裁判官、夫への溺愛が不足するのには理由があるのです!

ただ巻き芳賀

短編 裁判官、夫への溺愛が不足するのには理由があるのです!

※魔法が存在する異世界の、とある国での裁判です。

※地球上の法律、裁判形式とは関係がありません。



「裁判官、私は悪くないんです!」

「被告のアンバー・フォーレさん。事情を説明してください。なぜ義務の溺愛ができていないのかを」


 私、アンバーは法廷にいた。

 動揺して自分は悪くないと訴えるも、裁判官は冷静に事情説明を要求してくる。

 夫のランクスは不本意ながらも原告側の席にいて、私と裁判官のやり取りを心配そうに見つめている。


「裁判官、アンバーは……妻は悪くないのです」

「原告のランクス・フォーレさんは発言を控えてください。いまは被告のアンバー・フォーレさんに質問しています」


 原告側の夫ランクスも被告側の私アンバーも、互いに争う気がないのだ。

 でも結婚での取り決めを契約魔法にして裁判所に登録したために、こんなことになっている。

 契約魔法を裁判所に登録した場合、契約をなかったことにする『解除』ができない法律があるのだ。

 たとえ、互いに『契約解除』の合意をしてもだ。

 その理由は弱者を守るため。


 この国は酷い身分社会で、権力や財力が何においても影響する。

 そのため弱者と強者が契約すると、強者の圧力で無理な『契約解除』を要求されることも多い。

 そんな場合でも『契約解除』できないように、弱い立場の人を守る仕組みが作られた。

 契約魔法の裁判所登録はそうして生まれたもので、今回は逆にそれが障害となってしまった。


 もちろん夫が弁護士を探してくれたが、どこの事務所に相談しても断られてしまった。

 今回の裁判は異例中の異例で、当てはまる法律もなければ判例もない特殊なもの。

 どの弁護士も解決の糸口が見えないと言うのだ。


「本件はこの裁判所に事前登録された契約です。すでに契約魔法の効力で、アンバー・フォーレさんの債務不履行さいむふりこうが明らかにされていて、議論の余地がありません」

「え、でも……」


「この法廷ではなぜ義務を果たせなかったのか、なぜ債務不履行さいむふりこうとなったのか、その理由を主張してください」

「主張が認められたらどうなるんですか?」


「やむを得ない事情がある場合は、契約違反に対する取り決めを実行しないものとして判決します」

「それって、離婚しないですむってことですよね」


 私は夫のランクスと結婚する際に契約を交わした。

 互いに義務を負う約束をしたのだ。


 私の実家は隣国の男爵家。

 今にも取り潰しになりそうな貧乏貴族だ。

 国家主催の夜会に壁の花として出席したとき、たまたまこの国から来ていた夫のランクスと出会った。

 彼は私を気に入ってくれて、なんと結婚を前提に交際を申し込んでくれたのだ。


 ランクスは若くして伯爵家の当主。

 しかもエリート外交官僚で、当時は貿易の取り決めをするために、私の母国を訪れていた。

 栗色の髪に凛々しい顔、身体の線は細いけど背が高く知的で、街を歩けば見惚れる女性がいるくらい魅力的な男性だ。


 そんな素敵なランクスは、なんと貧乏な私を花嫁として迎えるだけでなく、実家の支援まで申し出てくれた。

 とてもありがたかったけど、同時に非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 それを正直に打ち明けたら、負担に感じる部分が少しでも軽くなるようにと、私の責任としてある仕事をするように提案してくれた。


