第9話





      ◇




ローグの広場に巨大な影が落ちる。

ばさりばさり、と。大きな翼を羽ばたかせながら、一匹の飛竜が舞い降りる。


ずんぐりとした4本の足が地面につくと、メルクーはその足を折り、背に乗る人間が降りやすいように伏せた。


「ありがとう、メルクー。無理なお願いをしてごめんなさい」


クルル、と高い声で鳴きながら飛竜はレイユの顔に自身の顔を寄せた。


「疲れたでしょ? ゆっくり休んで」


レイユは空飛ぶ相棒の顔の前に左手を差し出す。

召喚獣は主と契約を交わすと、姿を変え、まるで召喚士の身体に入れ墨のようになって宿ることができる。

その間召喚士の魔力を食らっているので、あまり好まれていない魔術である。


「……メルクー?」


クルル、と鳴きながらメルクーはその場でのしのしと足踏みをしながら向きを変え、グレンの方へ首を伸ばす。


「グレンが気になるの?」


またクルル、と一つ鳴く。

すんすん、と鼻を動かしたかと思うと、今度はクーン、と子犬のような声を出す。


「おい、飼い主。何がしてぇんだこいつは」

「う、うーん……?」


ドラゴンは人間より高次の存在だ。

それ故に個性の範疇にはなってしまうが、中にはテレパシー等で対話可能な個体も存在すると聞く。

だが、まだまだメルクーは幼体だ。こちらの言語は分かっている素振りを見せるが、発信はまだ難しい様子。


犬や猫といった定番の動物のように、尻尾の動きで何かしら判断できればいいのだがそこまで研究が進んでいる分野ではない。


なので長い首をまるで巻き付けるようにグレンにすり寄るメルクーを前に、推察をするしかない。


「貴方の身体を心配している気はするのですが……」

「お前がしたってどうにもなんねぇだろ」

「――実はそうでもないかも」


突如聞こえてきた背後からの声にグレンは冷静に振り返る。


近寄ってきている気配は感じていた。

なるほど。エルフはこういう気配がするのか。人間より圧がない。


「えっ、リリア? どうしてここに」

「お空を見てたらメルクーちゃんが飛んでいるのが見えたから、飛び出してきちゃった。リギィも待てなかったみたいで、後からだけど来るわよ」


そう言って指さす方向に、確かに彼がいる。細身なのと癖の強い髪が良く目立つ。


「話は戻るけど、メルクーちゃんって聖竜なのよ。グレンくん、そのことはご存じ?」

「らしいってことだけ。それがなんなのかまでは知らん」

「そっか。聖竜ってね、ヒトの世界でいうところの教会と聖職者だったかな? それと同じことが出来ちゃうの。リギィと似たようなことが出来ちゃうから凄い子なのよ!」


嬉々としてそう言ったかと思うと、「あれ?」と空を仰ぐ。


「ドラゴンと同じことが出来ちゃうリギィの方が変なのかしら」

「よく分かってねぇけど、あいつは見るからに変だろ」

「うーん、年季が為せる技なのかしら」


……年季?

この分だと人の寿命の倍ぐらい生きていてもおかしくはなさそうだ。


というより、エルフも人の寿命とは日にならないほど長く生きる種族のはずだが。

この少女は一体何年生きている生き物なのだろう。


「リギィのことはいいわ。そう、だから、メルクーちゃんの傍に居ると傷の治りが早くなるのよ。教会は確かそういう効果もあるって聞いたけど、違う?」

「まぁ、場所によってはって感じだが、そうだな。あるにはあるぜ」

「やっぱりそうなのね。本人もその自覚があるからグレンくんの傍に居たがってるのよ。あなた、怪我してるって聞いたわよ?」


していたし、レイスブルーム跡地でさらに負った。

かの地では噂の聖職者の加護だけではなく、このやたらとひっついいてくる飛竜の加護も借りていた。そのため普段のようにレイユの身体に宿っていたのではなく、顕現した状態で同行していた。

