第4話

 空気を読んだ春香が親指を立てながら退室したのを見送ってから、白髪の少女は穏やかに沈黙を破った。


「…遅れちゃいましたけど自己紹介しますね。名前は「梔子 玲クチナシ レイ」15歳です。昔から体が弱くて病院に籠っていたから、外の事に興味があるの。あなたの事も教えてくれますか?」彼女はそう言って生命力に溢れた瞳を恥ずかしそうに伏せて笑う。


 真幸は箱入り娘の様な事を宣う少女にギョッとしたが、顔を見る限り嘘をついている様子は無いので奇異の目を向ける事は無い。「外の事は教えても構わないけど、私に関して言えば何処にでも居る唯の可憐な美少女だよ?」

 

 自分の事を可愛いだとか、美少女だとかと形容する女の子は相当に珍しい筈なのだが、それを指摘できる人物はこの場に居合わせていなかった。


「あの、最初に言っていたマサユキと言うのは誰なんですか?」「……私の父親だよ。病院の外では自己紹介をする時に誰々の息子や、娘と名乗るのが常識なんだ」少々都合の悪い質問だったが、真幸は相対する少女を試すという理由も込みで、流れるように嘘を付いた。


「そうだったんですね。では改めまして梔子 一樹の娘の玲です。貴方のお父上を私に紹介してくれませんか!?」


 少女は問わず、質さず、疑わず。言葉の裏目も確認せずに有りの儘の言葉を其の儘に受け入れたらしい。どうやら凄く良い人達に囲まれて育った様だ。


「君は知らないかもしれないけど、世の少年少女は友達になったくらいで両親に引き合わせたりはしないんだ」「では、どうすればお父様と合えるのでしょうか?」


 娘さんとお近づきになりたいから両親に許可を取ると。成程随分と古風な子であるが、マキという架空の人物にマサユキという親は居ない。何方も自分なので、合わす事すら出来ないのだ。


「そりゃあ決まってるだろ、親友になった時だよ」「では是非私と親友に!!」

 なんともいじらしい娘だが、これで折れるくらいならば真幸にも一人二人くらいの友達ならば居ても良い筈だ。「いいかね?親友になるというのは難しいんだ。そもそも定義すら存在し無いからね」と言う訳で困ったおじさんは禁止カード中の禁止カード、親友の定義について言及し始めた。新学期に新しいクラスメイトへ同じことを言えば、忽ちにボッチが完成してしまうだろう。

 しかし、平気な顔で嘘を吐く汚い大人を前にしても玲はめげなかった。「せ、せめてマキちゃんと親友になるコツを教えてください」彼女のひたすらに純粋で純白で神聖さすらも伺える対応は、薄汚れてしまった大人にとってはさぞや良く効いた事だろう。何せ彼を属性で表せば闇になる。光で照らせば存在ごと抹消される程度の矮小な存在なのだ。


「……私の持論として、親友の間で最も大切な要因は互いが互いの事を無条件に信用する事が出来る信頼関係だ」「信…頼」

 真幸は蛇に睨まれたカエル、若しくは陽キャに絡まれた陰の者よろしく押し黙っていたが、熟考の末にようやく口を開いて戯言を展開し始めた。

 口調だけは仰々しいが、どうせ内容は彼の交友関係よりも薄っぺらいのだろう。しかし真幸の本性を微塵も知らぬ少女は興味を惹かれた様子で真剣に話を聞いている。


「では、これを手っ取り早く築く方法を特別に教えよう。世間の人間は未だに気付いていない裏技だからよく聞きたまえ」真幸は元気よく返事をした玲を見て何様のつもりなのか満足げに頷いた。彼の主張は回り諄い前口上から始まる。

