オーロラの雨

十余一

紅気の甘雨

「あらあら、いけない子。逢瀬の約束を破ってこんなところにいるだなんて」

 寄宿舎の一室で、彼女は羽織を頭から被りうずくまっていた。薄絹の隠れ家をついと引っ張ってみても、少しの焦燥と共にささやかな抵抗が返ってくるばかりだ。そんな姿が可笑おかしいやら愛おしいやら、思わず笑みがこぼれそうになる。彼女のいじらしい行動は私の心を大いにくすぐった。

 私が茶目気を隠しきれずに掛けた言葉を、彼女は不機嫌そうに打ち返す。

「お姉さまが他の御方とばかり仲良くして、わたしを放っておくからよ」

 鈴を転がすような声も、今は涙に震えくぐもっている。膨れあがる愛に燃えたつ嫉妬を織り交ぜた声色が耳に届き、背筋が喜びに粟立った。

 本当に仕様がない子。きっと、昼間、私が友人と談笑していたことを気にしているのね。

「あの子はお友だちよ」

睦言むつごとを、囁いていたのではなくて?」

「他愛もないお喋りをしていただけだわ」

 それでも尚、得心いかないのか、彼女は溢れ出る感情を止められずにいた。

「お姉さま、わたしたちはシスタアよ。わたしはお姉さまの妹なの。たった一人の妹なのよ。わたしだけを愛してくれなくちゃ、嫌よ」

 私はうずくまった彼女の背にてのひらを添え、幼子おさなごをあやすように撫でた。触れたところから愛念が伝わるように、優しく慰め続けた。

「私の可愛い可愛い紅子べにこさん。そろそろ、天岩戸あまのいわとを開けてくださらないかしら。隠れていてはむつみ合うことも出来ないわ」

 少しだけ間をおいて、彼女は青白い月光の元にさらされた。

 乱れた濡羽色ぬればいろの髪を私の手で直し、一度強く抱きしめてから、視線を絡ませる。憂いを帯びた雫がこぼれ落ちようとも、決して、泣き止んでとは言わない。だって私は、貴女あなたの泣き濡れるかんばせが大好きなんだもの。

 あどけなさの残る頬には、内側から紅気こうきが立ちのぼる。ほのかに紅く染まるすべらかな頬を、一滴、また一滴と、涙が伝う。雫に溶けこむ愛は望月が霞むほどに光り輝く。その源たる嫉妬の熾火おきびを宿した瞳は、私だけを映していた。私だけを見て、私だけを想い、私のためだけに放たれる極光のきらめきは、この世で最も美しい。

 貴女が私の愛を試して独り占めしたくなるように、私も貴女の愛を試してもてあそびたくなるの。本当は、友人とお喋りする私を怨めしそうに眺めていたのも知っているわ。可愛くて、つい悪戯したくなってしまうのよ。いじわるなお姉さまを、どうかゆるしてちょうだいね。

「愛しているわ、紅子さん。私の、いっとう大切な子よ」

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