Case No.1:縁結びの紐
第3話
秋嶽堂でのアルバイトは紫乃が思っていたよりもずっとスムーズに進んだ。出勤頻度は週三~四回であり、かつ時給は二〇〇〇円で支払われた。最初は計算違いかと思った紫乃が辰巳に訊ねたところ、彼ではなく白が質問に答えてくれた。
『オレが辰巳を止めたんだ。募集の紙にあんまり高い給金書くと警戒されるぜって。物事には相場があるって辰巳が一番わかってるはずなのにな』
得意げに言う白に紫乃は苦笑した。確かに店舗の品出しとレジ打ちのアルバイトとして最初から時給二〇〇〇円と書かれていたら紫乃も警戒していただろう。家庭教師としてそれ以上の時給で稼いでいる友人もいたが、それとこれは話が別だ。
「その判断、とても懸命だったと思う」
初対面のときといい今回といいこの白い鴉は本体である辰巳よりも随分常識的で、世間ずれしていないのだということが段々紫乃にもわかってきた。
『そうだろう!』
フフン、と胸をはる白の頭を紫乃は指で撫でてねぎらった。この不思議な白い鴉とも親交を深めている。なお、柴乃がなぜ白いのかと訊ねたところ『カミサマのお遣いっぽくてかっこいいだろ』という返答があった。大抵、鳩に間違われて憤慨しているので、いっそ鳩であった方がよいのではないか、と言いたかったが紫乃は我慢した。
「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」
からり、と表の引き戸があく音がして、ころころとした声が聞こえてきた。紫乃が店の縁側スペースから土間に下りると、水干を身に着け、二本足で歩行する狐が二匹いた。
「いらっしゃいませ」
紫乃は二匹にぺこりと頭を下げる。秋嶽堂で働くようになってから一番よく見かける客人であり、伏見稲荷大社からやってくるお遣いの狐だった。少年のような出で立ちの彼らを紫乃は可愛らしいと思うが、その実百年以上生きているらしい。
「本日のご用件は?」
「はい。今度の市にてお買い物をおねがいしたいのです」
「こちらに書き留めてまいりました。お代はこちらでございます。……念のため申しておきますが、葉っぱではございませんよ」
初対面の際に紫乃が紙幣を透かして見たことを気にしているらしい。苦笑しつつ、柴乃は狐たちから書付と対価を預かった。
「市が終わり次第、改めて精算にまいります」
「辰巳殿にもよろしくお伝えください」
それでは、と言って狐たちは帰っていった。一度どうやってここまで来ているのかと訊ねたところ、京阪本線に乗ってですよ、と彼らは答えた。彼らがそのまま乗っているのを紫乃は想像したが、一般の客にはきちんと人間が座って見えるように擬態するようだ。
なお、秋嶽堂の中庭には池があり、池同士であれば様々な場所へ行くことができる。もちろん伏見稲荷大社にも池があるため、電車に乗らずとも秋嶽堂に訪れることはできるのだが、彼ら曰く、
『我らは大社様のお遣いゆえ、きちんと正面から訪問するようにと言われております』
らしい。要するに伏見稲荷大社にある池から秋嶽堂の庭の池という裏口への訪問が許されていないということだった。だが、それだけではなく単純に濡れるのがいやなのではないか、と紫乃は疑っている。池同士のネットワークは優れものだが、物理的に濡れることだけは避けられない。
『あいつら今回は何を依頼してきたんだ?』
紫乃の肩に移動してきた白が書付の中をのぞきこむ。紫乃はさっと書付に目を通した。彼らが普段依頼するものは決まっている、と辰巳が言っていたものと、ひとつ付け加えられているものがあった。
「縁結びの紐……?」
『ああ、もうそんな時期か。縁結びの神様って知ってるか?』
「え、うん、あちこちにあるよね」
そして熱心に祈っている人も見かける。
『その元締めが出雲大社っていうのは?』
「それもわかるよ」
『毎年旧暦の十月に全国の神が出雲につどってどの縁を結ぶか話し合いをするんだけどよ、そのときの候補に印をつけておくのが縁結びの紐だ』
「へえー」
意外と神様は人間のことを見ているものだ、と紫乃は思った。白はそんな紫乃に補足だが、と情報を付け加えた。
『カミサマが結ぶ縁は惚れた腫れただけじゃなく、商売だとか学問もあるからな。縁結びって一口に言っても奥が深いのよ』
言われて確かに、と紫乃は思う。自分も遠くない昔、大学に受かりますように、と祈った記憶があった。その甲斐があったのかどうかはわからないが、志望校に合格して今があるのだからあながち嘘ではないのだろうと素直に信じられた。
「そうなんだね」
『稲荷神社系列は商売繁盛を願うことが多いからな。大方どっかの店と金子の縁でも繋ぐんだろ』
その縁が見えたら、これから先に控える就職もさぞ楽だろうと思わず紫乃は想像する。だが、金子との縁が永遠に続く会社があるかと問われるとおそらく違うのだろう。
