第11話 おすわり、伏せ、また来るね
10月、潮音祭の時期。星詠庁では始業ベルの代わりに鯨の遠鳴りが響くようになる。
星詠庁・天心の塔から見える空を碧羽はぼんやりと見つめていた。
(この時期の空が一番澄んでる)
清澄月とはよく言ったもので、祭りの時期は大気透明度が最高点に到達する。
この時期にする天体観測が一番よく見えるため、ハルカの人々は幼い頃はこの時期に星を見る習慣を各家庭でつけ始める頃だ。初心者のための旅行ツアーも組まれる他、学校行事では普段一般人の立入禁止とする観測ドームに招かれることもある。市民にとっても星詠庁が身近になる時期。差し込む光が少しまぶしくて瞳を細め、小さく息を吐く。手に持ったコーヒーカップはまだ温かい。
構築室に入るとそこに窓はない。代わりに外の光景がホログラムで映し出されているのみ。
大型の監査パネルとパソコンが並ぶ構築室は、このハルカの中で最も地球に近い光景だと碧羽は思った。
「ねえ」
そう碧羽が言葉を発するだけで職員全員が彼の方へと耳を傾け、監査パネルを見つめる。
全タイムスタンプの潮流が映し出されているパネルに目を向けながら、壁を背もたれにコーヒーを啜る。
「第四基準帯、同期値マイナス0.002。再調整」
彼はその流れを眺めるだけで、どこが歪んでいるのかを察知できた。
基準帯、地球で言うところのタイムゾーンと小学生時代に習ったなー、なんて思い出す。内心呑気な碧羽は、本人が思っている以上に表情も声もどこまでも無感情だ。
職員たちが無言で手を動かしていく中、碧羽は修正されたのを確認してから自席に着く。
コーヒーを啜りながらホログラムを起動し、自動的に立ち上がってくるそれを眺めながら僅かに声が低くなる。
「
「りょーかい」
昴、と呼ばれた彼は副宮長だ。碧羽より2つ年上の彼は嫌な顔一つせず、その一言の指示で碧羽の思う通りに修正する。れっきとした右腕である。「天才」と称された碧羽に追いつけないことは、本人が一番良く分かっていた。
「……いんじゃない?」
「なあ、もうちょい持ち上げる感じで褒めらんない?」
そう碧羽のデスクを見上げた昴が笑いながらに告げると、不思議そうに首を傾げる。
「持ち上げるも何も無いよ。ズレがないようにする。国民の当たり前を当たり前に提供する。礎宮はそういう地味なことを地味にやんのが仕事」
ずず、とコーヒーを啜りながら、「今日のはちょっと苦みが強いかも」とカップを見つめる。手淹れならではの揺らぎは別だなと1人で納得した。定常業務をこなしながら、部下の書いた前日の日報に目を通していく。基本的に碧羽がやることは監督役だ。それ以外は上級職員である昴を筆頭に彼らのチームへと仕事を割り振っている。何かあれば自分が責任を取ります。それが碧羽の仕事に対する向き合い方でもあった。
「ああ、でも。監査網の異常検知は大分早くなったよね。俺が仕込んでるスクリプト、前は見逃されてたのに。時田たちのチーム、バグ検知速度が上がったなと思う。ちゃんと下が育ってるいい証拠」
そう碧羽が言葉にすると、名前を呼ばれた彼は1人密かに表情を緩める。碧羽からの褒め言葉はお世辞一切抜きの本音だからだ。碧羽は礎宮の人間以外にはかなり誤解されやすい。ハルカの人間基準でも猫背なのに上背があり、透き通るような白い肌、どこか眠たげにも見える表情。表情に乏しく声の起伏も少ない、淡々としている印象を与える。
メディアでの印象は曉人と並んで「クールな騎士」「銀の王子」とされるが、当の本人は合理主義の完璧主義者。
礎宮に配属された女性陣が「びっくりするほど冷たい」と百年の恋が一瞬で冷めるほど。それが碧羽が十二宮に選定されてから毎年の恒例行事となっていた。
「そういや、最近毎朝コーヒーカップ持ってますよね。どこで買ってるんです?」
「……教えない。美味いから人増えて買えなくなるの嫌だし」
「えー。コーヒーなんてどこで飲んでも変わんなくないすか?」
そんなわけないじゃん。と思っても言葉にしなかった。
手淹れの方が美味しいって知ってるのは、多分、カフェとか喫茶店巡りが趣味の人。それはだいたい女性か時間を持て余した年配の人が多い。それを知ってることを言うのは、なんとなく嫌だった。
(星野さんのが、一番美味しい気がするんだよな)
豆でも違うのかな。カップを持ち上げてなんとなく目の前で揺らしてみる。ほんの少しだけ、自分の周りにあの店の香りがした気がした。
***
「お、そういやもうすぐ“ククル・ティハール”だ」
昼前、りらが窓の外の地域犬を見てそう言った。その言葉で私はふと天城さんのことを思い出しては、りらへと問い掛ける。
「ねえ、それってなに? たしかに最近、外のわんちゃんたちが可愛くなってるな〜とは思ってたんだけど……」
「ハルカで犬の神さまにお祈りする日だよ、人間の側から“ありがとう”を伝える行事。犬たちにはお花飾ったり、ごはんあげたりすんの」
「ああ、それで。花飾りとかつけてるんだね」
「そういうこと。メインは潮音祭だけど、シン・アジアだと犬が愛されてるからね〜。2回やんの、次は12月だから2ヶ月後かな」
道行く地域犬たち。うちの店の前でもすやすや猫と一緒に眠っている。
