#29 「バンクへGO」
休日。
普段なら惰眠を貪るか朝からギターを抱えている時間帯だが今日は違う。
リビングで俺は目の前の光景に頭を抱えていた。
「義母さん……その格好はなに」
「え? 銀行に行く正装だけど?」
キリッとした顔で答える義母。
身に纏っているのは黒のパンツスーツ。髪も普段の無造作な感じではなくきっちりとまとめ上げメイクもばっちり。どこかの企業の重役と商談でもしに行くのかという出で立ちだ。
「いや……ただ口座作りに行くだけだから。融資のお願いに行くわけじゃないんだよ?」
「これから在処の大金を管理する口座を作るんだよ? 銀行員さんにナメられたらダメでしょ!」
「ナメられないし誰も見てないって」
気合の入り方が間違った方向に行っている。ライブハウスを始める前に何かあったのだろうか。
何にせよ、真剣に考えてくれているということなのだろうが。
「ほら、こっちに着替えて。いつものカジュアルな感じでいいから」
「ええ~……せっかくアイロンかけたのにぃ」
「かけたのは私だけどね。はいはい、帰りにスーパー寄るんだからその格好じゃ浮きますよーっと」
渋る義母を部屋へ押し込み俺はソファに腰を下ろす。
テーブルの上には必要な書類一式が入ったクリアファイル。
「お待たせー」
数分後。
ラフなニットとデニムスカートに着替えた義母が出てきた。
うん。こっちの方が百倍いい。若々しい義母にはカチッとしたスーツよりこういう柔らかい雰囲気の方が似合う。
……スーツはスーツでちょっとカッコいいと思ったのは……本人には黙っておこう。
「よいこらせ」
変な掛け声を出しながら運転席に乗る義母。わざとだろうが、癖にならないように意識しておくか。
「それじゃ、行きますか」
「安全運転でよろしく」
*****……
銀行の窓口。
想像より混雑はしていない。これなら早めに順番が回ってきそうだ。
整理券を取り番号が呼ばれるのを待つ。
「緊張してきた……」
「なんで義母さんが緊張するのさ」
「銀行とか役所の手続きってよくわからないけど緊張するのよね」
小声で囁く義母の手は少し湿っていた。
俺はあまり気にしたことはないが、人によって感じ方が違うのだろう。
『45番の番号札をお持ちの方ー』
機械的なアナウンスが響く。
俺たちの番だ。
「きたきた、はーい」
俺は窓口まで聞こえる最低限度の声量で返事をし、整理券を片手に窓口へ向かう。
窓口の女性行員はにこやかな笑顔で迎えてくれた。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「うちの子の口座を開設したくて」
「はい。お子様の口座開設ですね。かしこまりました」
いざ話してみれば、義母は普通に話し始めた。元々、本番に強いのは知っていたので、それほど心配はしていない。
行員さんが手際よく書類を取り出す。
ここからは大人の領分だ。
俺は隣で大人しくしているだけの置物になる。
「こちらにご記入をお願いします。お母様が代理人となられますので……」
説明を受けながらペンを走らせる義母。
利用目的の欄でペンが止まる。
「在処、これ『貯蓄』でいいの?」
「うん。基本は貯金だから」
「『事業用』とかじゃなくて?」
「……まだ個人事業主じゃないから」
コソコソと相談する俺たちを行員さんが不思議そうに見ている。
怪しい親子だと思われていないだろうか。
一通りの手続きが終わり通帳が発行されるまでの待ち時間。
義母は深いため息をついて椅子にもたれかかった。
「ふぅ……手汗が止まらなかったよ」
「はいハンカチ」
「ありがとー」
義母は手をハンカチで拭きながら「いやあ、変に怪しまれなくてよかったねえ」と、安堵の表情で息をつく。
「聞かれたところで困ることでもないよ。まあ説明は面倒かもだけど」
小学生が動画で稼いでますなんて言ったら変な目で見られるかもしれない。
でも嘘をつく必要もない。堂々としていればいいのだ。
『天音様ー』
名前が呼ばれる。
窓口へ向かうと真新しい通帳がトレーに乗せられていた。
「こちら通帳とカードになります。ご確認ください」
通帳を受け取る。
中を開くと最初のページには『1,000』の数字。
口座開設のために入れた千円だ。
「これが在処の通帳かー」
「少しだけ大人になったような感じがするね」
