第5話 優太郎と星(2)

野野宮ののみや、紅茶のおかわりを」

「かしこまりました。スピカお嬢様」


 野野宮は万能な人物だ。運転手と護衛だけでなく、お茶を淹れるのも上手い。今年の夏に海へ行くために買った椅子と丸テーブル、パラソルも手際よく設置してくれた。


 季節は春になったけど、少し肌寒い。薄いコートに包まれた体に温かい紅茶を流し込むと、全身に沁みた。


「……あの」

「ん? あら偶然ね、優太郎。今日も花壇のお手入れかしら?」

「いえ、偶然って。洋館の門前で優雅にティータイムをされてるのはお嬢様ではありませんか」


 優太郎がハァ、と息を落とす。その手には大きなジョウロ。彼の足元の花壇には桃色に菫色、白色、黄色、紫色……絵の具のパレットのようにたくさんの色彩が咲いている。引き寄せられた蝶たちが楽しそうに舞っていた。


「ふん。この町の地主は一条寺家よ。一人娘の私がどこを使おうが、勝手でしょう?」

「しかし、こうも毎日ですと……」


 私は10歳から、この水色の洋館に通い続けている。

 理由は、意地。

 野野宮が見たという〝人間らしい、温かい笑顔〟をどうしてもこの目で見てやりたくなって通い続けた。

 まぁ、私はいまだにその表情を拝めていないけど。だって優太郎ってば私を見ると、どこか困ったように笑うばかりだもの。わがままな子供に手を焼いているように。


「何? 文句があるというの?」

「習い事や、ご友人との付き合いはよろしいのですか?」


 私はソーサーにティーカップを置いた。


「薄々は勘付いているくせに、意外に野暮ね」


 この時、私は13歳、彼は21歳だった。


 中等部1年の春休みがもう数日で終わるという頃。

 初等部の頃は週に一度くらいだったけど、中等部に上がってからはここに来る頻度が増えた。


「親とも同級生とも、上手く付き合えていないのよ。両親は私に興味が無いわ。それぞれ愛人を作って帰ってこないし。同級生は思春期に入ってから、急に私に媚を売るようになった。昔は純粋に遊んでいた子も、私の家柄を意識するようになったの。誰が私の〝一番のお気に入り〟に選ばれるか陰で争っている。バカみたい」


 学校にも家にもいたくなかった。

 胸が詰まってどうしようもなくなると、私は野野宮にお願いした。水色の洋館に連れて行ってほしい、と。

 ここはいつの間にか私の逃げ場になっていた。


「はぁ。春休みが終われば、2年生になってしまう。嫌だわ、辞めちゃおうかしら」


 野野宮がわざとらしく咳払いをした。ふん。


「大変なのですね」


 私たちの様子を眺め、優太郎が短く答える。彼は手に持っているジョウロの角度が傾けた。小さな雨が花たちに注がれていく。

 優太郎という男は慰めたり、励ましたりしない。否定も肯定も賛同もしない。ただ聞くだけ。


「そういえば、お父様は愛人との間に子供が出来たそうよ。男の子が産まれるといいわね。一条寺家の跡取りを欲しがっていたから」

 

 さっきから家庭の事情をバラしているけど、かまわない。すでに町中の噂だから。


「男の子なら養子にするはずよ。きっと義弟は寵愛されるでしょうね」

「お嬢様だって、愛らしいお方なのに」


 私はドキッとして……すぐにムッとした。優太郎は私ではなく、桃色の花を見ていたからだ。


「花じゃなくて、私に話しなさいよ!」

「あ、申し訳ありません」


 優太郎には奇妙な癖がある。彼は花に話しかけるのだ。変なの。初対面では空に向かって謝っていたし。


「まったく。変わった人ね」

「お嬢様こそ」

「え?」

「僕のように気の利いた言葉も言えない奴といても、退屈でしょう?」

「そうでもないわ。つまらなければ来ないわよ」

「……やっぱり変わっていらっしゃる」

「それよりもさっき〝愛らしい〟と言ったわよね? そんなの、両親にも言われたことがないわ。私のどこが愛らしい?」

「うーん……。言葉にしろと言われると難しいですね」


 本当に気の利かない人。

 殿方なら、レディが喜ぶことを言うものよ。


 だけど優太郎は、私がここに来ることを拒ばない。

 両親のように鬱陶しそうにしないし、同級生のようにヘコヘコと媚を売らない。

 いつも〝こんにちは〟って迎えてくれて。くだらない愚痴を全部聞いてくれる。


「ねぇ、これからも来てもいいでしょう?」

「それは僕には答えられません」

「何故?」

のはお嬢様です。僕にその権利はありません」


 あぁ、つまらない。

 来てもいいでしょうと尋ねると、優太郎はいつもこう答える。

 優太郎はあらゆる自由を国に奪われている。そのせいで多くのことを手放し、諦めている節があった。

 私は子供だけど、大人の言うことを鵜呑みにする年齢ではなくなっていた。この国が優太郎にしていることは明らかにおかしい。

 そう分かってきたのに、私に出来ることは何もなくて。 

 ひどく、もどかしかった。


「ねぇ」

「何でしょう?」

「髪型の話だけど、半結はんむすびと、知ってる?」


 優太郎が首を傾げたので、私は自分の三つ編みを解いて、2種類それぞれの結び方を見せた。

 

「どちらが好き?」

「えっと〝ぽにーてーる〟ですかね。涼しそうですし」

「そう。じゃあ、この髪型にするわ」

「はい?」

「私の学校には髪型に規則があるの。1年生は三つ編み、2年生になれば半結びかぽにーてーるのどちらかをのよ」


〝選ぶ〟の言葉に、優太郎は確かに反応した。


「正直、本気で学校なんて行きたくなかったけれど、貴方が選んだ髪型で登校するわ」


 ふん!と仁王立ちする私。

 優太郎の方はしばらく硬直していたけど、


「……ふっ。はははっ」


 笑った。


 目を細めて、口角を上げて。

 大きな声で、お腹を抱えて。


(ああ、これだわ。ずっと見たかったの)


 優太郎の、本物の笑顔。やっと会えた。


「ふふふ」


 私も嬉しくて吹き出した。お互いの笑う声が聞こえ合う。何て幸せな時間なのだろう。


 私は宣言通り、学校を1日も休まなかった。

 教室で息苦しくなった時はトイレに逃げ込んで、鏡でぽにーてーるを見たわ。そうすると勇気が出たのよ。

 放課後になれば優太郎に会えるって思えば、ますます頑張れたの。


 優太郎。

 この頃の私は、貴方にシンパシーを感じていたの。

 貴方はこの家に生まれなかったら、周りから差別を受けることはなかった。

 私は一条寺家に生まれなかったら、女児でもきっと両親に愛された。

 だから私は貴方といる間は、素の自分になれた。

 貴方との時間は永遠に続くって私は思っていたのよ。


 まさかあんなことが起こるなんて、予想もしなかった。

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空に謝る男と、花になりたいと願った少女 麻井 舞 @mato20200215

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