一部始終見ていたせいでこうなっている、というわけなのだろう。


全くもって余計なお世話である。

グレンが片腕でメルクーの頭部を押しやるが、心なしか対抗しているせいでびくともしない。


「上機嫌だな、メル」


遅れて登場したリギィの声に、ドラゴンが大きく一つ鳴く。


「ちゃんと戻ったな。それで? 呪いの根源は見つかったか?」

「はい、ありました」


レイユが角ばった声で答える。

背負っていた鞄を下ろし、その中に入れて持ってきたそれを両手でしっかりと持ってリギィの前に差し出す。


「わぁっ!」とリリアが悲鳴に近い声を上げ、リギィの背後に隠れるように回る。

一方でリギィは紫煙を燻らせながら至って冷静なままそれを凝視する。


「頭蓋か」

「……おそらくは」


差し伸べられた両手にレイユは持ち帰ったものをそっと乗せる。

手に取り、様々な角度から頭蓋骨を観察する彼の陰に隠れたままリリアもそっとその様を観察しているようだった。


「ねぇ、リギィ」

「それもあるが、まずは他の部位の確認が先だ。この頭蓋骨の近くに他の骨もあったのか?」


レイユは重々しく頷く。


「城の入ってすぐのところに人一人分の骨が横たわっていました」

「入ってすぐ、か。骨は生身で?」

「い、いえ。棺桶のような容器に入っていたようです」

「なるほど。城に送られてきて、衛兵たちが確認しようと開けたら蔓延したってところか」


さて、と一息つき、リギィは手に持つ頭蓋骨を日にかざすように持ち上げる。


「頭蓋骨があるなら他の部位があるのは普通のことだ。頭だけで生きてる人間は居やしねェ。問題は、この色だな」

「ね。変よね。元凶は骨というより、この色味の方でしょうね」


頭蓋骨の形そのものに妙な箇所はない。

やはり奇妙なのは偏に色だ。重い紫色をしている。


着色されたような色の付き方ではない。元よりその色だったのだろう。そう思わせる程根付いた色合いだ。


「リリア」

「はぁい」

「重いぞ」


短いやり取りで、頭蓋骨がリギィの手からリリアの手に移り渡る。

両手でまるで捧げるように持ちあげられた頭蓋骨をリギィが指先でトン、と突く。


刹那。

頭蓋骨を中心に鈍く発光する文字列が放射状に展開される。

それと同時に術者の髪が末端から白く染め上がる。


「何してんだ」


グレンに肘で突かれたレイユは小さく首を傾ける。

それを聞いていたリリアが「今、解析中よ」と言葉を添える。


「文字が並んでるのが見えるでしょう? 今この頭蓋骨が持つ情報が開示されてるところなの。この頭蓋骨の重さとかが分かるんだけど、この紫色に変色したものが一体何なのかもこれでもしかしたら分かるかもしれないの」