「ふふっ、無くさないよう、大事にしてくださいね」
行員さんが微笑ましい親子を見る目で優しく言う。
そして俺たちは行員さんに頭を下げ銀行を後にする。
外の空気は心なしかいつもより美味しく感じられた。
*****……
「お祝いだ!」
銀行からの帰り道。義母が高らかに宣言した。
「なんの?」
「口座開設記念! そして在処のプロデビュー(仮)記念!」
「(仮)ってなに(仮)って」
とはいえ悪い気はしない。
俺たちは少し奮発してステーキ屋の列に並んだ。
鉄板の上でジュウジュウと音を立てる肉塊。
跳ねる油と香ばしい匂いが食欲を刺激する。
「いただきまーす!」
義母は豪快にナイフを入れる。
俺も負けじと肉をほおばる。噛み締めた瞬間に溢れ出す肉汁。肉の旨味をこれでもかと感じ、次いで白米を口に運ぶ。
肉と白米、そして飴色になるまで炒められた玉ねぎの旨味が口いっぱいに広がる。
最高だ。
「そういえば在処」
「ん?」
「あの通帳のお金、いつ頃入るの?」
「来月の末くらいかな」
「そっかあ。じゃあそれまではこの通帳、私が神棚に飾っておくね」
「うん?」
「毎朝柏手打って金運アップ祈願しよう」
「うん、普通にしまおうね」
この人は本当にやりかねない。いつも半分ネタ、半分本気なのだ。
「あ、そうだ。入ったら何買うか決めてるの?」
「んー、特に決めてない。というか、この年齢で派手に使うと金銭感覚がね」
「うむ、しっかりしてるね。でも本当に必要なものには妥協しちゃだめだからね」
「うん」
義母は「よしよし」と俺の頭を撫でる。
少し恥ずかしいが、こうしていると親の愛情を感じられる。無碍にはできまい。
お金に関しては、音楽環境を整えたい気持ちもある。が、それは今すぐ必要なほどでもない。
そも、買ったところで動画投稿サイト自体の音質が追いつかないのだ。
今はまだ、今後の投稿プランやチャンネルの方針を堅実に固める段階でいい。
とまあ、それはそれとして、目の前の肉を早く食べたいと舌が叫んでいる。
俺は溢れる肉汁の海にポテトをダイブさせた。
*****……
帰宅後。
義母は宣言通り通帳を予め考えていた保管場所へしまい込んだ。
「さてと」
俺は自室に戻りパソコンを開く。
まずはメールチェックだ。
動画投稿サイトに紐付けてあるアドレスには日々様々な通知が届く。
コメント通知、登録者通知、おすすめ動画……。
その大半は事務的なものだが今日は一つだけ異質な件名が目に止まった。
【お問い合わせ】株式会社チャハーン楽器 担当:吉永
「……チャハーン楽器?」
聞いたことのある名前だ。
確か音楽制作ソフトや音響機器を扱っている中堅メーカーだったはず。最近買ったエフェクターも同メーカーのものだ。
大手ではないがニッチで質の高い製品を作ることで知られている。
迷惑メールの類ではなさそうだ。
俺は少し緊張しながらメールを開封した。
『突然のご連絡失礼いたします。
株式会社チャハーン楽器、広報担当の吉永と申します。
この度はリンカネ様の配信を拝見し……』
定型的な挨拶文が続く。
そして本題。
『弊社で開発中の新作オーディオインターフェースのプロモーションにご協力いただけないでしょうか。
つきましては……』
「――マジか」
思わず声が漏れる。
これはいわゆる『企業案件』というやつだ。
インフルエンサーとして認められた証。
しかも内容は俺の専門分野ど真ん中。
『製品の提供はもちろん、別途報酬もご用意させていただきます。
詳細につきましては一度お話しできればと……』
マウスを持つ手が少し汗ばむ。
収益化の次は企業案件。
トントン拍子すぎて怖い気もする。
兎にも角にも、まずは保護者に相談するのが先だ。そう、俺は子供なのだ。
俺はリビングのソファでだらりとしているであろう義母の元へ向かう。
「あ、そうだ。その前に」
リビングのドアノブに手をかけたところで立ち止まる。
まずは相手について調べないと。
製品の評判、会社の信頼性。基本的な情報がなければ相談どころではない。
小学生だからといって甘えは許されないビジネスの世界だ。
俺は一度部屋に戻りブラウザを立ち上げる。
そして検索窓に『株式会社チャハーン楽器』と打ち込んだ。
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