第二話 給餌(完結)
ほどなくして、橋桁をあとに進む一人と一匹は浜辺に現れた。波は穏やかで、のんびりとすらしている。
浜辺の一部は共同墓地になっており、二股は西日をまだらに浴びつつ墓石のあいだをぬけていった。さりとて共同墓地からでたのではない。むしろ、中心近くにある三坪ほどの空地がめあてだった。そこにはプラスチックの深皿が二つあった。一つは水で、もう一つは猫用とおぼしき餌で満たされている。乾燥した顆粒タイプではなく、ゼラチン質の半固形タイプのようだ。
無責任な給餌が野良猫の異常繁殖を招き、地元で問題をおこすのは岡田もしばしば耳にしていた。だからといって、これらの水や餌を捨てるのも気が引けた。
岡田の葛藤などどこふく風で、二股は深皿の水を飲んだ。
「こんにちは」
「うわぁっ!」
あまりにもいきなり、背後から声をかけられて岡田は不覚にも叫んだ。
「ごめんなさい、不意にご挨拶して。びっくりさせてしまいましたね」
なめらかに謝罪したのは、岡田より数歳は年長の小柄な女性だった。身なりはなかなかに金がかかってそうだが、顔色といい手足の細さといいどこか不健康な印象をもった。寒くもないのに、両手に手袋をはめている。
「あ、いえ。失礼ですが、あなたの飼い猫ですか?」
一度落ちつくと、岡田としても記者魂が刺激された。
「私個人が飼育しているのではありません。この辺りの人達が有志で世話をしています」
女性は理路整然と答えた。
「地域猫……ですか?」
「そうです。私からも伺いたいのですが、地域猫の避妊や去勢についてどう思われますか?」
面倒くさい領域にさしかかってしまった。最初に自分から聞いた以上、相手の質問にも答えねば誠意を疑われる。
「いやー、詳しくないので無責任なことはいえませんが……やたらに数が増えるよりはしたほうがましなんじゃないでしょうか」
できるだけ穏便に、一般論のつもりで述べた。
「私も本当にそう思います。でないと無責任です。でも、私どものなかでも意見が割れていました」
「ほう、それはどうしてですか?」
「まずお金の問題があったのと……いくら給餌するからといって、そこまでするのはある意味で虐待じゃないかということとで反対がありました」
よくある話だ。
「じっさい、やってきた猫をすべて捕獲して処置できるかはちょっと難しいですよね」
「はい。でも、より深刻な問題があったのです」
「より深刻……?」
「有志一同が避妊・去勢の賛否で激論を闘わせていたとき、反対しあっているグループのメンバーが男女の仲になりました」
オカルト新聞というよりスポーツ新聞のネタだ。
「結果として、女性は妊娠しました。皮肉にも中絶せざるをえませんでした」
「ええっ!?」
話が飛躍している。
「男女そろって、出産や育児ができるほどのお金がなかったのです。私が、自分の赤ちゃんより猫達のためにお金を使いたかったからです」
「……」
「つまり、中絶されたのは私の赤ちゃんでした」
わざわざ彼女はつけたした。
「あー、その……。お悔やみ申しあげます」
「いえ、私だって死ぬほど悩みましたから。でも、彼はめちゃくちゃに怒ったんです。私が勝手に中絶したせいで」
たしかに、常軌を逸した判断であり行動だろう。
「他人がどうこういえる問題じゃありませんが、お相手だって怒る前に自分の経済力なり力量なりを反省すべきですよね」
岡田としては、女性によりそったつもりだ。
「ええ、ありがとうございます。苦労させられました」
女性は、空地にならぶ皿を見た。二股は、水を飲みおえて餌を食べていた。猛烈な勢いだ。ときどき舌で唇をなめまわしている。
「不躾ですが、お相手から暴力でもふるわれたんですか?」
「いえ、その前に解決しましたから。最終的に」
二股が食事を中断し、口からなにかを吐きだした。空地の土に、血だかゼラチンだかにまみれた指輪が落ちた。
「殴る蹴るくらいなら覚悟していました。でも、彼はいきなり噛みついてきたんです。左手で顔をかばうのが精一杯でした」
彼女は、左手の手袋を右手で脱がせた。薬指が、ほぼ根元からなくなっている。
「噛みつくっていうのは、執着のあらわれなんですってね」
独り言めかした、自嘲とも諦念ともつかない彼女の台詞を理解したのだろうか。
餌の深皿を空にした二股は、女性の足元にすりよってきた。彼女はかがんで二股を撫でようとした。二股は手をすり抜け、彼女の胸に噛みついた。
「ぎゃあああっ!」
女性の悲鳴を聞いても、岡田は度はずれて馬鹿げたできごとに呆然とした。数秒遅れて、二股を女性からはがすために手をのばそうとした。
そこで初めて、自分達が空地ごと数十匹の野良猫に押しつつまれたことを悟った。どの猫もどの猫も、毛なみこそ違えど尻尾は二股に割れている。
「ひいいいーっ!」
野良猫どもは、いっせいに女性めがけて飛びかかった。たまらず倒れた彼女は、あっというまに爪や牙によって細かい肉片へと削ぎ殺されていった。
「わあああぁぁぁーっ!」
もはや手におえる状況ではない。岡田は一目散に逃げた。幸い……かどうかは議論の余地があるものの……野良猫どもはおってこなかった。
橋桁まで命からがら逃げ帰り、彼は転げるように自動車にはいった。ぶるぶる震える手でエンジンをかけ、速やかにたち去った。
数日後。共同墓地のなかにある空地で、女性の白骨死体が発見された。見つけたのは地元の地域猫飼育会に所属する別な女性だった。すぐに警察へ通報がなされ、詳しく捜査した結果。
白骨死体は死後数日しか経過しておらず、もっぱら遺体を野良猫が食いつくしたのが白骨化の原因だと断定された。ただし、犠牲者が生きたまま食べられたのか死んでからそうなったのかはわからずじまいだった。
そして、空地の地下に畳八畳、高さ五メートルほどの空間が掘削されていたことも明らかになった。この、ときならぬ地下室からは行方不明になったままの高校生が白骨死体として発見された。室内には包丁や組み立て式のテーブルなどもあわせて発見されている。
地下室の壁には、一筆描きの要領で三つの絵があった。ひっかき傷のような溝だけでこしらえたもので、いずれも等身大の人間だった。
一つは棒だち、もう一つはあおむけ。最後の一つは、走る格好に肘と膝を折る男性を真横から観察したものだ。
終わり
野良猫の作品 マスケッター @Oddjoh
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