第10話



    ◇




指が鳴った。

そう思った時は確かに広場に居たはずだ。


だが瞬きをしている間に場所が変わっていた。

レイユもグレンも椅子に座らせられていた。


白い椅子。目の前には同色のテーブル。


え? と困惑しながら見渡すと、何処か見た光景なのを思い出す。

広いリビング。その隅に設置されたキッチン。そして壁に存在する幾つかのドア。


「さて。お前ら、さっきリリアから俺が旧大陸の生まれだって話は聞いてたな」


そうだ。ここはリギィの家の一階だ。

そう思い至ったのと次の展開を振られたのが同時だったのでレイユはつい「え?」と気の抜けた声を返す。


それを補うかのように「聞いた。こいつも聞いてた」と間髪入れずにグレンが答える。


「その旧大陸が『ロスト・カルク』なんて呼ばれるようになる前。つまり、『カルレイク』って呼ばれてた時。大陸全土が延焼した。酷いもんだった。地獄の業火つってもなんら遜色はないんじゃねェか? 何もかもが燃えたんだ。人も、植物も、建物も、街も。本当に大陸が燃えた。俺の『身内』も目の前で全員燃えた。全員骨まで燃えた。建物もそうだが、動物の骨まで全部灰になった。そういう燃え方をしてあの大陸は滅んだ」


旧大陸の文化は何も残っていないとされている。

それは比喩なのだと、どこかで思っていた。

痕跡は残っているが、再生が不可能なのだと。そういう『消滅』だと思っていた。


だが話を聞く限り、それは間違ってそうだ。


そうだ。

旧大陸が滅んだのは随分と昔なのに、どこか漠然としたものとして広がっている。


あの大陸はかつて燃えてしまって、今は生きていない。


そういう共通認識はあるが、どういう状況にあるのかはおそらく誰も知らない。


旧大陸は大陸という割には狭い面積をしている。

世界地図で見れば巨大な孤島だ。周囲の大陸から離れているので、それ一つで大陸と見なされているが決して広い場所ではない。


それでも復興するだけの価値はありそうなものだが。


なんだかレイスブルームに似ているような。

そんなことを思っている間にもリギィの話は進む。


「全部燃えたあの大陸は、魔術が盛んだった。多分世界で一番進んでいた。だから『魔女』なんていう魔術的生物兵器を製造しようなんて狂った考えに至ったんだろうが、技術は確かにあった。だが今となってはそのすべてが存在しない。魔術の衰退なんてのは目に見えた結果だ。外大陸からすれば輸入していた技術の全てはある日突然消えたんだ。復興しようにも元がない」


技術を蘇らせようにも蘇生元が存在しない。

復元するには旧大陸が通ってきたであろう道を再度模索し、倣わなければならない。


途方に暮れるような話だ。


「だから外大陸の奴はその『元』を探した。……あぁ、『外大陸』とかこっちじゃ使わねぇか。まぁ、そういうことだよ。カルレイクからみた『外』の連中のことだ。俺もすることはなかったし、まぁ曲がりなりにも魔術師だからな。自分の知ってる文化が消えるってことに思うところがあった。だから連中に加担したんだ。魔術を再生したいって言ってる奴らに協力することにした」

「……」


この話の果てに待っているのは、この男が生きながら死体になった理由だ。

誰に協力したのかを聞くべきなのか。

それともどう協力したのかを聞くべきなのか。


考えている間にも次に進む。


「魔術を使うには魔術を知っている必要がある。つまりは知能だ。今の人間は魔術なんかほとんど知らねェだろうからお前らに言ってもピンとこないだろうが、魔術ってのは術式を組み立てる必要がある。そのためには術式の法則やらなんやらを知ってないといけない。だが外の連中はほとんど知らなかった。そこで連中は考えた。魔術師の知能をどうすれば自分たちの物に出来るか」


