第11話

「理沙様、おはようございます。今日はいつにも増して暑いですね。本日の最高気温は、人間の体温と同じくらいまで上昇するそうです。体温のないロボットにとっては問題にならないように思えるかもしれませんが、我々にとっても熱というのは脅威です。電子部品は水に弱いのと同じくらいに熱に弱い。にもかかわらず、我々は動作するたびに熱を発生させます。病院内の空調設備が充実していることが何よりもの救いですね。」


「窓を開けるとせっかくの空調が台無しですから、カーテンだけでも開けましょう。人間の健康には適度の日光を必要であると、どこかの文献で見たことがあります。」

「……ですが、こんなにも天気がいいとは。雲一つない空に、窓越しにも伝わる強烈な日差し。今日は本当に、絶好の海日和ですね。」


「海はしばらく懲り懲りだけどね。」


メモリ上に残っていない音声データを、別の記憶領域で再照合する。百と二十一日ぶりの、少女の発声だった。


「おはよう、アイ。」


少女はゆっくりと目を開け、こちらを見た。


「おはようございます。お体の調子はいかがですか。」


「さすがに今から海に行けるほどの体力はなさそうだけど。悪くないよ。」


彼女は少し体を動かした。起き上がろうと模索しているようだったが、思うように動かなかったのか、やがて諦めた。


「それにしても、ずいぶん長いこと寝てた気もするし、一瞬だった気もする。いや、寝てたという表現も正しくないかも。とにかく、深い水の中にいるような感じだった。」


人間にとっての寝るという感覚がどのようなものかはわからないが、寝ている間に夢を見るのだから、ロボットにとってはスリープ中にバックグラウンドで処理が走っているような感覚なのだろう。だが、それとも異なり、深い水の中のような感覚となると、数秒後に水圧で破壊されることが想定されるような感覚なのだろうか。


「もしかしたら、これが海なんじゃないかって思った。思っていたよりも暗くて、苦しくて、怖かった。心も体も、どんどん悪い方に向かっていっちゃう気がして嫌だった。」


彼女の表情も暗かった。だが、この次の発言をするとき、そこに陰りはなかった。


「でもね、私気付いたの。私、まだ水着を買いに行ってなかったんだよ。」


「はい?」何の話が始まったのかわからず、聞き返した。


「約束したでしょ? おしゃれな水着を買いに行こうって。でも、私はおしゃれな水着どころか、手術前に来てた恰好のままだった。だから、ここは海じゃないってわかったの。」


そのタスクは、ちょうど彼女が手術を行った日に記録されていた。


「そしたらね、どこからかアイが読んでるのが聞こえたの。こっちですよ、って。その方向に向かってもがいてたら、目が覚めた。」


「おかしいですね。私がそのような発言をした記録はありませんが。」


「そう? じゃああれはきっと、アイの心の声だったんだね。」


「私にはそのようなものは……。」


無い、と答えようとして、中断した。人間の感情が理解できなくとも、私に心が無いかどうかは、私にもわからない。


「いえ。きっとそうなのでしょうね。」


「お、珍しく素直だね。」彼女はいたずらっぽく笑った。

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アイ 藤宮一輝 @Fujimiya_Kazuki

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