第2話 天津事件その2


 小早こばやの中で堀口少佐は帯剣し、残りの14名も小銃に着剣して上陸準備を整えており、運河の渡し場に接岸した小早から素早く下船した。堀口少佐たちを降ろした小早は渡し場から離れ向きを変え運河を港に向かって下っていきそのまま沖の千歳丸に漕ぎ戻っていった。


 襲撃隊が上陸した渡し場の周りには数隻の小型船がもやってあったが周囲に人気ひとけはなかった。月齢は14日。天津城の北城門を目指す襲撃隊にとって夜道は満月に照らされており、移動に支障はなかった。




 今回の特殊演習に参加したのは、独立銃兵第1中隊のうち、中隊長、堀口明日香少佐。曹長、山田圭一曹長。第1小隊長、鶴井静香大尉。中隊選抜下士官、兵12名。(中隊員全員が下士官であるため全員下士官)


 なお、独立銃兵第1中隊長、堀口明日香少佐。独立銃兵第1小隊長、鶴井静香大尉。二人は陸軍伝習所の同期であり、山田圭一曹長は陸軍伝習所で操練助教を務めていた。堀口明日香、鶴井静香とも山田助教に厳しく鍛えられている。


 

 堀口少佐たちが駆け足で進んだのは運河の渡し場から天津城北門へ続く道だったが、この時間路上を往来する者はおらず、城壁の外側には民家と思われる土塀が並んでいたがほとんどの建物の窓からは明かりは漏れていなかった。


 天津城北門の門番には日本商館より賄賂が渡されており門扉はわずかに開かれていた。上陸して10分ほどで北門に到達した堀口少佐たち15名が城門を抜けた先には、城内の皇国商館からの案内人が待ち受けていた。


「駐在武官吉村です」


「特殊演習部隊長、堀口です。よろしく」


 吉村の着る皇国陸軍の軍服から吉村が大尉であることが分かった。もちろん、吉村も堀口が少佐であることは軍服から分かっている。


「こちらです」


 吉村大尉が先頭に立ち最初に襲撃する予定のフランス商館まで堀口少佐たち襲撃隊を案内した。


 作戦は商館の裏門を爆破して敷地内に侵入し、敷地内の建屋に放火するといういたって単純なものだった。商館内の警備兵は10名を超えることはないと見積もられており、28年式歩兵銃を装備した完全武装の15名の敵ではないと考えられていた。堀口少佐は兵であれ民間人であれ抵抗する者はいかなる者であろうと排除するつもりである。


 襲撃隊は吉村大尉に案内されてフランス商館の裏門前に到着した。


 両開きの門は固く閉ざされている。


 堀口少佐は背嚢を降ろして中から火薬包を1つ取り出した。次に軍服の衣嚢いのうから取り出した油紙包みから3寸ほどの導火線を1本取り出し、火薬包の角を破って導火線の先端を突っ込んだ。


 堀口少佐が火薬の準備をしているあいだ、山田兵曹が背嚢から取り出した針金を門扉の蝶番の隙間に通し固定した。小型の鉄線鋏てっせんきょうを使って針金を適当な長さで切り、堀口少佐が準備した火薬包を吊り下げた。


 火薬の準備が終わった堀口少佐は、軍服の内側の衣嚢いのうから取り出した鋼の筒と鋼棒からなる発火器(注1)から鋼棒を引き抜き出し、鋼棒のへこんだ先端にこれも油紙に包んで軍服の衣嚢に入れていた炭化させた布を押し込んだ。


 準備のできた鋼棒を筒の中に入れ直した堀口少佐は筒の先端を地面に押し当て、上から鋼棒を力いっぱい押し込んだ。


「点火する」


 堀口少佐が発火器から抜き出した鋼棒の先端は先ほどの炭化した布が赤く熾り火種となっていた。堀口少佐はその火種を火薬包からのぞいた導火線の先端に押しあてた。無事点火された導火線は火花を上げ始めた。


 発火器を衣嚢にしまい、背嚢を背負いなおした堀口少佐は他の兵士たちとともにその場から20間ほど退避して地面に伏せた。


 ドーン!


 この爆発で火薬包を取り付けた側の扉が門柱ごと吹き飛んだ。反対側の扉も門柱から半分外れた。


 襲撃隊の面々が立ち上がり、硝煙がまだ立ち込める中門の前に整列した。


 堀口少佐はそこでニヤリと笑い腰の軍刀を抜刀して真上に掲げた。


「突っ込めー!」


 銃剣を構えた兵士たちは突貫の喚声を挙げてフランス商館の敷地内に突入していった。敷地内の建物からは煌々とした明かりが漏れていた。吉村大尉は次の商館に堀口少佐たちを案内する役目があるためその場に残り、塀の脇の暗がりにたたずんで堀口少佐たちの帰りを待っている。