 提案された私の仕事。

 それは、ランクスを溺愛すること。


 最初は仕事の内容に面食らったけど、彼は寂しい幼少期を過ごしたそうで、愛情を欲していると聞いた。

 それならば、全力でいっぱいの愛情をランクスにそそいであげたいと思った。

 そもそも私は、初めから彼を愛情で包むつもりでいた訳で。

 なので、夫への溺愛を私の仕事にするという彼の提案を受け入れたのだ。


 契約魔法には、夫からの実家支援と私の溺愛という仕事を互いの義務として次のように定めた。


 彼の義務は、私の実家の支援をすること。

 私の義務は、彼を溺愛すること。


 さらにランクスは私を気遣って、この約束を契約魔法にして裁判所に登録した。

 私の実家の支援を将来まで確実なものにして、安心させてくれたのだ。


 ところがだ。

 私はいま、裁判所に呼び出されて法廷にいる。

 義務であるランクスへの溺愛がされていないと判定されて、事情を聞かれているのだ。


「ですから、私は夫のランクスを愛していますし、愛情もそそいでいます」

「アンバー・フォーレさん。もう一度説明しますが、契約魔法の効力が働いて、義務である『溺愛』が果たせていないと判定されています。この事実認定は、魔法による判定なので争う余地はないのです」


