第十話、紅葉国入国

 汽船は四日ほど波に揺られて美梅国の港に着き、そこから一行は汽車に乗って紅葉くれは国を目指す。ゆかりは優河が途中で帰るか心配だったが、部屋にずっと引きこもっていた彼も汽船を降りて汽車へと歩いているようだ。内密に美梅国に入国するため、深夜で迎えは少しばかりの警護兵と外交官だけである。ゆかりは石英とともに美梅国の外交官に挨拶をし、急ぎばやに汽車に乗ろうとする。夜だからだろうか、彼女の体は少し冷えている。

 「守り人様」

 声がして振り返るとそれは優河である。優河は見送りの美梅国の外交官を通り過ぎてこちらに近づいてくる。護衛たちはゆかりの周りを囲んだ。ゆかりは護衛たちの警護を緩めさせて、優河のために道を空ける。

 「守り人様。僕はついて行く。僕には守り人さまの考えがまったく分からない。だから分かるまで見てやる」

 そうぶっきらぼうに言い残して、先に彼は汽車に乗り込んだ。石英が、世界の守り人よりも先に乗るとは無礼なと苦言をこぼす。それでもゆかりは、優河が一緒に同行してくれると分かって安心した。安心してから、ゆかりは自分だって何をしているか分からないと思わずにはいられない。

 退廃街の聖人である陽田師匠を優河の父親と偽って報道させた本当の理由などゆかりが知るはずがない。石英たち輪球会議の面々が考えたことなのだとは分かるけれども、それ以上のことをゆかりが詮索する余地はない。居心地の悪さを少し抱えたゆかりと一行は汽車に乗り、汽車はゆっくりと進み始めた。

 座席に腰を落ち着けたゆかりは、石英に頼んで、遠くに座っていた優河を呼び出す。やって来た優河は雀色の瞳に不満をちらつかせながらゆかりを見た。

 「守り人さま。僕が不満を覚える理由を言います。本当の僕の父は百鬼夜行でアクタに殺されようとする退廃街の人たちを助けて死にました。師匠を父だと言われると、僕の本当の父がいなかったように感じて嫌なんです」

 「……分かったわ。でも私はどうしようもないの。私もあなたを誘った理由を言うわ。もう一人の守り人ゆいかが亡くなる前に滞在していた国が紅葉くれは国。ゆいかは本当は紅葉国からすぐに帰るはずだったのに、突然予定を変更して大機械帝国栄界に向かった」

 ゆかりは席に着いた優河を見ることなく、じっと自分の足を見下ろす。

 「私はゆいかが亡くなった理由が紅葉国にある気がしてならない。その理由を分からないままにしたくない。それでも怖い。だから誰か信頼できる人と一緒に行きたかった。あなたはからくりにも人にも優しくしようとする人だと分かったからあなたを頼ったの」

 「……僕の優しさにつけ込んだんですか」

 「違う。あなたは他の人とは違うから頼ったの。今この世界に生きる人は、からくりとして役に立つうちは重宝する。でも使えないアクタになったら途端に敵。壊そうとする。あなたは違った。たとえサチさんがアクタになっても最後まで大切にしていた。たとえサチさんがあなたを傷つけてもそれは変わらなかった」

 ゆかりはこわばった笑顔をわずかに見せながら優河を見る。優河は、守り人さまのことがどんどん分からなくなると独り言を呟いた。ゆかりはその言葉をじっと噛みしめる。

 「突然人数が増えたため手間取っていましたが、今部屋の用意が完了しました。守り人さま、こちらへ」

 制服姿の男が、ゆかりにうやうやしく一礼して、ゆかりは医師や看護師、調査官や護衛らとともに部屋に向かう。また後ほどとだけゆかりは優河に言い残した。

 優河はその背を見送って、世界の守り人には何が見えているんだと考えながら車窓の暗がりを眺めた。

 翌朝、汽車は紅葉国へ着いた。寝衣から威厳ある正装に着替えたゆかりは護衛とともに汽車を降りる。木造の駅内には紅葉国の重鎮がずらりと並び、世界の守り人を歓待する。記者の映像からくりが汽車から降りるゆかりを映し出し、写真が眩い光とともに何枚も彼女を記録に残す。

 ゆかりは紅葉国の重鎮に一礼してにこやかに汽車を降りていく。ゆかりは薄桃色の長衣に、朱色の模様付きのロングスカートという恰好で、その上に羽織る透けた上衣をたなびかせる様子は、彼女の柳染色の清流を思わせる髪も相まってあたかも天女のようだ。

 ゆかりは紅葉国の重鎮たちのなかの一人のもとへと歩いた。彼は紅葉国の王、赤染せきぜんだ。赤染は真っ白な髭を伸ばし、老いてもなお精悍な体つきと威厳のある瞳は残っているようだった。王、赤染もゆかりのもとへ歩き、ゆかりと王は握手を交わす。

 「赤染さん。お久しぶりです。お元気そうでよかったです」

 「ゆかり殿。まだまだ老いぼれませんよ。守り人ゆいか殿が逝去なされてなお使命を果たす姿、眩いばかりです」

 ゆかりと赤染はにこやかに挨拶を交わした。ゆかりは護衛を引き連れながら赤染や他の紅葉国の重鎮たちとともに駅を出ていく。ゆかりは優河が今の自分をどう思っているか気になったが記者や王の手前、確かめることもできず振り返ることはない。駅舎を出るとそこには軍人がずらりと並び、紅葉国に伝統的な楽器を構える音楽隊は駅を出たゆかりと王に勇ましく高らかな音楽を鳴らす。ゆかりにも、これが国家をあげた出迎えであることが容易に分かった。

 「ゆかり殿。黄泉切りアクタを討伐した後にはごゆるりと紅葉国を楽しんでくだされ」

 赤染は音楽に負けないように声を大きくしてゆかりに言う。ゆかりははいと答え、笑みを絶やさない。

 なぜゆいかは守り人としてこの国を訪れ、突如大機械帝国栄界に向かって死んだのか。ゆかりはその答えを見つけるため片時も気を緩めるつもりはなかった。にこやかに周囲に手を振りながらゆかりは赤染と歩調を合わせてゆっくりと進む。

 「まるで見世物じゃないか」

 優河はずっと前を歩くゆかりと王の背を見ながら哀れむような声を出す。隣を歩く紅葉国の外交官朱鐘しゅしょうがそれを鼻で笑う。

 「世界の守り人というのは国際協調の証。あらゆる国家の団結の象徴。彼女をもてなすことは、世界中の国々を一度に相手するに等しい。いつもの当然なことだ。お前も彼女へのもてなしを映像で何度も見てきただろう。……君も輪球会議に監視されていることを忘れるな」

 優河にも朱鐘の言葉の正しさは理解できた。それだけに彼には彼女の華々しさの影の寂しさが見えてしまう。ここにいる誰も彼女を生身で生きる一人の少女だと思っていないのだ。優河の雀色の瞳のなかでゆかりが、師匠を父親と偽って報道させた横暴な権力者から小さな背中の女の子に変わっていく。

 勇ましい音楽に囲まれるなか、押し黙って歩く優河の遠く前で世界の守り人ゆかりは、軍列の間を進んでいく。

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守輪の姫君 小西オサム @osamu55

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