オーロラの雨
ハヤシダノリカズ
Swaying
♪初めてのルーブルは なんてことはなかったわ 私だけのモナリザ もうとっくに出会ってたから
頭の中で宇多田ヒカルの歌が再生される。
周りのカップルや老夫婦は空を見上げながら、静かに「すごーい」だとか「綺麗だね」と感嘆の声を挙げている。彼らは幸運だ。北極圏までわざわざ足を運んだ甲斐があったのだから。
満天の星と、その前を揺らめき遮る光のカーテン、オーロラだ。美しい、とは思う。でも、そう大騒ぎする程のものか。『本物も見ておきたい』と思って来てみたけど、そうか、本物を見てガッカリする事もあるんだ。
ツアーガイドがアタシの顔を見て怪訝な表情を浮かべてる。「あなたの頭の上に広がってる光景は奇跡の絶景で有名なオーロラですよ!見れたんですよ!見れない可能性も多分にあったのに!どうしてあなたは子供の様に目をキラキラさせていないんですか?」とでも言いたげに。
ゴメンねガイドさん。アタシには偽物のオーロラの方がいいみたい。
―――
帰国したその足でアタシは店に向かった。うらびれた倉庫街……、最近ではアートの街としての再興を図っているらしいそんな街の片隅の、地下空間にその店はある。『男の隠れ家』と形容されるバーが世にはあるらしいが、アタシはそんなバーを知らない。そんなバーは知らないが、この店は隠れ家に違いない。アタシが世間のしがらみからも、くだらない鬱屈からも解き放たれるこの店はアタシの大切な隠れ家。
「こんばんは、ひさしぶり」店に入ったアタシはカウンター内の男に声をかけて笑顔を作り、高額紙幣を数枚渡す。
「あら、久しぶりね、アサミちゃん。しばらく来てくれなかったから寂しかったわ」口ひげを蓄えたその男はこの店のマスターだ。チャーミングにウィンクしながら高額紙幣を受け取り慣れた手つきで枚数を数え「いつもありがと。ハイ、コレ。アサミちゃん用にブレンドしたシューターよ。どうぞ。あと、それからドリンクは何がいい?」と、シューターを手渡してくれた。マスターの口調はいつも語尾がピョンと跳ね上がる。それがカワイイ。
「そうね、コークハイでももらおうかしら」
「かしこまりましたー。コークでハイになってね!」そう言ってマスターはドリンクを作り始める。
―――
壁際のソファに座ってその時を待つ。今日の客は十二、三人といったところか。店内を見渡して、客層をそれとなくチェックする。今日も大人しくて地味な見た目の客ばかりだ。男女比は五分といったところか。この店のいいトコロは、
「さて、本日もどうぞじっくりとお楽しみください」よく通るマスターの声が続ける。「大変お待たせしました。皆さま、お手元のシューターを構えてぇー」客はそれぞれシューターを自分の鼻に突っ込んでいる。もちろん、アタシも。
「シュート&深呼吸ー!」そのマスターの掛け声と共に、シューターと呼ばれる針のない注射器のシリンダーを押し込む。すると極小のパウダーが鼻の奥に吹き付けられる。それに合わせて肺を広げ取りこぼす事なく吸い込んでいく。
天井から噴き出しているミストに投射される光はオーロラを作り上げている。そう、これよ、コレ。このオーロラ、このオーロラの雨。音楽はいつしかEDMに切り替わり、ミストで濡れたのか汗で濡れたのか分からない衣服を一枚、また一枚と私は自分で剥ぎ取っていく。
―――
「そのまま!」野太い声が店内に響く。アタシはビクリと動きを止めた。動きを止めたのはアタシだけじゃない。店内の全ての人間も、アタシの下で腰を振っていたこの知らない男も、だ。音楽が止み、何人もの男が店内になだれ込んできた。「警察だ!」「動くな!」と叫びながら。
肉体の境界も精神の境界もあやふやになって、めくるめく快感に身を任せるままにいられたオーロラの時間は突然に幕を閉じた。
―――
時間は昼頃だろうか。知らない天井、ぐるりと吊り下げられたカーテン。
右手を天井に向けて突き出す。袖がずり落ちる感触に気付いて上腕辺りに目をやる。院内着のようなものを着ているようだ。確か、あの時は裸だった。そうか。あの後、気を失ったのか。
警察病院、前科者、会社はクビか。
あることないこと噂バナシは広まるよな。
両親は泣くだろうか怒るだろうか。
とりとめのないワードと他人事の様な感想が頭に湧いては消えていく。
本物のオーロラを見て、偽物のオーロラに溺れて、最終的にはオーロラからほど遠いチープなカーテン……か。
いずれにしても、ひらひらと所在なげに舞うのが私の人生か。
窓から入ったらしい風がカーテンを少し揺らした。
オーロラの雨 ハヤシダノリカズ @norikyo
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