第2話 

 招き入れられた店の中は、町屋と呼ばれる京都独特の店舗と住居が一つの建物内に同居している作りになっていた。座って、と辰巳は柴乃に言い、店の上がり框に腰かけさせた。本人はそのまま土間を真っ直ぐ歩き、ガスコンロの前に立つ。

「お湯沸かすからちょっと待っててね」

「はい、あ、あの、ありがとうございます」

 柴乃は後ろを振り返って、秋嶽堂が扱う商品を見た。そこにあるのはいわゆる骨董品や古美術品と呼ばれるものばかりで――少なくとも募集チラシにあった雑貨とはややイメージが異なる。もう少し可愛らしい和雑貨を扱っている店だろうと想像していたが、ここは柴乃の想像から少しばかり遠い店だった。

落胆しかける気持ちをこらえて、柴乃は見慣れない家の造りをじっと観察する。土間の上は吹き抜けになっていて、天井が高かった。採光用に取り付けられている窓から自然光が降り注いでおり、灯りはついていなくとも店の中は明るかった。

柴乃が家の造りの観察に精を出していると、コンロにかけられたヤカンが甲高い音を立て始めた。ヤカンをコンロから下ろすと、辰巳は二つ用意していたティーカップにお湯を注ぐ。紅茶はティーバッグである。

「なんでもあるって言ったけど、基本はインスタントだから、もしここで働いてくれるなら好きなものもってきていいからね」

「はい……」

 想像していた店とはかなり異なる品の数々に、柴乃の心は揺らいでいた。このまま断って帰ろうかどうか悩んでいると、白と名乗った白い鴉に再び話しかけられた。

『お嬢さん悪いね、あいつどうも今のはやりに疎くてよ』

「え?」

『ちょっとお嬢さんたちのイメージからは遠い店だったろ?』

 見てたら分かるぜ、と得意げに言う白に柴乃は苦笑した。

『でもまあ、一通り話だけは聞いてやってくれよ。そのうえで断るってんなら俺たちはお嬢さんの決断を尊重するぜ』

 そう言うと、白は羽ばたいて辰巳の肩まで飛んで行った。辰巳は特に動じることもなく、白を肩に乗せたまま紅茶の入ったカップを運んできた。インスタントだから、と彼は断ったがそれにしては良い香りのする紅茶だと柴乃は思った。

「それでどこまで話したっけ……。ああ、そうだ。ここが特殊な店で、あなたみたいな人に手伝ってもらいたいってとこまでか」

「はい」

 いただきます、と小声で言って柴乃は紅茶に口をつけた。

「続きを話す前に……そういえば自己紹介がまだだったね。ボクは辰巳鹿乃人かのと。一応この店の店長をしているけど、店長とは呼ばれ慣れていないから、辰巳と呼んでほしい。あなたの名前は?」

「角巻紫乃です」

「角巻さんか。みやびやかで素敵な名前だね」

 にこにこと話す辰巳に名前を褒められて紫乃は段々と警戒を解き始めていた。

「それで、ここでのお仕事って、どういうお仕事なんですか。チラシにはレジと品出し、と書かれていましたけど」

「うん、まとめるとそうなるね。でも時間が許せば買付けも手伝ってほしい」

 辰巳の言葉に紫乃は首を傾げる。まとめると、という言葉がひっかかる。チラシに書かれていた雑貨店といい〝嘘をついてはいないが、事実とは異なる〟という境界すれすれを攻めていたことが紫乃の頭をよぎった。

「レジと品出しについては追々やりながら覚えてもらうとして、買い付けについては角巻さんの素質も関係するから、ちょっとついてきてくれる?」

 辰巳はそう言うと、まだ半分ほど中身が残っているカップを置いて、紫乃を庭へといざなった。ガスコンロのある土間を抜けて外に出ると、柔らかな陽光が差しこんだ。辰巳はそのまますたすたと歩いて庭の一番端の木戸を手で示した。茶室に入るような小さな木戸のため、女性である紫乃もかなり腰を曲げないと入るのは難しく思えた。

「開けてみるから、中に何が見えるかを教えてほしい」

「はい」

 一体何を見せられるのか、と紫乃が身構えていると、辰巳は苦笑した。

「危ないことはないから、大丈夫。安心してほしい」

「……はい」

 こちらの考えを見透かされたようで羞恥を覚えながら、紫乃はキィと軋みながらわずかに開いた木戸を見つめた。しかし、何かを見るよりも前に、小さなお囃子のような音が聞こえてきた。そして、扉がすべて開かれたときには、幼い日に見た祭りと同じような光景が眼前に広がっていた。

「わあ……!」

 思わず漏れた感嘆の声に、辰巳が「やはりあなたは見える人なんだね」と言った。紫乃はうんうん、と頭を縦に振り、目を輝かせて辰巳を見上げた。

「すごくきれいに見えます。お祭りの屋台のようなお店がたくさん見えて、お囃子みたいな音も聞こえる。なんだか、小さいころに戻ったみたい」

「そうか、聞こえる人でもあるんだね」

 辰巳は静かにそう言って、木戸を閉めた。途端に喧騒は遠のき、静かな京都の町屋に戻ってくる。辰巳は紫乃に向き合うと、感情の起伏を感じさせない声で言った。

「見えない人、まあ世間一般の九割の人はこの戸を開けても隣家との塀しか見えない。あなたが今見たのは、いろいろな世界のはざまに位置する市場――通称・偽夜市。ありとあらゆるものが売られていて、基本的には物々交換の世界だ」