「君はお友達代という言葉を知っているか?いいや、知らなくとも恥じる事は無い。これは主に親しい友人間で行われる契約でね、蠟燭を鴨という字に並べた四畳半の部屋で毎月決まった額を相手に支払う事で成立する……まぁ、儀式の様な物だ」「そ、そうするとどうなるのですか?」「話によれば、どうやら凄まじい勢いで相手への好感度が溜まり、お手軽に信頼関係を築く事ができるらしい」


 彼は徹頭徹尾詐欺紛いの主張を行った。そこら辺に居る擦れた小学生に同じ事を言っても鼻で笑われるのがオチだろうが、悲しいかな詐欺というのは往々にして心の清らかな人間ほど掛かりやすいものである。

「お願いです。お友達代を払わせてください!!」真幸は価格を尋ねた少女に嫌らしい笑みを隠そうともせずに浮かべてみせた。「私は高いからね。普段なら毎月五百万円くらい貰うんだけど、私も君とは友達になりたいし百万円で良いよ」


「……なんとか払える額ですね。わかりました」彼女はそういってベッドの脇に設置されたタンスをごそごそと漁り、どこかで見た様な分厚い茶封筒を取り出した。そもそも金銭の要求を前提とした繋がりを友人関係と呼ぶ事は無いのだが、殆ど病院から出ずに過ごして来た玲は真幸よりも更に交友関係が薄かったのだ。


「お納めください」「え?払えるの?」「はい。お父様からお小遣いを渡されていますので」一応、念の為、万が一という事もあるので中身を確認すると、そこには紛れも無く本物の一万円札がぎっしりと詰まっていることが確認できた。「……ようし分かった、とりあえずこれは貰っておくから、来月からも頑張りなさい」


「頑張る?何を頑張るんだい?」唐突に聞こえてきたのは、つい十数分ほど前まで嫌になる程聞いていた爽やか警官の声である。勿論真幸は条件反射で体を硬直させた。

 要件を思い出してこの場へやって来た締は異常な契約を結ぼうとしていた二人に戦慄して思わずその場に押し入り問い質したのだが、その光景はさながら結婚式に待ったを掛ける新婦の本命男性の様だ。


「いや、これはちょっと、あの……」湿度の高い視線を背中に浴びながら、彼はたっぷりと時間を使って言葉を紡ぐ。「……合格だ、おめでとう。見事に信用を勝ち取って見せた君の信念を称えて、今後は私の事を親友と呼ぶ事を許そうではないか!!!」時間をかけても妙案は出なかったらしい。彼は震える腕で玲に封筒を突き返した。

「つ、ついに私にも親友が出来たんですね……!!」少女は大きな瞳に涙を溜めながら深々と頭を下げると、返却されただけの封筒を恭しく両手で受け取った。先程の説明中に聞いた儀式という単語を重く捉えてしまったのだろう。


 ―――全ての人間が善良である筈も無いのに根拠なく簡単に人を信用するとはな、所詮は社会の厳しさも知らぬ青い餓鬼よ。真幸はそんな事を考えながら薄く笑う。不可思議にも、社会の厳しさに癇癪を起して退職した人間の思慮は含蓄に富んでいた。


「今回はそういう事にしておくけど、次は無いよ?」普段の締ならば詐欺罪だなんだと理由を付けて署にでも連行していたのだろうが、精神を患っているであろう子供が相手では流石に酷だと思ったのだろう。

 情状酌量を与えられた真幸も冷や汗をかきながら「サー・イエッサー!」と、勢いだけのヤケクソな返事をした。


「親友のマキちゃん、その方とはお知り合いだったのですか?」若干置いてけぼりを食らっていた玲が首を傾げると、長く白い髪がゆっくりと肩から流れ落ちる。


「勿論だ親友のレイ、だがこいつは善良で愛らしい無実の少女を二人きりのパトカーヘ連れ込む様な悪徳警察だから絶対に信用するなよ?挨拶もいらん」「君ね、警官侮辱罪でパクられたいの?」締は呆れのあまり半笑いでそう言った。