『魔女』が協力体制を取っていても、それは彼の言う『連中』が魔術を掌握したことにはならない。

リギィを言いなりにしたところで結局は彼次第になってしまう。


「俺の知識にアクセスできるようになればいい。連中の出した結論はそれだ」

「……アクセス?」


知らない単語じゃないのに全容がまるでつかめない。

聞き返しにリギィは淡白に頷いた。


そして、そのまま淡々と告げる。


「とある大国が俺の脳味噌を培養し、尚且つ俺を増殖させている」



培養。

増殖。

果たしてそれらは人間の動詞として適切だっただろうか。


「携帯端末があるだろ。アイツを使うとインターネット経由でネットの情報を得ることができる。それと同じだ。特殊の端末を使うと、俺の脳味噌にアクセスできる。それで引き出した知識と端末保有者の魔力を使って魔術を使うんだ」


特殊の端末。

グレンは口の中で呟く。

心当たりがあるような、ないような。


確かどこかの国は国民全員が腕に端末をつけており、それで管理されていたような。

その機械は管理するためだけではなく、国民に恩恵を与えているのでそのシステムが受け入れられている――と、視察から帰ったブランから聞いたような。聞いていないような。


「いくら俺に知識があるとはいえ、同時にできる思考の数は1か2が精々だ。それでは国益にならない。だから連中は俺の脳味噌を増やすことにした。つっても増えたのは脳味噌だけじゃない。連中がどんだけ魔術を使えるようになっても、それは外部措置だからな。連中の身についているもんじゃない。発展を臨むには研究が必要だ。だから脳味噌だけじゃなくて研究に必要な手足もくっつけた。そういう経緯で『俺』を増殖させることを選んだんだ」


つまり、この世に『リギィ』は何人かいる。


「……ちょっと待て。じゃあ、お前は」


グレンの問いの先を察したのか、遮るようにリギィは「そうだ」と肯定する。


「『俺』には本体がいて、それから造られた『子機』が何人かいる。俺は本体じゃない」


そこまで言うと、リギィは椅子の背もたれにゆっくりと身体を預けた。


「つまりこの俺が死ぬことは大したことじゃない。むしろ人道的には死んでおくべきだろ。俺はとっくに倫理観とかぶち壊れちまってるから何も思わねェけどさ。……違ぇな、話がずれた。要はこの頭蓋骨は俺じゃない『子機』の死体だ。俺は知識の提供はしたが、死体まで提供した記憶はない。だからこいつは俺の知らないことだ。俺の知らないところで、増やされた俺が殺されてるってことだ」


