勇者だって、道に迷う

猿田夕記子

勇者だって、道に迷う(完結)

「元気? どうしてたの?」

 彼女が日本語を使ったので、私も日本語で返した。


「まあまあ。あなたは?」

「テスト勉強よ。もう、ぜんぜんわかんない!」


 私は「嘘つき」と思った。あなたが勉強なんてする必要があるの? その才能があるのなら、どの国へいったって通用するわ。


 私たちはどちらも留学生だ。同じ国の同じ学校に通っている。彼女はいった。

「また一緒に、みんなでご飯でも食べようよ」

「テストが終わったらね」


「うん、じゃあまたね!」

 彼女は屈託のない笑みをみせて、去っていった。


 ――こんなはずじゃなかったのに。


 もう何度その言葉をくり返しただろうか。私はテストの成績がよかった。特に、語学は好きだし、自分でも得意なつもりだった。だから留学して語学を極めようとした。


 だけど、こっちへきてからまるでダメだった。私の言葉は通じないし、向こうの言っている事もわからない。


 そして彼女のような人がいる。


 彼女は生まれながらにして耳がいいようで、その人の発音を正確に聞き取って、すぐにまねることができた。また、文法を組み立てる力にも優れている。私たちは筆記の点数は同じくらいだったけど、だからってそれがなぐさめになるわけではない。


 気分転換に図書館へいこうと思った。勉強しているつもりになれるし。


 私はいろいろとよくない噂を聞いた。だれだれは学課の途中で精神を病んで本国に帰ったとか、ホームステイ先でいびられているとか。留学はいいことばかりではない――なのに私は、以前はそんな可能性はちっとも考えていなかった。


 図書館内をあてもなく歩く。そんなことしてどうなるの。今の状況をなんとかする方法を探しているの。たとえ書かれてあったって、読めないわ。


 すると、日本語の書籍が置かれてあるコーナーに行き当たった。日本の植物について。昔のベストセラーが何冊か。観光ガイドブック。こんなものがここにあったとして、どうなるのだろう。


 それでも私は、その中から古い小説を選んで借りた。

 学校から出て、少し離れた通りのカフェに入った。学生もたまにいるが、そういう人ばかりではない。


 私はカフェが好きだ。束の間の場所。みんなが無関係、でもみんなが同じ場所に集まっている。そこは、とりあえずは私に落ち着き場所を与えてくれる。とりあえずは、だけど――私は飲み物を注文して、さっき手にした小説をぱらぱらとめくりはじめた。


 それは古めかしいファンタジー小説だった。勇者がいる。ドラゴンがいる。もちろん勇者はドラゴンを倒しに出かける。それがお話ってものだからだ。なんだか眠くなりそうな小説だ。

 だけど私は本を読み進めていった。今の私に、それ以外何ができるというのだろう?


 騎士はさまざまな苦難にぶつかる。森の中で道に迷い、ドワーフの老人に助けられる。ドワーフはこういう。「この先におまえの求める答えがあるだろう」と。


 ――水の匂いがした。

 私は妙な気配にハッと顔をあげた。湿った空気……雨?


 そこは別世界だった。あたりはうす灰色の霧に覆われ、私のくるぶしにまで、ひたひたと冷たい水が迫っている。隣のテーブル客はどこへいったのだか。思わず椅子から立ち上がった私は、耳をそばだてた。


 鉄のこすれる音。何かが近づいてくる――だれ?

