#30 「ネーミングセンス」



 検索エンジンの検索窓に『株式会社チャハーン楽器』と入力し、エンターキーを叩く。

 画面に羅列される検索結果。

 俺はまず公式サイトを開き、会社概要を隅々までチェックする。


 設立から三十年。

 本社所在地は都内。

 資本金、従業員数ともに中堅規模として申し分ない。

 主要取引先には大手楽器店やスタジオの名前が並んでいる。


 SNSや掲示板、音楽機材のレビューサイトを巡回する。

 『チャハーン楽器』の製品に対するユーザーの反応は概ね好意的だ。

 

 『地味だけど音はいい』

 『サポートが丁寧』

 『ドライバの不具合が他社より少ないのは高評価』


 特に安定性を評価する声が多いのは好材料だ。

 オーディオインターフェースにおいてドライバの安定性は重要度は高い。

 どんなに高音質でも頻繁に音が途切れたりフリーズしたりするようでは使い物にならない。

 逆にネガティブな意見としては『デザインが古臭い』『機能がシンプルすぎる』といったものが散見されるが、これは裏を返せば質実剛健ということでもある。


 一通り調べ終え、俺は背もたれに深く体を預けた。

 天井を見上げながら大きく息を吐く。


 企業案件。

 それは動画投稿者にとって一つの到達点であり、通過点。同時に小さくないリスクも孕んでいる。

 もし紹介した製品に致命的な欠陥があったり企業の対応が悪かったりすれば、紹介した側の信用も落ちる。

 だからこそ事前のリサーチは欠かせない。

 前世でもプロモーションは経験済みだ。当然、そのあたりの危機管理能力が備わっている。


 「よし」


 覚悟を決めて立ち上がる。

 まずは最高責任者(義母)へのプレゼンだ。

 俺はリビングへと向かった。





 *****……





 「ん~、企業案件?」


 リビングに義母の「ほへ~」という気の抜けた声。

 予想通りの反応に俺は苦笑する。


 俺はプリントアウトしたメールの文面と、先ほど調べたチャハーン楽器の資料をテーブルに広げた。


 「相手はしっかりした会社だよ。このチャハーン楽器ってメーカー、義母さんも知ってるでしょ?」

 「あ、うん。お店のアンプとかマイクでお世話になってるメーカーさんだね。知り合いもいるし。ほら、前にエフェクター買ったとこも系列店だったはず」


 義母は資料を手に取り、キリっと真剣な表情で目を通す。

 普段は抜けているところもあるが、こういう時は経営者の顔になるから頼もしい。


 「なるほどねえ……。在処の影響力を見込んでの依頼かあ」

 「受けてもいいと思う?」

 「会社自体は信頼できるし、在処がやりたいなら反対はしないよ。ただ……」


 義母が視線を上げる。


 「未成年が企業とやり取りするわけにはいかないよね?」

 「うん。だからメールにもあった通り、一度オンラインで担当者と話をすることになってる」


 そこまで説明して、俺が「だから同席を――」と頼もうとした時だった。


 「もちろん保護者として私も同席するよ」


 義母が食い気味に言った。

 俺が頼むより早く、当たり前のこととして断言する。


 「え? あ、うん。お願いしようと思ってたけど」

 「保護者なんだから当然でしょ。相手がしっかりした会社なら尚更、子供一人に対応させるなんて失礼なことできないし、何より子供を守るのが親の役目だからね」


 義母は力強く頷いた。

 頼もうと思っていた言葉が宙に浮く。

 普段はどこか抜けている義母だが、こういう時の責任感の強さには頭が下がる。


 「ありがと、頼りにしてる」


 こうして『リンカネ』初の企業案件プロジェクトが始動した。





 *****……





 そして数日後。

 俺たちはリビングのパソコンの前に並んで座っていた。

 画面にはオンライン会議ツールの待機画面が表示されている。


 「在処、服装大丈夫かな? 襟曲がってない?」

 「うん、大丈夫」


 義母は今日のために新調した淡いベージュのブラウスを身に纏っている。

 清楚で落ち着いた大人の女性という雰囲気だ。

 中身がテンパっていなければ完璧なのだが。


 「だって企業の人とウェブ会議なんて初めてだもん」

 「ライブハウスの経営で業者さんと話すことはあるでしょ」

 「それは対面だし、なんかこう……空気が違うじゃない?」


 そんなやり取りをしているうちに画面が切り替わる。

 接続が確立されたようだ。

 画面の向こうに、三十代半ばと思われる男性の姿が現れた。

 黒縁メガネに整えられた短髪。

 知的で真面目そうな印象を受ける。

 背景にはチャハーン楽器のロゴが入ったポスターが見える。


 『初めまして。株式会社チャハーン楽器広報担当の吉永と申します。

 本日はお時間をいただきありがとうございます』


 吉永さんは深々と頭を下げた。

 義母も落ち着いた様子で頭を下げる。


 「初めまして。天音と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 (なんだ、普通にできるじゃん)