『とはいえ、アンタの買付けデビューがこんなタイミングになるたぁね』
「え、何か良くなかった?」
『縁結びの紐ってのは、強力だからこそやっかいなんだ』
白は一度言葉を切ると、よく聞きな、と柴乃に言い聞かせた。
『あの市場に直接紐を買い付けにくるカミサマもいる。そんなのにうっかり気に入られてみろ、神嫁まっしぐらだ。……って言ってもピンときてねえな? 簡単に言うと人間をやめる羽目になるってことだ』
「それは困るよ!」
人間をやめると具体的にどうなるかはわからないが、少なくとも今の生活を失うことになるのはいやだ、と紫乃は思った。
『そうだろ? 顔を隠してもカミサマ相手には無駄だからな……。まあちょっと辰巳と相談してみよう。要はアンタが人間だってバレなきゃいいんだから何かしら方法はあるはずだ』
「ありがとう……」
雇われる前に見せてもらった偽夜市の風景は紫乃の脳裏に焼き付いている。行くのを楽しみにしていた場所ではあるが、想定外のリスクが発生するとは思ってもみなかった。
「辰巳さん、遅いね」
『ああ、今日は古本屋で紙魚退治だ。大方手こずっているんだろう』
「え、害虫駆除もするの、この店」
虫はやむを得ない場合をのぞいてなるべく触れたくない、というのが紫乃の心情だ。だが、白は違う、と言って首を横に振った。
『辰巳が退治するのは特殊な紙魚だ。ああ、噂をしたら帰ってきた』
白は辰巳の式神であるため、辰巳と己の距離が常にわかる。白のつぶやきから十数秒後に玄関の引き戸が開いた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
『お帰り』
いやあ、今回は大変だった、と言いながら辰巳は手に提げていた風呂敷を畳に置いた。中には小さなビンが入っており、ビンの中には小さな虫がいた。それを見た白がハハッ! と笑いながら言う。
『随分年季の入ったやつがいたもんだな』
『やかましい』
この世のものが発したとは思えない重厚な声に思わず紫乃は耳を掌でおおった。それくらい重たい声だった。
「爺さん、悪いが優しくしてやってくれ。爺さんの声がよく聞こえる子がいるんだ」
『……ほほお、また珍しい人間がいたもんじゃ』
いくらか先ほどよりはやわらいだ声に紫乃は耳から手を離した。
『言ったろ、特殊な紙魚って。半分妖怪みたいな存在で、太古の昔から紙に書かれている文字を食って生きてんだよ』
白の解説に紫乃は納得した。言葉の重みは文字通り食らってきた言葉の量と質が違う。太古から在ったありとあらゆる文字を識っているものの言葉だった。
「爺さん、また懲りずに古本屋でたらふく食ってたよな」
『いやあ、古い本の文字は実にうまい』
「古本屋が泣くからほどほどにしてやって。稀覯本の文字を食うのはよくない」
『たまの馳走くらい許してほしいものだが。まあ、仕方あるまい』
「今度、日本語じゃなくていいなら古い本仕入れてくるよ」
『ああ、まあ、それならいいか』
紙魚にとって違う国の言語はその国特有の食べ物に近い味がし、違う次元の言語は珍味に近い味がするのだとか。不思議なものだ、と思いながら紫乃は辰巳が紙魚と話すのを聞いていた。
『辰巳、そこのお嬢ちゃんは?』
「ああ、ここで雇った従業員」
『あるばいと、というやつだな』
「さすが、最近の本もたらふく食っただけはあるな。よく知ってる」
『じゃんくふーどに近いが、たまにはああいうのも悪くない。言葉というのもまた生き物だからな。ところでここからはいつ出してくれるんじゃ』
「出さないよ。出すのは飯の時間だけ。爺さんをほっとくとあちこちの古本屋から苦情が来てボクも困るんだよ」
『器が小さいのう』
紙魚はそのあともぷつぷつと文句を言っていたが、満腹になったあとの眠気には勝てなかったようで、そのうちビンの中で眠りこんでしまった。
「角巻さん、耳は大丈夫?」
「あ、はい。ちょっと重たい声がしてびっくりしましたけど、そのあとは加減してもらっていたので」
「それならよかった。ボクは多分角巻さんよりも感じ取る力が鈍いから、気づけないこともあると思うけど、その時は遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます」
頭を下げた紫乃に辰巳は笑いかけた。そして、店の壁掛け時計を見て「おっと」と言った。
「もう六時か。今日は上がっていいよ」
「はい」
「今日もありがとう。また明日もよろしくね」
辰巳の言葉に紫乃は頭を下げて、荷物を取りにまた畳へと上がった。
秋獄堂~古都偽夜市と失せ物探し~ 朝香トオル @oz_bq
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