「『かも』なんだな」

「既に発見されているものなら詳細に分かるのだけれど、未発見のものだと少し厳しいかもしれないわ……」

「厳しい、というと?」

「成分とかは分かると思うんだけど、そこから正体が導けるかはリギィの知識次第ね……」

「……」


知識はそこまで多くはないが、何かわかり次第手を付けることはできる。

だが、リギィの手によって展開された文字列は見慣れない文字だった。

とてもじゃないが読めない。


「……グレン、何語か分かる?」


小さく尋ねてみると、彼は肩を竦めた。

自分の国と彼の属していた国の言語は同じものだったが、地方によっては使う言語が異なる。それとは別に万国共通の公用語もある。


少なくとも目の前の文字列はそのどちらでもない。


「確か、旧大陸ロスト・カルクの言葉って言ってたかしら」

「旧大陸? なんでそんな。……まさか、そこの生まれか? あいつ」

「グレンくん、もしかして鋭い? らしいわよ。旧大陸の生まれだって聞いたことがあるわ」

「マジか」


勉学を少しでも齧ればどの分野を触っても聞く単語だ。


旧大陸。

約500年前に滅びたとされている比較的小規模な大陸だ。

その全土が炎上し滅びたとされている。そのせいで大陸の文化や技術、人間などは今となっては炭でしか残っていない。


その大陸での魔術が一番発達していたのだが、それが失われたこともあり魔術は衰退の一途を辿っている。


確かに文字列を読み上げているであろう彼のぶつぶつとした小声は、昨今では聞かない発音だ。


「リギィ、どんな感じ?」

「……」


顔を覆う髪が白くなったせいか、ただでさえ青白い顔がより血色悪く見える。

そんな顔色のままリギィは力の籠っていない手を口元にあてる。

思考するようにも見えるが、絶句するようにも見える。


「……リグ? どうしたの?」


気さくだった声を神妙なものに変え、リリアはリギィの肩口を引く。

その個所を一瞥するも、問いかけそのものには答えずリギィは口を開く。


「とりあえず、この頭蓋骨の性別は男だ」


その一言にグレンはリリアの手の中の頭蓋骨を凝視する。

頭蓋骨には男女の差が顕著に表れると聞いたことがあるが、果たしてどの部位だったか。


「問題のこの色だが」


リギィは紫煙を細く吐き出す。


「まず、この世には魔素と呼ばれるものがある。人がよく魔力と呼んでる正体がこれだ。こいつは未だに法則性がとらえきれない物質で、研究者に多大の期待を寄せられてる物質でもある。働きかけ方で効果が変わるもんだから、逆算的に望む結果が出るまで検証を重ねれば大抵のことが実現可能だと理論上はされている。その魔素が色を持つ場合ってのはいくつかあると想定されてるが、その一つに『記憶した効果と矛盾する結果になった場合』ってのがある」


そんな夢のようなことが、と一瞬思いかけるが、その正体が魔力だと言うのなら納得だ。使う魔法によって魔力は炎にも氷にも姿を変える。


「話が変わるんだが。ところで、この世には『魔女』と呼ばれる生き物がいる」


「えっ!?」とリリアがとがった声を上げる。

それに対して口元で指を立て、シッ、と黙らせた。


「元々は人間だったが、無理やり生き物としての根底を変えられて生きながら『魔術』と化した存在だ。それの身体は概ね魔素で構成されていて、その魔素は『生命の不滅』を約束されている。要は不老不死だ。それを殺した場合、多分こういう白骨死体になる」