「偽夜市」

 今見た市場――というよりは祭りの会場に近い光景はきらびやかだったが、だからこそ本物のようには見えなかった。偽夜市、という名前はあの場所にふさわしいものだと紫乃は思った。

「あの、」

「うん?」

「買付けって具体的には何を買い付けるんですか」

 紫乃の言葉に辰巳は目を丸くしたのち、すぐに破顔した。

「肝が据わっているねえ、角巻さんは。そこは色々かな。買付けと言うより買い物代行というのが正しいから。頼まれたものを買う」

「買い物代行?」

「うーん、そうだね、ちょっと順番が前後しちゃったね」

 紫乃の頭の中にはクエスチョンマークがたくさん浮かんでいる。いつの間にか店から飛んで来たらしい白が辰巳のこめかみをくちばしでつつきながら説教をする。

『最初から話してやんな。話をはしょるのも、アンタの悪いクセだ。お嬢さんの肝がいくら据わっているからってそれに甘えちゃなんねえよ』

「わかったよ。じゃあこの店が『何か』ってところから言わないとだめだね」

『そうだよ、わかってんじゃねえか』

 フフン、と得意げに言う白に、辰巳は苦笑した。

「この店が普通のお店じゃないってことはわかってもらえたと思うんだけど、この店は人間以外のモノが訪れる」

「人間以外……」

「そう、まあ、このあたりでしょっちゅう立ち寄るのは、天狗だとか狐狸の類が多いかな。ほらあそこ、見える?」

 辰巳が空のある一点をさした。紫乃が顔を上げて見ると、空中を浮遊している人型のモノが見えた。重力に逆らえる人間だとは思えなかった。

「ッ!」

「あれは南禅寺の天狗だね。南禅寺の奥の林が住まいなんだ」

 南禅寺の奥にあるのは国有林であるが、天狗にとって人間の法など守るに値しない。人間がその地を国有とするずっと前から彼らはそこを住まいとしているのだから。

「時々ここを通り道にして偽夜市に行くから彼らからは通行料をいただく。だけど、彼らみたいに自分の住まいを離れられるモノもいれば、そうでないものもいる」

 辰巳の言葉の意味を紫乃は考える。住まいを離れられないモノというのは、一体なんだろうかと思った。

「角巻さん、奈良の三輪神社って知ってる?」

 紫乃は「名前だけなら」と答えた。

「あそこは三輪山がご神体の神社だから、神体山となっている神はその場を動けない。そういうモノの要望を聞いて代行するのがボクの仕事だ」

 天狗や神といった突拍子もない話に紫乃は眩暈を覚える。だが、自分の目に映るそれらを幻やまやかしだと一刀両断することはできなかった。辰巳の話は続く。

「ただ、ボク一人だと代行できる量に限りがあるし、調達も難しくなってきたから優秀な助手を探していたんだ。白はボクの式だし、鴉の形しか取れないしね」

『オレが鴉の形しか取れないのはアンタの腕のせいだろ』

 オレのせいにするなよな、と白は不機嫌そうに言った。

「それにボク自身も夜市で探しているものがあってね。そちらにも少し時間を割きたいんだ」

「辰巳さんの、探しもの?」

 気になった紫乃は訊ねる。辰巳が探すものとはいったいなんだろうか、という好奇心が頭をもたげる。辰巳はうん、と首を縦に振って、じっと紫乃を見つめた。レモンティーのような瞳が紫乃を射抜く。

「――ボクはずっと、昔の恋人が売ってしまった記憶を探しているんだ」

 ざわり、と紫乃の心の奥を揺らすような声で辰巳はそう言った。だが、次の瞬間、辰巳はパッと顔を明るくして「まあボクの個人的な話はまたおいおいね」と言った。たった数十秒の時間だったはずなのに、紫乃の心臓はバクバクと音を立てていた。

『お嬢さん大丈夫かい?』

 辰巳の肩から白が訊ねた。紫乃はうん、とうなずいて辰巳を見つめ返した。さて、と辰巳は改まって話を切り出した。

「今度こそボクからの話はおしまい。ここで本当に働くかどうか、最後は角巻さんが決めてね」

 辰巳は静かに言った。決して紫乃に強制することはない、と感じる言い方だった。その言い方に紫乃の腹は決まった。

「私、ここで働きます」

 紫乃の決断に辰巳は意外そうな顔をした。断られると思っていたのだろう、と柴乃は内心で苦笑しながら口を開いた。

「今まで見えても聞こえても得をしたことがなかったし、ありのままを話せる人もいませんでした。だから、今日は初めて自分の見たものと聞いたものを認められて嬉しかったです」

「……そうか」

「はい」

 ありがとう、と辰巳は言って紫乃に書類を渡した。雇用契約書だった。

「今日は印鑑持ってないだろうから、次に来るときに出してくれたらいい」

「はい」

「一応募集チラシには週三回って書いたけど、角巻さんのペースで決めてくれたらいいから」

 雇用したアルバイトにずいぶんと甘い、と柴乃は思ったが、この店の特殊さを考えるとアルバイト雇用できる人員を探し当てるのにも一苦労だ。下手を打って捕まえた貴重な人材を逃がしたくないのだろう。

「ありがとうございます。次は二日後に来れますけど、その時でいいですか」

「うん、いいよ」

 これからよろしくね、と言って差し出された手は乾いて硬かった。仕事をする男性の手だ、と思いながらその手を握り返した。

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