マリーゴールドの首飾りで華やかな彼らが歩くのを見ているだけで癒しになる。SNSでのタグを検索すると、確かにアジアの人たちはそちらに夢中らしい。愛犬家が多いんだな、と1人納得してしまう。
不意にピコンと電子音が響き、りらがそちらを見ると「オーダー入ったよ〜」と言うので顔を上げた。
「天城碧羽だ。あの人、律儀に使ってくれてるよな〜」
「こっちだとモバイルオーダーやってる店ほぼ無いよね。私はそれが当たり前だし、あったら便利だから使っちゃうけど」
「待ち時間も愛せよ、ってね。でもまあ、星詠庁が近くにあるなら無いよりある方が断然いいっぽいけど。結構オーダー入るし」
仕事の休憩潰したくないよなあ。なんてりらが言うから思わず苦笑い。
働いていたら休憩時間を無駄にしたくないのはどこの人間でも同じらしい。いつも通り、りらには軽食を任せて自分はコーヒーを淹れ始める。
コポ、コポ。お湯が沸くのを見ているだけで癒やされる。
りらは軽食に関しては元々パン屋でモーニングを手伝っていただけある。私よりも手際よく丁寧に作ってくれるようになった。料理できないよ〜、なんて知り合った頃は言ってたけどアレは大嘘だ。ハルカの人間は地球人より絶対料理が平均的に出来る。その証拠に私が包丁を持つようになったのだって移住を決めてからだった。
エプロンに入れたスマホが震え、何かな、と画面を見る。
aoba:コーヒーとホットサンド、5分後ぐらいに着くと思う
天城さんからの業務連絡である。
雨宿りの日、連絡先を交換したあとからずっとこういう業務連絡だけが来る。最初のうちはドギマギしていた私が馬鹿みたいだった。
(了解、で、す。と)
そう一言だけ返信する。私たちのチャット欄にはそれしかない。
持ち帰りのカップにコーヒーを注いでいる間に、りらがホットサンドを紙袋に入れて渡してくれる。それと一緒に出来上がったコーヒーを袋詰めすると、カラン、と音が響く。
「こんにちは、星野さん」
「こん、……犬連れ、です?」
「来る途中で着いてきたっぽい。この辺の地域犬だよ」
「おー! 可愛い〜、よしよーし。今お姉さんがおやつをあげような〜」
2匹の犬が天城さんを囲むようにくるくると回る。りらの「おやつ」という言葉でカウンターの横に大人しくおすわりしているのは確かに可愛い。
「あ、これ。天城さんの」
「ん。ありがと」
彼の方に紙袋を差し出すといつも通り受け取ってくれる。一方でキッチンから出てきたりらが紙袋を持って出てきた。カウンターの外で2匹を撫で回し、その手つきに瞳を細めて心地よさそうにしている。
「みこともおいでよ、これ犬用のクッキー。あげてみない?」
「ぇ、あ、見てるだけでいいよ」
「……星野さん、犬、怖い?」
「あー……その、ちょっとだけ……」
「慣れたら平気になるよ。お姉さん、おやつ俺もあげてもいい?」
「おん? もちろん」
天城さんの紙袋が私の方に預けられると、天城さんが指を2回鳴らす。
すると即座に2匹が反応を示し、彼のもとに駆け寄る。すごい、なんでだろう。店内にいる誰もが彼へと視線を向けているのが分かった。足元にじゃれつく2匹が、彼が再度指を鳴らすのを見上げるとピタリと動きが止まる。
「おすわり」
その言葉で静かに彼の前に座り込む。おお、すごい。賢い……!
「伏せ」
そのまま彼が手を下に沈める動作をすると同時に、2匹は従順に従う。
「……うん、いい子。おいで」
なんとも言い難い甘い声。雰囲気まで和らいで普段ほとんど無表情の彼の目尻が下がる。それは、あの時の笑顔を思い出してしまって何故か私までドキドキしてしまった。りらからおやつを受け取った彼が2匹に対してビスケットを与えているのを見つめていると、店内から「うらやましー」「イケメンすぎ……」とヒソヒソ声が上がる。
「へー、躾も上手いのな。なんでもできんじゃね?」
「俺がすごいんじゃなくてこの子らが賢いんだよ。多分仕込めば芸とか出来んじゃない? じゃあ、俺行くね。お前たちもあんまりお店に長居しちゃ駄目だよ」
2匹の頭を交互に撫でたあと、天城さんと目が合う。
「また来るね、星野さん」
「ぇ、あ、はい! お、お待ちしてます!」
テイクアウトの紙袋片手に手を振って出ていく姿は、まさに、まさに。王子様、だ。
「超格好良かった……!!」
「今日当たりの日じゃない?!」
「やばいやばい、生天城碧羽って時点でやばいのに……!」
彼が居なくなってから、店の中の女性たちが一気にざわめいている。その気持ちも頷ける、あんなの見せられたら正気じゃなくなる人間もそりゃでてくるだろう。
「……おーおー、すごいな、碧羽王子。あ、そういや、みこと、知ってる?」
「へ? な、なに、なにを?」
「動揺エグ。アジアで一番モテる男の特徴って、犬みたいな男なんだよ」
りらがお腹を見せる2匹を撫で回しながら「なー?」なんて笑いかける。
犬。犬みたいな男。犬みたいな、天城さん。無意識に想像してしまい、なんだかいけない気持ちになって思わずカウンターに突っ伏した。
次の更新予定
惑星ハルカより、愛をこめて 晴瀬彩愛 @uni_hotate
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