琴柱2

増田朋美

琴柱2

その日もなんだか暑い日で秋が近いというのに、そんなものは来ないのではないかと思われる日が続いていた。こんな日は、外出する人も極めてすくないと思われる。でも、杉ちゃんとフックさんは、酒井希望さんの車に乗って、富士市の文化センターに向かっていた。今日は、フックさんの作った琴の交響曲が完成したため、その演奏をどうしても聞いてほしいのだと希望さんに言われたためである。

「本当にありがとうございます。我が邦楽バンド日陽の演奏を聞いてくださるなんて。」

希望さんは、文化センターの駐車場で、車を止めながら言った。

「いいですけどね、ですがこんな暑い中、良く人が集まりましたね。」

フックさんは思わずそう言ってしまった。

「そうしないと、文化センターの部屋を借りれないからでしょ?」

杉ちゃんという人は、すぐに失礼な事を言ってしまうくせがあった。もちろん、言ってはいけない事もあるけれど、それは正しく事実でもあった。普段の日は、合唱などのグループに、部屋を取られてしまうからである。

「まあ、細かいことは気にしない。リハーサル室だっけ?それでも部屋を借りれるだけ良かったじゃないか。とりあえず行こうぜ。」

杉ちゃんとフックさんは、希望さんの案内で、リハーサル室へ言った。希望さんの説明では、25人のメンバーが居るということであったが、リハーサル室はオーケストラも収容できるため、べらぼうに広い部屋であった。でも、琴というものは、大きな楽器なので、このくらい広い会場が必要なのであった。

「きましたよ。今日は、影山杉三さんと、植松淳先生に、演奏を聞いてもらうことになりました。皆さん、気合を入れて演奏しましょうね。」

希望さんがそう言うと、メンバーさんは、みんな立ち上がってよろしくお願いしますと挨拶した。確かに25人のメンバーがいた。バンド名は、日陽、琴が15名、尺八が10名のバンドである。琴の何流に属しているかは、つけている爪の形に注目すればわかる。山田流の人は尖った爪を付けており、生田流の人は四角い爪を付けている。その他、楽器の大きさでわかるという人も居るが、これは初心者には見分けるのが難しい。琴のメンバーの中には、中低音を担当する十七絃という楽器を演奏するものが3名、エレキベースの絃をつけてコントラバスのような音を出すベース箏と呼ばれる楽器を演奏するものが2名いた。ちなみに十七絃は生田流、ベース箏は、山田流の奏者が現代になって発明したものである。さらに尺八の方は、琴古流、都山流、上田流、明暗流などあるが、このバンドに所属しているのは、琴古流と都山流に絞られているようである。人数は琴古流が5人、都山流が5人いるという。希望さんは、メンバーさん一人ひとりに、簡単に自己紹介させた。年齢は60歳から80歳の間に収まっている人が多いが、中には30代くらいの若い人もいた。みんな有名な先生に師事したことはなく、自己流でやっている人達であった。中には、師事した人もあるようであるが、職格者の資格を持っている人は誰もいなかった。

「とりあえず、演奏を聞かせてもらおうか。交響曲とやらを聞かせてもらうぜ。」

杉ちゃんが腕組みをしてそう言うと、酒井希望さんは、指揮棒を手にして、

「それでは、邦楽器のための交響曲第一番を上演いたします。」

と言ってタクトを振り始めた。箏奏者は爪をことにかけ、尺八奏者は尺八を吹き始めた。確かに基本的には、生田流にメロディを取ってもらっていて、ときに、生田流の十七絃にソロをもたせるなど工夫がされていて、あくまでも高音域の山田流は、オブリガード的な役割か、ベースに専念するようになっている。そこは確かに、日本の伝統を守っているが、面白みがないと言えばそれまでである。

「うーんそうだねえ。せっかく、琴や尺八が集まっているわけだからさあ。もう少し、技術的にうまくなると良いと思うぞ。せっかくいい曲書いてもらっても、これではもったいない。」

演奏が終わると杉ちゃんは、正直に感想を言った。

「どなたか、職格者並の人がいて、その人が引っ張るような形にしていくと良いのではないかと思いますけどね。」

フックさんがそう言うと、

「いやそれは無理です。以前、そういう師範免許を持っている方が来てくれた事もありましたが、その人の師匠という方が乗り込んできましてね。こんなバンドに、うちの生徒を入れるのは言語道断と怒鳴っていかれました。だから、そういう人をこのバンドに入れることはできないんですよ。」