「魔女……ですか」


比喩としては聞いたことあるが、そういう生き物の存在は聞いたことがない。


「色々と聞きたいことはあるが、その魔女ってのを殺したら『呪い』が発生すんのか?」

「……」


リギィが気難しい顔で眉間に拳をあてる。


「例えば死ぬ直前、恨みが残るように惨たらしく殺せばその死体は死後呪いとして残る。その場合は生前の『よくもぶち殺しやがったな』っていう怨念が呪いの正体だ」

「はた迷惑な話だな」

「魔素の影響だ。持ち主の心理状態に呼応してそういう反応を起こす」

「ってことは、その『魔女』の加害者への恨み辛みがレイスブルームを滅ぼしたってことか?」

「……結果としてはそうなる。一応、そういう『呪い』は大昔から兵器として存在する。弁解させてもらうと『魔女』にレイスブルームを滅ぼす意志はなかったはずだ」

「なら呪いを解くには『魔女』じゃなくて、『魔女』を殺した奴をどうにかすればいいのか?」

「いや。レイスブルームを滅ぼす意志があったのはそいつだろうが、そいつを仕留めたところであの地は浄化されない」

「へぇ。聞いてた話と大分違ぇな」

「こっちも大分想定外だ」

「想定外? 何なら想定してたって言うんだ」


レイユは違和感を覚え、隣の横顔を見上げる。


「粗方想定した。だが『魔女』が使われているとはこっちも聞いてねェ」


同じ違和感を感じ取っていたらしいリリアが二人の間に割って入る。


「あの、えっと。た、確かに解ける前提で話をしていたことは謝るわ。本当にごめんなさい。でも、あの、『魔女』っていうのは」


直後、リリアがびくっと身を竦める。

角度から何があったのかは確認できないが、彼女の目線から察しは付く。


「グレン!」


レイユはすぐさま彼の腕を引いた。

おそらく睨まれたのだ。彼にその気があったかは分からないが、あの赤い目はこちらを向くだけでまるで敵意を持っているように見えてしまうのだ。


「どうしたのよ。そんな苛立って」

「逆になんであんたはそんな冷静なんだ」

「……」


おそらくリリアと同じ目で見降ろされ、レイユは自分の手首を強くつかむ。


そんなの、簡単だ。

どこかで思っていたからだ。

きっと、この地はどうにもならないと。


旧大陸のように使い捨てられるしかもう道はないんだと。


何も初めから諦めていたわけではない。

諦めずに道を探した結果、断念に迫られていた。


彼が憤るのはその過程がないからだろう。


「待てよ。どうにもできないって言った覚えはねェぞ」


リリアを自身の背後に回しながら話を続けるリギィにグレンは首だけ向ける。


「浄化の魔術ぐらいある。それさえ使えば呪いの汚染は取り除ける」

「なら初めからその手段を言ってくれりゃいいじゃねぇか」

「初めから最終手段で話を進める奴もいねェだろ」

「……最終手段?」

「そうだ。大陸の汚染をすぐにどうにかできる方法があるならとっくに誰かがやってる」

「……つまり、浄化の魔術ってのを使える人間がもう少ないってことか」

「それに限った話じゃない。大抵の魔術はもうどの人間も使えねェさ。つまり、俺がやる」

「……それで本当になんとかなんのか?」

「なる。俺の命をくれてやる。これで余裕だ」

「……は?」

「……えっ?」


今しがた聞こえてきた言葉をレイユとグレンは反芻する。

命を懸ける。間違いなくそう言った。他に解釈できそうな余地もない。


気概の話だろうか。

そんな淡い期待を持ち、断言した彼を見るが所詮淡い夢だったとすぐに悟る。


そうだ。

ここまでの話で彼が冗談を言ったことなんて何もない。

軽口を叩くような調子ではあったが、真摯な対応だった。


それを踏まえても、目の前の彼の表情は気迫のあるものだった。


「そこまでしてくれとは言ってない。素人を揶揄うんじゃねぇ」


罰が悪くなりながらも宥めるグレンに返ってきたのは無言だった。

自分の考えを取り下げる気はない。

まるでそう言いたげだ。

それを後押しするかのように彼の後ろに立つリリアが項垂れる。


「……お前がそこまでする必要はねぇだろ。どう考えたってない」

「あるって言ったら?」

「……あぁ?」

「話を『魔女』に戻す。『魔女』と呼ばれる存在はこの世に現状二人存在するとされている。男女それぞれ一人ずつだ」


リギィは表情を変えずに、グレンの顔の前で指を二本立てる。


「女の方は俺の母親で、男の方は俺だ」

「……は?」

「つまり、この死体は俺の死体だ」


難しい言語は使われていない。

だが何を言われているのか分からない。


お前の死体も何も、お前、生きてるじゃねぇか。


そんな返答でいいのだろうか。いや、間違ってはいないだろう。

無難にそう返せばいいのだろうが、リギィの表情に淀みは一切ない。


目の前の頭蓋骨は自分の遺骨である。

これはリギィの頭部である。


他の可能性を排除しそれだけを飲み込ませようとする当人の眼力に、グレンは言葉を失った。


「リギィさん、どういうことなの?」


レイユが相手の出方を探るかのようにゆっくりと尋ねる。

直後、4人の足元に魔法陣が展開する。

集まっているとはいえ、それでも点在する全員を一度にとらえる程の大きな魔法陣。


「場所を変える。言ったことある通り、少し長くなるからな」


言い終わるや否や、リギィはひどくなれた手つきでパチン! と指を鳴らした。







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