時ハ金ナリ命ナリ

加茂 治(かも おさむ)

第1話

「じいちゃんが亡くなった。」


携帯電話の向こうから聞こえる親父の声は、鼻声でくぐもったような、それでいて分かりきった事をただ伝えただけのような言い方でもあった。


「お通夜は明日の17時から本家でするからな。美由紀さんと大輝も一緒に………」


ぐわり、と視界がかすんで、キーンと音がした。耳に詰め物をされたようになって、途中からセミの鳴き声も会話も遠退いていく。

異常気象で年々上がり続ける夏の気温でも、くそ暑い中スーツを来て歩き回される営業職のせいでもない。

さっきまでかいていた汗とはまた違う汗が、ダラダラと額からわき出てくる。

普段掛けてこない親父の電話には、やっぱり出るべきじゃなかった。



(じいちゃんが死んだ、じいちゃんが……)


85歳だったか?背筋も頭もシャンとしてたし、最後に会った時も普通に元気そうだったし。


でもそんなことより一番に脳裏に浮かぶのは、なぜかじいちゃんが手品をして遊んでくれたときの記憶だった。



ーーーーーーーーーー


「孝太郎、面白いのを見せてやろうか。」


田中正造は5歳の孫、孝太郎をあぐらに乗せて、茶色い皮のスーツケースを目の前に引き寄せた。


「これはな、じいちゃんの、大事な大事な鞄なんだ。

中には何が入ってる?」


孝太郎は鞄の蓋を持ち上げた。

中は空っぽで、押し入れの中のようなしわっとした匂いがした。

孝太郎はまじまじと眺めてみたが、別に何もない。


「なにもないよ~?」


「ほほほぅ、なぁんにもないだろう?

じゃあ~、これから手品をするぞ。


孝太郎、じいちゃんがお小遣いやるって言ったら幾ら欲しい?」


「130円。」

「おい、たったの130円でいいのか?!」

「うん、ジュース買う。」

「はっはっは、孝太郎は~かわいいのぅ。」


正造はくしゃくしゃっと孝太郎の頭を撫でると、スーツケースの蓋を閉めた。


「よし、じゃあじいちゃんの分も買って来てくれるか。

さぁスーツケースよ、260円出してくれ。」


そう言うと、先程閉めたはずの蓋が"カチリ"と音を立てて少し開いた。


「孝太郎、蓋を開けてもっかい中を見てみな。」

「うん。」


孝太郎が蓋を開けると、さっきは何もなかったのに100円玉が2枚と、10円玉が6枚入っていたのだ!


「じいちゃんすごい!どうやったの?!」

「それを言ったら手品じゃないだろう?

そうだ、今度は消してやろう。

蓋を閉めてごらん?」


孝太郎はワクワクしながらスーツケースの蓋を閉じた。

じいちゃんは何もしてないのにお金を出した。本当にお金も消せるんだろうか?


「260円返す!」


そう言って、今度は正造がスーツケースを開いた。

すると鞄は再び空っぽになって、ゆさゆさ降られても音もしなかった。


「じいちゃん天才だよ!マジシャンだよ!」

「ははは、ありがとう。

じゃあもっとすごいのをするぞ。

いいか、でもな、誰にもナイショだからな。お父さんとお母さんにも言うなよ?」

「うん、分かった!!」


孝太郎は、今度は何が出てくるのかドキドキしながら正造の膝に手の平をごしごしこすりつけた。

正造はごほん、と1つ咳払いをすると「スーツケースよ、1000万出してくれ!」と叫んだ。


"カチリッ"



先程と同じ音がして、正造のゴツゴツした手が蓋を持ち上げた。

その先には………


ーーーーーーーーーー



孝太郎は自販機の中に小銭を放り込み、アイスの缶コーヒーのボタンを押した。


軽く降りながら、木陰を落とすベンチに深く腰かける。

味気ない液体を喉の奥に流し込み、気持ちいいくらいクッキリした入道雲を見上げると少し気分が良くなった。



あの日見た手品はどんなカラクリだったんだろうな。



当時の孝太郎には、知らないおじさんが描かれた紙が一杯あることしか分からなかったが、大人になってその正体が分かった。


鞄の中には、隙間なくびっしり詰め込まれた福沢諭吉が並んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時ハ金ナリ命ナリ 加茂 治(かも おさむ) @kamo_sam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