グレンはテーブルに肘をつき、額に拳をあてる。

世界の裏の話はこれでも聞いてきたつもりだったが、この話は初耳だ。


レイユに至ってはうっすら口を空けたまま微動だにしない。


動けなくなる二人の正面で、リリアが小さく隣に座るリギィの肘を突く。


「このこと、貴方の本体は知ってるの……?」

「知らないんじゃねェの? 流石に自分が無許可に殺されてるって知ったら黙ってないだろ、あいつも」

「……貴方が了承したってことは、ないのよね?」

「了承って言うのは、殺されることをか?」


こくり、とリリアは強く頷く。


「ないと思う。少なくとも俺に自殺願望はない。……いや、ないな。俺は俺が簡単にくたばらないことを一番知ってる。俺は地獄の業火でも死ねなかったんだ」

「それは、魔術だったからでしょう? ……貴方、刺されたりしたら死ぬじゃない」

「あー。あー……まぁ、そのあたりも、まぁ、うん。そうだな、それぐらい大したことないんだわ」

「……」


リリアは眉を下げたまま視線を泳がせるリギィをじっと見つめる。


リリアは彼が『子機』であることを知っている。彼の本体と会ったこともある。

彼の本体がされるがままに脳の中身と遺伝子情報を提供していることも前から知っている。


彼が増殖される理由はその知能ならいくらあっても困らないからだ。

ならば増えたはずの彼は彼を幽閉する場所から出てこられるはずがない。それなのにここに彼の子機がいる理由もリリアは知っている。


その理由が自分にあるからだ。

自分を独りにしないために彼は自分の分身を外へと逃がした。


自分は貧弱な存在だ。

隣にリギィがいなければすぐに死んでしまうような、か細い存在だ。

生かしてもらっている以上、彼の今の在り方に口出しはできない。


そのためいつだってこの話のときは黙りこくるしかない。


「いや、まぁ……そうだな。ちなみに、その理由も聞いたら答えてくれんのか」


場繋ぎでもするかのように今まで沈黙だったグレンが喋り出す。

黙っていても整理できるような情報じゃない。話でもして気を紛らわせた方が落ち着きそうだ。


「その理由ってのは?」

「旧大陸が燃えたのにお前が生き残った理由だよ」

「あぁ、それか。どう言ったもんかな。大陸を燃やしたのは女の方の魔女なんだが、奴は魔術で大陸を燃やしたんだ」

「……あぁ?」


不必要な情報が増えた。

魔女は男女それぞれ一個体ずつしかおらず、彼の話を鵜呑みにするのなら女の方は彼の親だという。


なんでまたそんなことに。

というか、旧大陸が燃えた真相はどこまで世界に知れ渡っているのだろうか。

少なくともグレンは『燃えた』という事実しか知らない。

燃えた当時は誰もが内容だったのだろうか。


「『魔女』っていうのは、ベースは人間だ。人間の身体が基盤にはなるが、その身体が徐々に魔素に変換されていく。ほっとけばそのうち骨、内臓、皮膚とかそういう全部が魔素で作り変えられていく。そうなるとどうなるか。おおよそ人間とは呼べなくなり、実態は魔術に近しくなる」

「……つまり、お前は、魔術だと」

「そうだ。俺は『魔術』だ。……話が変わるが、グレン。例えば敵が魔法を打って来たらお前はどうする?」

「あ? 避ける」

「避けれそうになかったら?」

「なかったら、相殺を試みる」

「真っ当な判断だ。魔法は魔法で相殺できる。同じだけの魔素があれば結果無効化できる。大陸を焼くほどの魔術を喰らっても、『俺』そのものが魔術なんだから威力を殺せるんだよ」

「……は? 何。お前魔法効かねぇの?」

「効かねェな」

「マジかよ……」


グレンは頭を抱える。

人間じゃない。それが率直な感想だ。

そんなとんでもない生き物、確かに『生物兵器』の名を冠してもおかしくはない。

それを今まで全く知らなかったのはどういうことなのか。


そんな出鱈目な生き物が『あの日』にもいてくれたら、自分の国も彼女の国も、落ちずに済んだのだろうか。


「他にも話せることは色々あるんだが、それはさておき。そういう理由があるから俺はレイスブルームの呪いを解かないとならない。身から出た錆だからな。それで俺が死ぬ分には問題ない。だが、別の問題がある」


あぁ、そうだ。

そういう話だった。


理解が全く追い付かず、目的を見失いかけていた。


「問題?」


話に置いていかれないようになんとか聞き取れた単語を繰り返す。


「そう。こいつのことだ」


こつん、とリギィはリリアの頭を力なく叩く。


「見ての通りこいつはエルフだ。ならどうしてエルフがここにいるのか。そう思わねェか?」


思わねぇよ。

つい、そう返しそうになる。

少なくとも今はそう思わない。それ以上に思わなければならないことが多すぎる。


あぁそうだな、とグレンは口先だけで答える。


「エルフは本来森にすむ生き物だ。森林が呼吸の時に吐き出す魔素を吸って生きている。そいつは人間でいうところの酸素だ。そいつがないと死ぬ。だからエルフは森を出られない」

「へぇ。じゃあなんでここにいるんだ」

「その『酸素』の代替えに俺の魔力を使ってる」


もう難しい理屈について行けそうにないのだが。


「あー……。あ? つまり、何か? 今、お前が『酸素』やってんの?」

「やってる。だからこのまま俺が死ぬとリリアも死ぬ。悪いが、それをどうにかしてからじゃないと解呪に回れない」


分かった。

とりあえず、分かった。

どうすればいいのかは何も分からないが、とりあえず分かった。


グレンは小刻みに頷いて見せる。


「ちなみにぃ? その『どうにかして』っていうのの算段はあんのか?」

「ある」

「あんのかよ……」


じゃあそれを考えるために言ったんお開き、というのは無理な話になってしまう。

勘弁してくれ。頭が使えないから剣だけ振るってきたというのに。


「その心は?」

「もうこの際だ。俺の本体を取り戻す」


取り戻す? 

