迫り来る破滅、忍び寄る絶望、人類の辿る因果応報の末路

本作は大変秀逸なホラー短編にして、
洗練されたSF小説であり、
因果応報の末路を辿る人類の姿に今一度己を省みるよう促される、
ある種の教訓めいたものを含んだ作品である。

SFやモンスター・パニックものの作品でしばしば見受けられる『人食い』の設定。
本来作劇上の都合によるものであり、時折所謂突っ込み所と捉えられてしまうそれについて、
本作では過去の惨劇を例に挙げ乍ら、
生物学・生理学的な観点から考察が述べられている。
あたかもエッセイのような導入が、
実は物語の語り手を務める学者の独白であると判明する展開は見事の一言であり、
人類が直面した絶望的な破滅の危機が単なる空想物語ではなく、
現実にも起こり得るかもしれないと錯覚させられそうになる。
果たして人類の行く末に待つのは目に見えた絶滅の未来か、或いは奇跡的な救済を伴う生存の未来か……
あたかも壮大な物語の序章のように感じられる本作は、然し結末をはっきりと描写しないまま幕を閉じる。
それがかえって恐怖を引き立てると同時に『未来はまだ不確定であり、結末は人類次第である』との、ある種の希望を見出だせなくもないのは見事としか言い様がない。

そしてまたこの物語には『人食い』以外にももう一つのテーマが隠されているのではないだろうか。
それは『因果応報』であろう。
劇中で述べられた『人食い』の実態……謎の怪物が人類を食らう何よりの理由は、
よく言えば作業の効率化、悪く言えば横着であった。

そうして考えてみると、人類は各地で似たような行為に及び、他の種や時には同族をも傷付けてきた歴史がある。
モーリシャスドードー、オオウミガラス、ステラーダイカイギュウ、ピンタゾウガメ……これらの種は何れも嘗て先人たちから『効率的かつ容易に確保できる資源』と見做され、乱獲の果てに絶滅した動物たちである。
或いは厳密には食い殺されたわけではないが、各地の先住民族らも、異国民に捕らえられ迫害や虐待を受け奴隷として苦役を強いられていた歴史もこの類と定義できるだろう。

そしてこれら人類の蛮行は、劇中の怪物たち、特に諸般の事情から従来通りの食料確保が難しくなった者たちが、
より効率的かつ容易に確保できる資源として人類に目を付け絶滅寸前にまで追い遣った事実と殆ど同じことではないだろうか。
即ち見方を変えれば、嘗て強者として虐げていた者たちが、より力のある強者の出現に伴い虐げられる側に零落れたとも言えるだろう。

因果応報、生者必滅……
何時までも変わらないものなどそう在りはしないこの世の中、
まして一生涯、さして努力もせずただ他者を虐げ強者ぶって厚顔無恥に振る舞い続けられる者がどうして実在するだろうか。

未だ世の全てを知り尽くしたわけでもなければ、まして未だ幼く完璧とか完全なんて状態とは程遠い人類に『予期せぬ出来事』を確実に見抜いた上で、全て非の打ち所なく解決しながら順風満帆に進み続けるなど不可能に等しかろう。
無知で無力なものにできるのは、精々謙虚かつ慎重に動きながら、
予期せぬ出来事への警戒と用心を欠かすことなく生き続けるくらいなのかもしれない。

そんな風に思わせてくれる一作である。