と希望さんが言った。

「つまるところ、偏見との戦いか。」

杉ちゃんは大きなため息を付いた。

「まあ、そういうことになりますね。ですがこんなふうに、琴や尺八を合奏させるというのは前例が無いでしょうし、そのように、偏見の目で見られるというのはつらいですね。それよりも、理解してくれる人のほうが少ないですよね?」

フックさんは、とても現実的な事を言った。

「でも曲はすごいのをやってるんだし、誰か上手い人がいれば、すごい演奏になると思うんだけどなあ。」

と、杉ちゃんがいった。

「そもそもなぜ、みなさんはこのバンドに入ろうと思われたのですか?」

フックさんがそう言うと、

「あたしは、生田流の社中に通っていたんですけど、山田流の先生の演奏会を聞きに言ったことが原因で、追放されてしまいました。」

と琴の奏者が言った。

「私は、山田流の教室へ通っていましたが、先生がもう高齢で入門して一年後になくなってしまいました。それで後任の先生を見つけられなかったので、このバンドに入りました。」

山田流の琴奏者が言った。

「僕は大学のサークルで尺八を吹いていましたが、卒業して地元に帰っても、都山流の尺八は習えなかったので、こちらにきました。地元の尺八の先生って、琴古流ばっかりなんですよね。なんでかな?」

尺八の奏者が大きなため息を付いた。確かに琴にしろ、尺八にしろ、地元の教室は、大きな流派ばかりに偏ってしまうのが、はっきり言えば差別と言われるかもしれなかった。

「でも私は、琴が好きだし、なんとかして琴を続けたい気持ちはあります。変なバンドに入ってしまったからやめろと言われたこともあったけど、でも琴が嫌になってしまったことはありません。」

はじめの生田流の琴奏者が言った。それを筆頭に、奏者たちは、口々に自分は琴が好き、尺八が好きと繰り返した。

「そうですか。皆さんのその気持を大事にしてくれたらいいですね。確かにお琴教室にしろ尺八教室にしろ、どんどん数が減少してますし、職格者になって、お教室が持てる人になりたがる若い人も減少しています。本当なら、日本の楽器は、日本にしかありません。それに、音楽に触れるのも、西洋音楽の力を借りないと、演奏できなくなっています。それもまた問題だと思いますね。」

フックさんがそう言うと、希望さんがそうですねと小さい声で言った。

「本当はね。職格者がほしくないわけじゃないですよ。先生になれるくらい上手い人であれば、きっと音も取れるでしょうし、リズム感だって十分にあるでしょう。そういう人がいてくれたら、このバンドも発展すると思うんですけど、、、。まあ、それをするには、その人達の師匠に当たる人達が、このバンドに、偏見を持たないことですよね。」

希望さんは、申し訳無さそうに言った。

「そうだよなあ。それに、邦楽を担っているお年寄りたちは、それに、洋楽のことを邦楽をぶっ壊した凶器とみなして敵対する人が多いから。だから、こういうバンドは敵になっちまうんだろうよ。まあ、無理をしないで、頑張ってくれよな。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。

「それで、植松さん、交響曲はこれからも作曲していただけるのでしょうか?」

希望さんが言った。フックさんは、正直に言えばやりたくないという顔をしていたが、それでも無理やり笑顔を作って、

「わかりました、書きます。」

と言った。

一方その頃、製鉄所では。

一人の若い男性が、製鉄所を新規利用希望ということで、ジョチさんと水穂さんと話していた。名前を、米田慶さんという男性は、年は36歳、何でも、仕事はお琴教室で、働いていたという。

「はあ、それでは、お琴教室をやめられて、今はアルバイトで生活してるんですか。」

とジョチさんは驚いた顔でいった。

「でもそれでは生活が大変でしょう?」

水穂さんがそう言うと、

「ええ。まだ親が居るからなんとなるんですけど。お琴やってたときは、資格を取るために、何十万も払いましたし、それに、練習で仕事ができませんでしたので、働いた経験もなくて。それではいけないと思いながらも、どうしても、働けそうなところがなくて。」

米田慶さんはそう答えたのだった。

「そうですか。それではなぜ、この製鉄所に利用を申し込んだのでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい。何か資格を取りたいんですけど、どうしても家ではだらけてしまうので、こちらでなんとかしようと思ったのです。」