 契約魔法の効力で判定しているため、事実認定は争えないというのだ。

 そんなことってありえるのか。

 私は確かにランクスへ愛情をそそいでいたし、夫のランクスもこの場でそう主張している。

 契約するときは、まさかこんな事態になるなんて思ってもみなかった。


 この契約は、正当な理由なく義務が果たされなければ、離婚するという条件になっている。

 このままでは、離婚が成立してしまう。

 この国の法律では、一度離婚した相手と再婚することができない。

 ランクスとの離婚が成立すれば、もう二度と彼の妻になることは叶わないのだ。


 そんなことは絶対に嫌。

 だって私は、ランクスのことを誰よりも愛しているから。


「離婚なんてしたくない。私はランクスが大好きで、もう実家への支援があろうとなかろうと、ずっと彼と一緒にいたいんです」

「私も妻を愛している。離婚は微塵も考えていない」


 私たちの気持ちを裁判官に伝えると、こちらを見てうなずいてくれた。


「私ども裁判所も、当事者が望まない結末にはしたくありません」

「なら!」


「ですから、アンバー・フォーレさんが義務を果たせなかった正当な理由が知りたいのです」

「正当な理由……」


「あなたはどうしてランクス・フォーレさんを溺愛できなかったのですか?」

「理由を聞かれても、そもそも愛情はそそいでいたんで、何と答えていいのか分からないです」


「では質問を変えます。あなたは愛情をそそがれていたかもしれませんが、それは溺愛のレベルに達していましたか?」

「え? レベル?」


 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 単なる愛情では足らないということらしい。

 そもそも契約の義務に溺愛と定めたのは、結婚してそそぐ愛情をさらに上乗せして、責任のある仕事という位置づけにするため。


 あらためて自問自答する。

 私はランクスに対して、溺愛と言えるほどの行動をしていたか。

 否。

 できていない。

 彼を愛しているし、愛情を持って接している。

 でも、溺愛と言うほどの行動はできていない。



 だけど、溺愛と判定されるほどの愛情表現ができていないのには、はっきりとした理由がある。


「裁判官、夫への溺愛が不足なのには理由があるのです!」

「ではその理由を教えてください」


「それは、彼の溺愛が過ぎるからです」

「……え? はい?」


「ですから、彼の溺愛が過ぎるために私が溺愛できないのです」

「あの、言っている意味がよく分からないです」


 裁判官が首をかしげている。

 この反応は仕方がないと思う。

 私だって逆の立場なら、意味が分からずに聞き返すだろう。


「裁判官、私がすべき義務、妻としての仕事は夫を溺愛することです。でも上手くできないのは、いつも夫が先手を打つからなんです」

「先手……ですか」


 この先を説明するなら、それは私たち夫婦にとって大変な羞恥をともなうもの。

 妻の私は、夫に自分がどれだけ溺愛されているかを他人に説明するという、ある意味で公開羞恥。

 夫ランクスはというと、妻である私の口から日々自分がした溺愛攻めの数々を他人へ暴露され、しかもその場で聞いていなければならないという拷問。


 しかし、夫が溺愛の先手を打つと端的に伝えても、まだ裁判官には意味が分からないようなので仕方なく説明を加える。


「溺愛とは『むやみやたらに可愛がること』だと契約書にも定義していますが、そう言えるほどの愛情表現とは、非常に過度な行動のことだと思うんです」

「溺愛の定義はそれでいいと思います」


「出がけにちょっとキスするとかだけでは、とても溺愛とはいえないでしょう」

「それ単体では、溺愛には足らないかもしれません」


「裁判官は溺愛、つまり『むやみやたらに可愛がる』ことをお互いが同時にできると思われますか?」

「同時には無理なんですか?」


「単なる愛情表現。キスや愛の言葉程度なら互いに言い合えるでしょう。でも、相手が溺愛と言う過度な愛情表現をしているとき、されている方は必然的に受け身にならざるを得ないんです。たとえば……」


 私は覚悟を決めて語気を強める。

 もう恥や外聞など知らない。

 ランクスと離婚にならないですむなら、なんだって言う。


「たとえば私がお茶会に行くと言えば、夫は出席者だけでなく相手先の家族や使用人に至るまで調べてくれ、情報を私に教えて気遣ってくれます。行きも帰りも送り迎えは当然のように夫がエスコート。馬車の中では私をひざに座らせて手を握り、顔や胸元、手や脚にまでキスされ続けます。キスされていないときは、口を開けば好きだ愛していると愛を語られ、美しい可愛いと褒めたたえられます。私が不満を言えば、耳をかたむけて何でも肯定してくれます」

「……凄い。ま、まさに溺愛ですね」


「そんな状況でですよ? 私が溺愛されまくるそんな状況で、相手を溺愛できる隙があると思いますか?」

「お互いに溺愛……そう言われると難しそうですね。でも、いまのはお茶会に行く一例です。ほかのタイミングなら、あなたからの溺愛ができたのでは?」


「……はあ。ほかのタイミングですか。では、日々続く溺愛がどれほどのものなのか、これから説明しますから」


 私は生唾を飲む裁判官に向けて、毎日毎日朝から晩まで続く夫からの溺愛攻めを丁寧に説明し始めた。



「……時間をかけてひと口ずつ食べさせてもらい、やっと夕食が終わったら、次は湯浴みになります。普通ならメイドに準備をしてもらって自分で洗うのですけど、ここでも当たり前のように夫と一緒です。身体を洗うのにタオルでは肌を傷めるからと、直接夫の手の平で念入りに洗われます。それはもう、身体中のすみずみまで丁寧に。新婚のころはよくこの段階で、私が限界に達してとろけていました。湯浴みが終われば夫が香油を塗ってくれ、下着も着けてくれます。どうせこのあと寝室に行ったら脱がすのに、丁寧にフィッティングしてナイトドレスも着せてくれるんですよ。そして横に抱えられ、寝室に連れて行かれた私は、ベッドへ寝かされて身体中にキスされます。じらされて私が待ちきれなくなったころに、ゆっくり下着を脱がされ――」


