秋獄堂~古都偽夜市と失せ物探し~
朝香トオル
Case No.0:はじまり
第1話
京都府京都市東山区――。
有名な寺社仏閣が立ち並び、祇園の花街もある非常に文化的に重要な土地である。町屋が立ち並ぶ宮川筋の一角にその店・
小さな間口の表門を入り、飛び石を歩きながら突き当りを右に曲がると、右手側に築百年以上の町屋がある。黒光りする木で作られた引き戸を開けると、花緑青の作務衣を来て、頭に青海波の手ぬぐいを巻いた男が出迎えてくれるだろう。彼の背後には数多の骨董品が並び、この店が古美術店であることがわかる。
「おや、いらっしゃいませ。売り買いどちらでしょう」
男は若く、細面で細い目をしていた。鎖骨のあたりまで伸ばされた髪を無造作に束ねている風貌はとても客商売をしているようには見えないが、彼の店を訪ねる客には些末なことだった。
「ああ、それとも〝偽夜市〟に御用でしょうか。どうぞお入りくださいませ」
男はそう言って、客を先導して土間を歩く。
知る人ぞ知る、なんでもありの世界のはざまに位置する市場――偽夜市への連絡通路が秋嶽堂である。古美術商を営むかたわら、通路の管理人として店主・辰巳がいた。辰巳は土間を抜け、庭へと客人を案内する。そして庭の一番奥にある茶室の入口のような小さな木戸を手で指し示した。
「こちらの戸をご利用くださいませ。どうか頭にはお気をつけて」
そう言って辰巳は深々と客人に頭を下げる。
「どうぞごゆっくりお買い物をお楽しみくださいませ」
にこやかに告げる声に客人は会釈をして木戸の向こうへと姿を消した。
○
女子大学生・角巻紫乃は悩んでいた。悩みの種は京都市内にある某大学の掲示板に掲示されているアルバイト募集のチラシである。個人経営の医院や商店のアルバイト募集チラシのため、クオリティの差はあれど、印刷されたものが多数を占める中、その一枚は墨痕鮮やかに記されていた。
『アルバイト募集 一名 業務内容:雑貨店レジ、品出し等 時給:一〇五〇円』
以下住所、連絡先、勤務頻度や時間などが記されている。ここまでは手書きであること以外に特に変わった点はない。紫乃の目を引いたのはその下だ。
――応募資格:本チラシが見えるひと
「いたずら……?」
見えるひと、も何もあったものではない。チラシがこうして存在し、貼られている以上見えない人がいないとは考えにくい。秋嶽堂という名前こそ渋いが、雑貨店で小さなものに囲まれる仕事は悪くない、と柴乃は思う。時給や頻度を見ても生活に大きな支障が出るものではなく、働きたいと考えるが、いたずらであれば連絡をする気も起きない。
「何見てんの? バイト募集?」
「うん、探そうかなって」
「えー、紹介するって言うてるのに」
話しかけてきた友人を適当にあしらいながら紫乃は「これええかなって」と墨痕鮮やかなチラシを指さす。だが、友人はきょとん、とした表情で紫乃を見つめ返した。
「大丈夫? そこ、なんも貼られとらんけど。体調悪いなら午後から帰り?」
「え、」
紫乃は改めて掲示板を見る。そこには先ほどまで見ていたチラシがしっかりと存在していた。
――私にしか見えていないものだ。
そのことに気づいて、紫乃は友人に笑顔を向ける。
「ごめん、見間違えたみたい。また次の掲示出るの待つわ」
「そんならええけど、ほんまに体調悪かったら言うてね」
大丈夫だよ、と紫乃は友人に言う。気のいい友人が本気で心配をしてくれていることは痛いほどわかった。だが、紫乃と他人が見聞きするものがズレていることは、彼女が幼いころから多々あることだった。
――じゃあこのチラシはいたずらじゃないんだ。
場所に行ってみる価値はあるだろう、と思って紫乃は友人と別れた後にこっそりとスマホのメモに住所と電話番号を打ち込んだ。写真で撮ろうとしても、そのチラシは写真に撮ることはできなかった。
生まれ育ちが京都ではない紫乃にとって京都の町の住所はわかりづらい。スマートホンの地図機能がある時代で本当に良かった、と思いながら東山区を歩く。お茶屋が多数ある宮川筋を抜けていき、非常に細い路地を目の前に紫乃は首をひねった。
「ここ……?」
確かに住所はここであり、門には非常に小さな字で〝秋嶽堂〟と屋号が記されていた。アルバイトを募集するくせにずいぶん不親切な店だ、と紫乃は思うが、ある程度は秘匿にしたいという店側の意図もなんとなく察せられて、怒る気力はわいてこなかった。門をくぐると、わずかに人の気配が感ぜられた。
「こんにちはー……」
恐る恐る挨拶をすると、敷地の奥の方でカラカラと引き戸が開けられる音がした。カラコロと下駄の音がしたかと思えば、ひょこり、と整った顔をした若い男が顔を見せた。
「こんにちは。お嬢さん、
「あの、大学にあったアルバイト募集のチラシを見てきたんですけど」
紫乃がそう言うと、男はパッと顔を明るくした。
「ああ! そうなんだ! 嬉しいなあ! いやあ見えるひと、今の世の中にもまだまだいるねえ」
うんうん、と一人で納得している男に紫乃は圧倒される。すると、上空から白い鳥が飛んできて、男の頭をくちばしでつついた。
「ア痛ッ!」
『人をおいてけぼりにして一人でしゃべるの、アンタの悪いクセだぜ、辰巳。ちゃんとお嬢さんに自己紹介してやんな』
そう言って、白い鳥は紫乃に向かって丁寧にお辞儀と思われる仕草をした。
『俺の名前は
「はあ、どうも……よろしくお願いします」
しゃべる白い鴉につられて紫乃も頭を下げる。鴉はその様子を見てケラケラと笑い転げた。
『お嬢さん、アンタすごいな。俺を見て平気でしゃべってお辞儀までしてくれるのか』
あまりに驚くと人間はリアクションができなくなるのだ、ということを知らない白にとって紫乃の言動は面白かったようだ。呆気にとられたままの紫乃に、男は「いきなりおどろかせて申し訳ない」と謝罪をした。
「恐らくきみにもわかっていると思うけど、ここは限られたものしか立ち入ることがない特殊な店で、あなたのような体質のひとに手伝ってもらいたくて、募集をかけていたんだ」
募集をかけるにしては手段が回りくどかったように思うが、そこは黙っておいた。辰巳と呼ばれた男は、紫乃を手招きする。
「立ち話させるのもよくないから、どうぞ。店の中でゆっくり話をしよう」
――煎茶、紅茶、珈琲、なんでも出せるけど好きなものはある?
そうにこやかに訊ねた辰巳に紫乃は思わず「紅茶が好きです」と答えていた。
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