そう言うということは、今は体の自由でも効かない状態なんだろうか。


グレンの漠然とした感想を吹き飛ばすようにリリアが「えっ」と尖った声を上げる。


「と、取り戻すって……。貴方、それってつまり」

「そうだ。つまり、国を一つ落とす」

「……あ!? なんでそんな話になった!?」

「言っただろ。俺の脳味噌を使ってる国があるって。そこから俺を引っ張り出したら魔術が使えなくなるってことだぜ? 落ちるだろ、そんな国」

「……」


もうさっぱり分からない。

そこまですることもないだろ、という反応が正常なのかも分からない。

そもそも一人の脳味噌に寄ってたかってるような国なら落ちても良いんじゃないのか、と思わなくもない。挙句増殖までさせているという。


だがそういう国のお決まりなのは、その国の平民はそんなこと一切知らない、というものだ。きっと便利な機械を使わせてくれる素敵で住みやすい国、ぐらいにしか思っていない。そう思うこと自体は何の罪もない。そういう国を選んで住んでいるのはむしろ賢明な判断だ。


グレンは奥歯をかみしめる。


平穏を生きている人間を脅かしたいとは思わない。

断頭台に居た時にお前らも同じ目に合えばいいとか思ってはいたが、別にそんなの八つ当たりだ。本心でも何でもない。


レイスブルームの惨状を見た後だとより強く思う。

今ある平和を生きていてほしい。

見ず知らずの人間だが、切にそう願う。


それはいつ崩れるかも分からない仮初のものかもしれない。

それでも今は確かに存在しているのだ。なら、そのまま何も起きなければそれが続くということだ。それでいいじゃないか。


そう思うのは薄情なのだろうか。

母国を思うのなら、同じような目に合ってしまえと思う精神じゃないと従者として誤りなのだろうか。


いや、そんなことはないはずだ。

主は、ブランは、そんなことを臨むような人ではなかったはずだ。


果たしてそうか。

死んだ人間に夢を見ているのだろうか。


「百面相してるとこ悪ィが、俺が勝手にやるからお前は部外者だぞ」

「……」


勝手にやる。

それは捨て鉢でも自棄でもなく、事実なのだろう。

きっとこの男の身の上と実力でその国を落とすことは可能なのだろう。


止めるべきか。

他の案を探すよう訴えるべきなのか。


そっちに考えが寄っているはずなのに何も言葉がでてこない。声が音になってくれない。


「……言っただろ。これは呪いだって。死体に憑いた呪いは死ぬ間際の怨念だって。俺は俺をよく分かってる。俺はそんな怨念抱えて死ぬような厚いニンゲンじゃない。だからこの死体は俺じゃないかもしれないと初めは思いもいた。でもこれは俺だ」


リギィは目の前の頭蓋骨を手に取る。


「……どう言ったもんか分からねェが、これでも魔術で世界が豊かになればいいって本当に思ってた時期がある。本当にだ。死んでったあの人たちの夢がその先にあるのなら俺はどうなったっていい。もうどうにかなっちまってんだから、これ以上どうにかなったってそんなのどうでもいい。そう思ってたのに、不当に殺されたんだ。そりゃ、呪いにもなる。……なるわな。俺でもなる」


白骨死体を前に『魔女』が怪しく口角を上げる。


なんと不気味な光景だろう。とは、ならなかった。


その姿に過去を見た。

そこに居たのはあの日の自分だ。


国の要である国王夫妻が無残に殺され、国が落ちた。

その見せしめとして王子は公開処刑で首を落とされた。


自分はその王子の影武者のはずだった。

だがそこで死んだのは陰ではなく光だった。


あの時の自分はどうにかなっていた。

行く場所もなくなり、帰る場所もなくなり、守る人もいなくなり。

残ったのは遺言だった。


敵の首を落としてくれ。


主の最後の命だ。

それを果たすためならその他のことのすべてがどうでもよかった。

他人の命も自分の身も。

行く末も未来も。


野望が果たせるのなら世界は敵でいい。


そしてそれを果たし終えた自分が、目の前のこの男に何を言えばいいのか。

何も残らないからやめておけなんて言えない。

そもそも既にもう何もないのだ。なくなるものすらない。そこになかったはずの達成感が得られるのなら、事態の好転だ。


そうだ。

自分たちはとっくに『やらない後悔』を知っている。

それを避けて通ろうとするのは、道理だ。










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シーサイド・ゴーストタウン 玖柳龍華 @ryuka

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