「パクってみろよ。但し罪状は事実陳列罪だがな!!」「そんな罪は存在しないよ。どうして警察に架空の罪状が通用すると思ったんだ……」

 事実陳列罪という罪は実際に存在せず、又その事を可憐なおじさんは知らなかった。だが、転んでもタダでは起き上がらないのが沙魚川 真幸という人物である。

「公然と事実を指摘して私の名誉を損ねたな?名誉棄損で訴えるぞ!!」「法的措置を暗示させて行動に移さないのは脅迫罪だよ?」真幸が機転を利かせた返しをするも、エリート警察官は難なく切り抜けて見せた。これでは小悪党も以上の追及は出来ないだろう。「はい、名誉棄損ね」金髪少女の反撃は甘んじて受けて見せよう。どうせ苦し紛れの自爆特効だ。「お巡りさん、これ以上罪を重ねないで!」しかし傍観者である白髪少女突然の介入は、意図せずイケメンの心に深い傷を付けた。「もうやだこの子達」


 こうして突然始まった舌戦は対戦相手の継戦不能により、真幸の繰り上げ勝利という形で幕を下ろした。


「それで、何の用だったんすか?」見事勝利を収めた少女は若干の哀愁を漂わせるエリートイケメンの背に手を置き問う。あわや反則寸前の高度な煽りとも受け取れる行動はしかし、結果だけを見れば締に忘れかけていた本来の目的を思い出させた。

 

 彼は緩和病棟の診察室で真幸と別れた後、美容病棟へと赴いてアフターピルの処方申請を行っていたのだ。

 とはいえその事を玲が居る前で真幸に伝えるのはあんまりである。締は最近の子が小学校の時から性知識としてピルの存在を教えられている事を知っていたので、伝わるだろうという憶測の元に言葉を濁して内服薬の袋を手渡した。

「ほら、例の治療薬だよ。君には必要だろう?」「随分と仕事が早いな」その言い方では病院へ来た理由からして勘違いをしている真幸には伝わらなかっただろう。

 彼は当然の如くそれを女体化の治療薬だと思い込み、その場ですぐ様飲み込んだ。


「はいどうぞ、お水です」喉を詰まらせて咽る少女とコップを差し出す少女。締は二人の様子を見て、やはり警察署ではなく精神病院へ連れて来て正解だったと笑みを零す。


「……僕はこれで帰るけれど、今度はお見舞いを持って来るから歓迎してほしいな」「そういう事は高いフルーツを持って来てから言ってくれ。ほれ帰った帰った」「強かというかちゃっかりしてるというか……君は自分から問題に首を突っ込む様なタイプには見えないけど、くれぐれも騒ぎは起こさないでくれよ?あまりにも目立たれたら僕の捜査にも支障をきたすんだからね」「さんきゅーママ」


「逞しい様で何よりだよ。じゃあ、お子様の世話は梔子さんに任せても良いかい?」「レディーに向かってお子様とは……待て、二人は以前から知り合いだったのか?」「はっはっは、残念だったね。守秘義務の都合上、僕は黙秘させてもらうよ」

 真幸は縋るように玲を見るが、彼女は口元で指を立てて「秘密です」と微笑むだけである。


「そうだ。梔子さんが気にかけていた緊急入院している子なんだけど、つい今日の朝に意識が戻ったみたいだよ。流石に今日は親族の方が来ているだろうけど明日以降なら会えるんじゃないかな?暫くは循環病棟への移動も無いみたいだしね」真幸に押されて入口まで追い返されていた締は後ろを振り返ってそう告げると、何かから逃げる様に部屋から出て行ってしまった。


「……とりあえず、男性の前でその恰好を続けるのは良くありませんし、晩御飯までに私と服を買いに行きませんか?」静寂を取り戻した空間の中、玲は自分と変わらない大きさの手を取り心を弾ませる。きっと、短くはない関係になるであろう事を確信しながら。




 ―――『一章「プロローグ」』終―――

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宵の闇、君の隣 神楽鈴 @KaguraBell

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