルムントは一人でゴーレムを倒し、帰ってきたらしい」


「どういう人物なんですか?」


「魔術師で、本人曰く北方諸国から来たと」


「無名の魔術師が、無傷でゴーレムを? それは怪しいですね」


「そうだろう、とっかかりとしては、中々いいだろう?」


 係長は何故か嬉しそうに身を乗り出した。


「ええ、私に手伝えることは少ないでしょうが、頑張ってください」


 おれはそろそろ潮時だと思い、出来る限り屈託のない笑顔でそう言うと、立ち上がった。


「待て待て、この流れで、それはおかしいだろ」


「まだ、何か……?」


「いや、分かるだろ? お前がやるんだよ。この原因究明と解決を」


 やはりそう来たか、だがおれだって伊達に何年もこの仕事をやってない。断る方法だって心得てるつもりだ。


「そうしたいのは山々ですが、なにぶん、抱えてる業務が膨大で、これ以上は手を伸ばせないんですよ。申し訳ありません」


「それは心配しなくていい。お前が今抱えている仕事は、すべて他の職員に回してやる。お前はこの調査に専念していいぞ」


「いや、そこまでしていただくのは申し訳ないというか、それはそれで引継も大変ですし――」


「全く心配ない! 俺が何とかする」


 係長は任せとけと言わんばかりに、やや食い気味に言った。しかし、おれはまだ諦めきれなかった。


「というか、この状況報告書を取りまとめた職員に、そのままゴーレムの異常行動の調査もやらせればいいのでは? わざわざ私がやる必要あります?」


「もちろんそいつにもやらせてる。だが俺がお前に頼みたいのは、ちょっと違う切り口からなんだ」


「まさか……所内調査を含んでいるわけじゃないですよね?」


 係長は大袈裟に作っていた表情を、一瞬だけ曇らせた。ほんの一瞬だけ。そして、おれの言葉を無視するように続けた。


「ちなみに、この調査はなるべく早急に決着をつけてほしい。具体的には次の決算報告までな」


「つまり私に残された時間はたったの2週間しかないと言うことですか?」


「いや……」


 係長は指で残り日数を数えると、また大袈裟に申し訳なさそうな顔で言った。


「今日入れて13日だな」


「まあ、善処します」


「なんかあったらすぐ報告しろよ、俺で力になれることなら、何でもしてやるからな」


「じゃあ早速、お願いがあるんですが……」


 そしておれは早めに休憩を貰い、外に飯でも食いに行くことにした。


 そうすれば、少なくとも係長がおれの仕事を他の職員に振り分けている間、恨めしい同僚の視線にさらされずに済むからだ。

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最果ての、冒険者ギルドの調査官! ぽんぽん @ponponpokopon

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