と、彼は答えた。

「そうですか。そういう理由で来ている人は何人かいましたので、製鉄所の利用を断ることはありませんよ。しかし、お琴教室にそのままとどまり続けていれば、なにか、実力が得られるはずだと思ったのですが、なぜ、やめてしまったんですか?」

ジョチさんは不思議そうにそういう事を言った。

「そんなこと、もう二度とあの世界には帰りたくありません。あんなところにいたら、僕の神経はずたずたですよ。そんなところに居るのなら、もう新しいところに行きたいですよ。」

慶さんは、辛そうに言った。

「それはどういうことですかね?」

ジョチさんが聞くと、

「ええ。もう師匠が本当に厳しかったんです。だって、一冊でも博信堂の楽譜が無いと、師匠から雷のように怒鳴られるんです。もうあの出版社は廃業して何年になるんだと思いますが、復刊する予定は全然無いみたいで。そういうことなら、何処で手に入れたらいいのですか。楽譜だけではありません。爪や琴柱など、部品もそうです。うちの師匠は、プラスチック製のものは絶対受け入れなかった。本象牙でできたものはすごい高価で、なかなか手に入らなかったんです。」

という答えが帰ってきた。確かに慶さんの言う通りなのであった。大体琴の部品である琴柱などは、本象牙が一番いい音がなる。そして、入手するのは大変難しいものである。最近では安価なプラスチック製があるが、これを受け入れるかどうかは、指導者によるのである。

「そうなんですね。にもかかわらず、着物を着て、巾着を持っているのはどうして何でしょうか?」

水穂さんがそうきくと、

「いや、夏は暑いので、着物の方が涼しいのです。」

と答えが返ってきた。確かに、着物は暑い夏でも涼しいと言うのはよく言われている。それは、袖から風が入ってくることが、大きいのだろう。そういう事で、一度それを知ってしまうと、なかなか洋服に戻りにくいという人も多いのである。

「そうですか。確かに、リサイクル着物とかで、気軽に買えますものね。」

と、水穂さんがそう言うと、

「もったいないことしましたね。多少、困ってしまうことがあってもお琴の道にいたほうが良かったのではないかと思いますよ。確かに、大変かもしれないけど、そのうち、きっと前に出れたんじゃないかな。邦楽は何よりやるものが少ないですから、いつか独立して、お教室を開くことだってできたかもしれない。」

ジョチさんもそのように付け加えた。

「いえ、もうあの世界は戻りたくありません。だって、初伝中伝皆伝と上がる度にお金を取られて、ついには家元への謝礼金とか、そういうのも払わされて、何十万も支払って。もうそういうお金ばっかりかかって、肝心のお琴は何処へって言うときもありましたから。」

「ということは師範免許持ってらっしゃるのですか?」

慶さんは嫌そうに言うと、水穂さんがそう聞いた。

「ええ、一応、準師範まで登第しましたが、それも全く意味がないと思って、そこでお琴教室はもう無理だなと思いました。師範級になったら、余計に博信堂の楽譜で縛られる羽目になるんじゃないかなと思って。」

なるほどそういうことか。確かにそうなのである。師範とかそうなっていくと、お教室を持てるくらいの立場になるので、余計にお稽古してもらうのが厳しくなるのだ。そうなる前に独立してしまう人も多いが、それはある意味師匠から解放されたいという意味もあるのだろう。

「それでは、次の仕事が見つかるといいですね。」

水穂さんが優しくそう言うと、

「ええ。今度は、純粋に、日本文化を好きで、それを広めていくような活動ができるところへ行きたいです。」

と慶さんは言った。日本文化を学びたいとなればお教室へ行くのが一番の近道のように見えるが、現在のお教室はそれから遠ざかってしまっているのかもしれないというのも問題だった。それと同時に、

「ただいまもどりました!今帰ったよ!」

と、杉ちゃんのでかい声がした。水穂さんが、僕迎えに行ってきますと言って、製鉄所の玄関先に行った。

「今戻りました。遅くなってしまってすみません。あのバンドのメンバーさんたちがぜひお茶をして行きたいなんて言うものですから。皆さん、結束力の強い方で、とてもバンド仲がいいのです。」

杉ちゃんと一緒に製鉄所にやってきたフックさんはそう水穂さんに言った。

「今、お客さんというか新規利用希望者さんが見えてるんです。なんでも、以前お琴の社中にいたけど、やめてしまったとか。まあ、彼の話を聞くと、最近のお教室は酷いものですね。」