 『天音様ですね。メールでのご丁寧な対応、感謝いたします。

 ……あ、そちらにいらっしゃるのは?』


 吉永さんの視線が、義母の隣にちょこんと座っている俺に向けられる。

 まあそうなるよな。

 俺は姿勢を正し、カメラに向かって挨拶をした。


 「初めまして。『リンカネ』として活動している天音在処です」


 一瞬の沈黙。

 吉永さんの目が大きく開き、何か納得したように頷いた。


 メールの文面は俺が作成していたし、動画では子供のような振る舞いをしているとはいえ、中身が小学生だとは思っていなかったのだろう。


 『失礼いたしました。動画で手元が映っていたのでお若い方だとは思っていましたが、まさかこれほどお若いとは……。

 あの、動画の演奏や編集はお母さまが?』

 「いえ、全て私がやっています」


 俺は少しだけ子供らしさを演出しつつ答える。

 あまり大人びすぎても不気味だし、かといって子供っぽすぎてもビジネスにならない。

 このバランスが難しい。

 

 吉永さんは咳払いを一つして、すぐに気を取り直した。

 さすがプロだ。切り替えが早い。


 『状況は理解いたしました。天音様……お母様が保護者として管理されているということですね』

 「はい。契約等の手続きは私が責任を持って行います」


 義母が凛とした表情で答える。

 ここぞという時の義母は本当に頼りになる。


 『承知いたしました。では早速ですが、今回の案件についてご説明させていただきます』


 吉永さんは画面共有を開始し、資料を映し出した。

 

 『今回ご紹介いただきたいのは、来月発売予定のオーディオインターフェース『CHAHA-N05』です。

 ターゲットは自宅で録音を行う配信者やミュージシャン。

 高品質なマイクプリアンプを搭載し、低ノイズ・低レイテンシーを実現しました。低レイテンシーとは――』


 (ちゃは、えぬぜろご? ……チャハーン05か! 見た目に反して結構面白い商品かもしれない。ネーミングセンスという意味で)


 画面に映し出された製品スペックを見る。

 サンプリングレートは最大192kHz/24bit。

 入力はコンボジャックが二つ。

 ループバック機能も搭載されている。

 配信者向けのツボをしっかり押さえた仕様だ。


 俺が次々と質問を投げかけると、吉永さんは驚きつつも的確に答えてくれる。

 専門用語が飛び交う会話に、隣の義母は目を白黒させている。


 『……すごいですね。スペックシートの読み込みが早い。

 正直、大人の方でもここまで的確な質問をされる方は少ないですよ』


 吉永さんが苦笑交じりに言った。


 『リンカネさんにお願いして正解だったかもしれません。

 弊社の製品は「質実剛健」が売りですが、どうしても地味になりがちでして。

 リンカネさんのような若いクリエイターの方に使っていただくことで、新しい層にアピールしたいと考えています』


 「分かりました。私としても非常に楽しみな製品です。

 特にこの価格帯でこのスペックは魅力的ですね」

 『ありがとうございます。

 では、製品のサンプルをお送りしますので、実際に使ってみてレビュー動画を作成していただけますか?

 良い点だけでなく、気になった点も正直に言っていただいて構いません』


 「忖度なしでいいんですか?」

 『はい。弊社の製品に自信がありますし、ユーザーの生の声こそが信頼に繋がると考えていますので』


 いい担当者だ。

 俺は心の中でガッツポーズをした。

 忖度を強要してくる企業は少なくない、この姿勢は好感が持てる。


 「お引き受けします。精一杯、良い動画を作らせていただきます」

 『よろしくお願いいたします!』


 契約内容の確認、報酬の支払い条件、スケジュールのすり合わせ。

 細かな詰めを行い、一時間のミーティングは終了した。


 通信が切れた瞬間、義母がソファに沈み込んだ。


 「はあぁぁ……緊張したぁ……」

 「お疲れ様、義母さん。完璧だったよ」

 「そう? 変なこと言ってなかった?」

 「うん。堂々としててカッコよかった」


 俺は素直に称賛を送る。

 義母がいなければ、この話はまとまらなかっただろう。


 「でもさ、在処」

 「ん?」

 「あの担当の人、最後の方完全に在処とだけ喋ってたよね?

 私、ただの置物になってなかった?」


 義母がジト目で見てくる。

 確かに後半の機材トークでは俺が独走してしまった感は否めない。


 「保護者がいるかいないかで全然違うよ。義母さんが横にいてくれるだけで相手からすれば相当なプレッシャーがあったはず」

 「ほんとにぃ?」

 「ほんとほんと」


 事実、前世では相手の口調こそ丁寧だったものの、内容はかなりナメられたものだったことがある。頼れる大人の存在は後ろ盾の少ない時分では重要なのだ。


 とにもかくにも、これで正式に案件が決まった。


 (さあ、忙しくなるぞ)


 チャハーン楽器の『CHAHA-N05』。

 ユニークな名前と無骨な見た目のギャップながら、コストパフォーマンスは高そうだ。

 早速、動画の構成を考えたいところだが。


 ……今はそれより先に腹の虫が鳴いている、ぐでっとした家族のためにキッチンへ向かうことにした。


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TS転生した元男が演奏系配信者として稼ぐ話 深空 秋都 @Akito_Shinku

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