 敷地内から小銃の発射音や悲鳴なども聞こえてくる中、数分後には敷地内の各所から火の手が上がり始めた。


 裏門から逃げ出て吉村大尉のそばを走り抜けていく白人もそれなりの数を数えた。


 堀口少佐たち襲撃隊は10分ほどで裏門に戻り、吉村大尉に案内されて次のオランダ商館に向かった。フランス商館内において、自分は清国天津府知府、楊廷秀(ヤン・ティンシウ)であると名乗る清国人を含め堀口少佐は数名を斬殺している。


 吉村大尉を先導された襲撃隊は10分ほど通りを駆けオランダ商館前に到着した。そのころには城内各所で鐘や太鼓が鳴らされ住民たちも火の手が上がり煙を噴き上げるフランス商館の周りに集まってきていた。


 オランダ商館でもフランス商館と同じように裏門を破壊した襲撃隊はたちは10分ほどかけて敷地内の建屋に放火して回り、一名も欠けることなく裏門で待っていた吉村大尉に案内され皇国商館に撤退した。


 鐘や太鼓の音で何事かと通りに出ていた天津の住民たちは、城内を外国の軍服を着た兵士たちが銃を携え駆けていく姿を見て物陰に潜んで彼らが通り過ぎるのを待った。彼らが通り過ぎた後、火事と外国兵の関連などを話しながら火事場見物に向かった。



「特殊演習、無事完了しました」


 商館長の出迎える中、堀口少佐が作戦成功を報告した。


「お疲れさん。あしたから忙しくなるやろう。そこまでちょっとの時間やけど、元気つけてくれや」(注2)


「はっ!」




 翌朝。皇国商館は約1500名の清国兵によって囲まれた。清国側から皇国商館に向け開門するよう要求があったが皇国商館側は無視している。


 午前9時。清国側から開門しない場合は攻撃するとの警告があったがこれも皇国商館側は無視した。そして午前10時。清国側から皇国商館に向けて発砲が始まった。しかし清国兵の主要装備は滑腔式歩兵銃であり、その銃も100丁ほどしか配備されていなかった。


 これに対して、皇国商館側は応戦し多数の清国兵をたおした。清国軍は外壁の狭間と敷地内に築かれ砂嚢で側面を補強した4カ所の櫓から放たれる28年式小銃による狙撃を阻止できず、発砲を開始して10分ほどで清国兵は発砲を中止して物陰に隠れた。



 やや時間が遡り、当日午前7時。天津港沖に仮停泊中の輸送船群は天津港に入港し、4000名の将兵のほか、弾薬、食料などの揚陸を始めていた。


 午前8時30分、4000名の将兵のうち3500名が天津城に向け進軍を開始した。残る500名の将兵は輸送船からの物資の揚陸と警護を行なった。


 午前10時20分。天津城の東門を一寸歩兵砲の斉射により破壊した皇国軍はそのまま天津城内に侵入し、清国兵を排除しながら皇国商館に向かった。11時30分。皇国軍は皇国商館を囲む清国兵士たちを逆包囲し、清国兵たちは武器を置いた。



 年が明け1月1日。皇国陸軍2万を乗せた輸送船団が天津港に入港した。2万の将兵たちは天津に入城することなく北京を目指した。北京を目指す皇国軍は皇国遣清軍と号した。


 先に天津に入城していた4000名の将兵のうち2000名が天津港より輸送船に乗船し、1月7日、山東半島の北東先端の煙台に上陸。そのまま煙台を占領してしまった。


 1月20日。皇国遣清軍は紫禁城を囲んだ。当日清国側は皇国遣清軍に対して講和の使者を送った。


 2月20日。下関において皇国と清国との間で和平条約が結ばれた。条約内容は、清国が皇国に対して1億両( テール) の賠償金を支払ったうえ、山東半島と山東半島から天津府にかけての沿岸部を割譲するというものだった。



 天津事件から発した第一次日清戦争は、皇国の政策がこれまでの重商主義政策から帝国主義政策に切り替わったことを示す事例として特記されている。



(皇国2436、完)



注1:発火器

圧気発火器のつもりです。


注2:標準語

皇国では尾張地方の言葉を標準語として採用していたが、皇国軍では極力地方色を抑えた軍用語が採用されていた。



[付録]

年表

 2247年(西暦1587年)織田信長による日本全国統一

  刀狩りと検地をおこなう。

  殖産興業をかかげ、各地の鉱山開発、街道整備、農地整理を進め、屯田により北海道の開発を押し進める。


 2400年(1740年)博多高炉

 2410年(1750年)博多反射炉

 2415年(1755年)村田権平蒸気機関を開発、炭鉱、その他鉱山の排水

 2420年(1760年)蒸気機関車弁慶号

 2425年(1765年)蒸気外輪船、臨海丸竣工

 2330年(1770年)蒸気外輪襲撃艦、阿賀野丸竣工


 2435年(1775年)アメリカ独立戦争勃発。




[あとがき]

『生きてくだけで特になにもしなくていいと神さまに言われたので、そのつもりで異世界を満喫します』のエンディングまで書いて時間があまり、何となく書いてみました。意外と資料が見つからずでっち上げが大変でした。

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皇国2436 山口遊子 @wahaha7

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