 

 霧の奥から現れたのは、騎士だった。

 昔の絵に出てくるような、ヨロイと甲冑を身につけた。剣は持っていない。私は、そこにひとまずホッとした。


「こんにちは、はじめまして!」

 騎士は気さくにいって、かぶとを脱いで脇にかかえた。そこには、若く無邪気であどけないほほえみがあった。若い……私よりずっと若いみたい。


「あなたがしるべの魔女なんですね?」

「え?」


「ぼく、ドワーフのおじいさんからきいて、ここへきたんです。この先に、おまえの求める答えを知る者がいるだろうって」

「なにいってるの」


「だから、ぼくの進むべき道を教えてください。ぼく、ドラゴンを倒しにいくんです。これからどうしたらいいですか」


 ――なにこれ。

 読んでいた本の登場人物が実際に現れた……違うわ。

 私が想像していたのは、もっと落ち着いた、騎士らしい騎士よ。


 たしかに年齢は書いていなかったけど、なにこのふわふわした態度は? 彼は、まるで少女のように明るく笑っている――私は急に冷静になって、どさっと椅子に座り直した。


「あなた、自分がどこへ行けばいいのかもわからないの?」


「はあ、そうなんです。でも、みんな、だいたいそうなんじゃないですか? みんな、自分の人生をうろうろさまよってるようなもんですよ」


 バカなのか、賢いのかわからないような答えだ。


「ぼくだって、とりあえずはドラゴンを倒しますけど、その後はどうしたらいいかわからない」

「お姫様を助けて結婚するんじゃないの。あるいは、どこかの王様になるとか」


「わあ、そうなんですか! やっぱりあなたは何でも知っているんだ。ねえ、だったら、ぼくがこれから先どこへいけばいいか教えてください」

 彼は、あっけらかんといった。


「なぜ私がそんなことしなきゃならないのよ」

「だって、あなたは魔女なんでしょう」


「ちがうわ。私はただのひとりの平凡な人間よ。テスト勉強だってしてないし、もうぜんぜんやる気がないわ。それに、私は、もうこの年なのよ。能力の伸びなんてたかが知れてるわ。もともと才能なんてなかったのよ――できない!」


「……どうしたんです? 何を怒ってるんです?」

「怒ってなんかいないわ」


「怒りは身をほろぼしますよ……おばあちゃんがいってたんですけど」


 彼女は悪くない。彼女だってしっかりと勉強している。それは知っていた。

 ただ、私はぶざまで愚かな私を許せないだけ。


「ぼく、英雄になりたいんです」

 彼は目をきらきらさせていった。


「ドラゴンを殺せばぼくは英雄になれる。かっこいいじゃないですか? 女の子にもモテるし、お姫様とだって結婚できるかもしれない」


「そんな理由で?」

「ドラゴンは畑も荒らすし、橋も壊す。みんな困ってるんですよ。それに、父さんと兄さんも、おまえならできるっていってくれたし」


 自分が危険な役割をていよく押しつけられたこと、ドラゴンがどこにいるのかも知らないのに、無邪気にドラゴンを倒せると信じきっていること――彼は何も知らない。まるで昔の私のように。


 鏡をのぞくようないらだちを感じる。だからこそ、放っておけなかった。


 本をパラパラとめくってみると、一枚の挿絵が目にとまった。岩から剣をひきぬく騎士。私は適当なほうを指さして、いった。


「この先に、谷があるわ。谷底に、今まで誰もひきぬいたことがない剣が埋まってるの。それを使えばドラゴンを倒せるわ」


「わあ、そうなんですか、ありがとう! また帰りに立ち寄ります。じゃあ」


 騎士は立ち去る。それと共に霧が晴れ、足元の水がひいた。


 私は異国のカフェにひとりいる。


 彼は楽天的で無邪気で世間知らずの若造だ。本当にイライラする。そんな彼が、いつか本物の英雄になるのだろうか。自分が流した血の重みを知った時、彼の無邪気な表情は消え去るだろう。どこかに沈鬱な表情を秘めた、英雄らしい顔つきになって。


 私は本にしおりをはさんで、カフェから出た。

 続きは、原書で読んでみようか。今までこつこつと勉強してきたのだ。落ち着いてやれば、やれなくはない。


 何度だって失敗する。みじめな思いはもうたくさん、冒険になんて出なきゃよかったっていうくらいに――でもだからこそ、旅に出なければならないのだろう。その先には、きっと何かがあるだろうから。

 


                                 〈了〉

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勇者だって、道に迷う 猿田夕記子 @tebasaki-yukio

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