「も、もう説明はいいです! 十分ですから!」

「まだ一日目の夜までしか話せていませんけど」


「いや、もういいです! 一時間も溺愛話をされたら、聞いている方だって恥ずかしくて耐えられません! ああ、お砂糖吐きそう。甘すぎて虫歯になります」

「裁判官が聞いたんじゃないですかっ!」


 恥ずかしいのを我慢して説明したのにと憤慨すると、頬を赤くした裁判官は「すいません」小声で謝ってから話を続ける。


「と、とにかくです。溺愛しようにも常に先手を打たれて、いつもあなたが溺愛される側になってしまう、というあなたの主張は十分に分かりました」


「よかったです!」


 私は説明をちゃんとできたと大きく息を吐いた。

 裁判官は背筋を伸ばすと、今度は夫の方を見る。


「原告のランクス・フォーレさん。あなたはたった一日足らずでこれほどに溺愛したということですが、彼女の主張に間違いはありませんか?」

「え? あ、いや、その……」


 夫は言いよどんで沈黙したあと、観念したのか小さく「はい」と答えた。


 私はとうに羞恥を通り越し、説明という体裁で夫からの愛され自慢をしまくったけど、急に事実関係を聞かれた夫は耳まで真っ赤になった。


(可愛い人だわ。普段はあんなに私を溺愛するのに、逆にそれを言われると恥ずかしそうにするなんて)


「判決は追って出しますが、今回の争いは、原告の事情にともなう被告の無過失が明白なので、契約魔法で定めた離婚の条件は満たしていないと判旨はんしされるでしょう」

「え、それってどうなるのでしょうか?」


「判決前なのではっきり言えませんが、離婚することなく今後もあなたは溺愛されると言うことです」

「嬉しい! ありがとうございます」

「ありがとうございます! 愛するアンバーと仲良くします!」


「ただし!」


 円満な解決に和気あいあいとする雰囲気の中で、裁判官の声のトーンが低くなる。


「また、同じ争いについて裁判することになっては困ります。一時間も他人の溺愛話を聞き続けるのは大変ですからね。だから、約束してください。ランクス・フォーレさんは奥様への溺愛をほどほどにすること。アンバー・フォーレさんは旦那様をきちんと溺愛してください。いいですね?」


 裁判官は至って真面目に、でもかなり疲れた様子で私たちに要求した。


 この反応は至極当然だと思う。

 ラブラブ夫婦の溺愛事情を延々と聞かされたあげく、最後はどのように溺愛をするかまでアドバイスするハメになったのだ。

 裁判するのが仕事とはいえ、裁判官の気持ちを考えるといたたまれなかった。

 自分の仕事と決めた溺愛が不十分なせいで、裁判になってしまったのだから。

 私と夫は、とても申し訳ない思いで裁判官の言葉を聞き、素直にうなずいたのだった。



 翌月、裁判官の示唆とおりに判決が出されて、私も夫も一安心した。


 想定外だったのは、この判決が世間で非常に注目されたことだ。

 溺愛についての判決はいくつかあるが、どの程度の行動から溺愛と言えるかや、一対一での同時溺愛行為が状況によっては困難であるなど、溺愛にここまで踏み込んで判決理由が示されたのは画期的らしい。

 ついには法曹界で『溺愛債務不履行事件できあいさいむふりこうじけん』と呼ばれ、私たちへの判決が溺愛に関する重要判例にされてしまった。


 しかも、判決文には判決の根拠となる理由、私の話したランクスの溺愛攻めが事細かに記載された。

 私からすれば、どれだけ夫に愛されているかを世間に自慢したようなものだが、ランクスは職場で相当からかわれたらしい。

 プライベートな部分は判決文に書かないよう、法律が変わって欲しいと願うばかりだ。


 朝になり彼の腕枕で目を覚ますと、ランクスはすでに起きていて目が合う。


「ごめんなさい、あなた。裁判のせいで注目されて街を歩けなくなってしまって」

「そんなことは構わないよ。今日もアンバーを愛せるだけで十分に幸せだから」


 私は微笑むランクスにキスをせがんでから、彼の胸に顔をうずめる。


「あなたに愛されて幸せ。でも今からはじっとして、私にされるがままでいてね。昨晩の私の溺愛は少し足らなかったと思うの。また裁判になっては困るから」

「ダメだよ、アンバー。溺愛は交互にって決めただろう。さあ、次はこちらの番だ。これから時間をかけてたっぷり君を愛するから覚悟してもらうぞ」


 彼はそう言って下着姿の私を強く抱きしめたあと、背中にまわした手でブラジャーのホックを外したのだった。


 了



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