水穂さんがそう言うと、段差のない玄関から、どんどん製鉄所に入ってしまった杉ちゃんが、

「まあ着付け教室もそうだよな。とにかく、伝統を守ることに必死なんだろうね。お琴も同じかなあ。」

と、でかい声で言った。

「その人は、それに嫌気がさしてお琴教室をやめてしまったそうですけど、何でも準師範まで登第したくらいの実力のある方なんだそうですよ。」

水穂さんがそう言うと、

「準師範!」

フックさんと杉ちゃんは顔を見合わせた。

「そこまで行ったんなら、ぜひ、日陽に入ってもらいたいものですね。きっと演奏技術もあるでしょうから。」

フックさんがそう言うと、水穂さんはこちらにいらしてくださいといった。二人は、そういうことだと思って、応接室へ入った。

「なになに、お前さんは、準師範まで取ったのに、お琴教室をやめてしまったんだって?」

杉ちゃんの言い方は時々ヤクザの親分みたいな言い方になるときがあった。彼はちょっとこわいなと言う感じで杉ちゃんを見たが、

「大丈夫です。この人は何も怖い人ではありません。歩けないし、いつも黒大島の着物ばかり着ていますが、全く怖い人では無いのです。」

と、ジョチさんが説明した。

「ええ、そうですが、先程も言った通りお琴の世界はもう懲り懲りです。二度と戻る気はありません。」

彼が言うと、

「実はですね、邦楽バンド日陽というバンドがありましてですね。そこでは流派も会派も関係なく、琴や尺八を使って、西洋音楽のような音楽をやっているようなバンドなんです。そこの演奏を今聞かせてもらったんですが、ぜひそこでは貴男のような演奏技術のある方を是非欲しいと言っておりました。どうでしょう。お琴を諦めないで、このバンドで活躍してみませんか?」

とフックさんが説明した。

「邦楽バンド日陽。僕の師匠が絶対に関わってはいけないと言っていたバンドでした。」

慶さんは驚いた顔で言った。

「ええ、そうなんですよ。きっと邦楽家の方には嫌われる形態のバンドでしょうね。でも、そのバンドのメンバーの方に話を聞いてみた所、やはり貴男のようにお琴が好きでも師匠の厳しい指導に耐えられず、やめてしまった方もいらっしゃいました。」

「そうそう。例えば、他の流派と交流を持ったことで強制退会させられたとかな。」

フックさんが説明すると、杉ちゃんもすぐにそれに付け加えた。

「でも新しいバンドに入るには会派やそういうものもあり、難しいのではないでしょうか。お琴は、同じ楽器でも、流派会派で非常に絞られる楽器ですから。」

慶さんは、困った顔になった。

「いや、そういう事もありますが、それは作曲家である僕も一緒ですよ。そのバンドの依頼で、お琴の交響曲を書かされましたが、それも生田流に花をもさせるような感じでかけと厳しい条件を出されてしまいました。邦楽をやるのであれば、そういうところは、我慢しないと行けないのではないでしょうか。それを邦楽バンド日陽は、越えようとしているのかもしれません。だから一緒にやってみませんか?」

フックさんはそう慶さんに言った。しばらく沈黙が流れたが、水穂さんが大変優しい顔になって、

「準師範まで取ったのですもの。お琴の神様が見捨てるわけがないじゃないですか。そんなこと、簡単にできることじゃありません。それにそうなるための厳しい指導にも耐えてこられたのだから、きっと貴男はこれからもお琴と一緒に生きていけるのではないでしょうか。」

と、言ってくれた。米田慶さんは、そうですねと小さい声で言って、

「わかりました。それでは、ほんの少しだけでもお琴にまた戻ってみます。ただし今度はお金のこととか、そういうことばかり求められるのではなくて、ちゃんとお琴が好きで、しっかりやりたいと考えている仲間に出会いたいです。」

と言った。

「大丈夫ですよ。そういうことなら、邦楽バンド日陽のメンバーさんもきっと同じ気持ちだと思います。みんな、邦楽を愛しているから集まるのではないですか?もし、そうでなかったら、西洋音楽の力を借りるということはしないと思いますよ。」

と水穂さんが優しく言った。確かにそうかも知れなかった。邦楽というのは、もう日本中で当たり前になっている西洋音楽の力を借りるのが必要なのだ。それがわかっている人こそ、本当に邦楽を愛しているのかもしれなかった。


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琴柱2 増田朋美 @masubuchi4996

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