後日談

ディジェステイフ

 太陽が一杯な沙漠に一日中放り出されて生きたまま干物になりかけた経験のある僕は、椎茸の次に青空と太陽が何よりも嫌いだ。


 しかしだからといって、反対に雨が好きかと問われると、実はあまり好きではなかった。


 雨音は、悪くない。

 けれど濡れるのは、御免被りたい。


 親と咲龗子の反対を押し切って大学を辞め、ある程度自分自身で予定を決められるフリィダムな職に就いて一番良かった事は、雨の日に引き籠もって居られる事であった。


 雨の日は定休日。

 猫と一緒である。


 しかし、雨の日に街角でズブ濡れになって気まずそうにこっちを見る濡れ猫に出遭うように、たまには僕も計算が外れて情けない濡れ犬と化す事がある。滅多にない事であるが、今日がそれであった。


「・・・・・・雨の日は、外に出たくないんだけどな」

「何でよ?」

「濡れるから」

「じゃあ、良かったじゃない」


 隣で座り板チョコの銀紙を剥く咲龗子は、ニコリともせずに言う。


「濡れない車内なんだから」

「確かに」


 僕は、ちらりと後部座席に視線を送る。

 誰も居ない後部座席に、魔法の鞄が一つ。


運転手パシリじゃ、なければね」

「仕方がないでしょう。足を引っ張らず命を狙わない運転手は、今アンタしか居ないんだから」


 どれだけ疑心暗鬼なんだよ。

 独裁者か、お前は。


「ああ・・・・・・そういえば、独裁者だったか」

「何か言った?」

若葉マークビギナーだから、気を付けた方が良いって言ったのさ」


 左を向くと、剣呑な視線と目が合った。

 聞こえていたらしい。


「ごちゃごちゃ言ってないで、報酬分はきちんと働きなさい。そもそも、今度の自転車はわたしが壊したんじゃなくて、アンタが自分で壊したんだから、わたしが新しいのを買う必要ないんだからね」

「自転車じゃなくてクロスバイク」


 嘆息しながら、僕は答える。

 コイツは絶対、家庭用ゲーム機を全て〝ファミコン〟と言わねばならぬ宗教に入っている人間に違いない。


「・・・・・・でも、まあ良かったじゃないか。先月の一件、全部なかった事になったんだから。立川署だってない事件を叩けないし、僕らが破壊した研究所跡地の弁済費用も、によって振り込まれていたらしから、十全とはいかないまでも、お前の目的は取りあえず達成されたんじゃないのか? そこまで機嫌悪く――」

「達成なんか、まったくされていないわよ」


 銛を突くような、声音。


「この機に乗じて、立川署の奴らと反乱分子共に全部責任を擦り付けようと思ったのに、色々な政治的事情により全てが台無し。どれだけの金額が、ドブに消えたと思ってる訳?」


 やっぱ、そんな事考えていたのか。

 黒いな、色々と。


「ただ、この一件で国から国立市うちへの補助金が出た事は大きいわね。恐らく、国にとって有事の際の良いデモンストレーションになったんでしょ。おかげで、監視体制の強化が出来たわ。これで少なくとも、警察署がぶっ壊される事はなくなるでしょう。でも――」


 区切る。


「十七人」

「何の数?」

「今回の一件で、犠牲になった署員の数よ。中には、わたしの味方も沢山居た。いずれ欠けた人員は補充されるとしても、それがわたしの味方になるかは分からない。失った手駒の事を加味すると、プラマイゼロどころかマイナスよ」


 それに、と彼女は僕の被る中折れ帽へ視線を向ける。


「アンタの・・・・・・身体を――」

「全然直らないんだよね、


 僕は、中折れ帽を上へ少しずらす。

 額の左右に浮かぶ、クレーターのような窪み。


「腕とか翼は何日かしたら元に戻ったんだけれど、この角痕だけは消えてくれなかった。今は前髪と帽子で隠せるけれど、将来剥げたらどうしようかな」

「ニキビ跡か、何かみたいに――」

って意味では、角もニキビとそう変わらないよ」


 ウィンカーを出してから、僅かにブレーキペダルを踏んでハンドルを右に切る。


「別に身体に異常が出たって訳でも無いし、このまま放って置いても平気だろ。万が一異常出たら、その時はその時さ」

「その時って、やっぱりさ――」

「いや、胸にロゴの入ったタイツの特注。スーツを着こなせるように、毎日身体もちゃんと鍛えてる」

「・・・・・・適当ね、心配して損した。馬鹿」

「良いんだよ、適当で」


 そのぐらいの気持ちで居なければ、身体より先に精神がどうにかなってしまう。

 気にしない事が、一番だ。


「ああ・・・・・・そういえば、言いそびれていたな。お守り、有り難う。凄い御利益だった」

「当然よ。サイボーグ対策に作られた銃弾だから」


 ドアに頬杖を突き、チョコレートを囓りながら窓に打ち付ける雨粒を数えながら咲龗子は言う。


「――対サイボーグ用試作偽装ダムダム弾、能ある猛禽アウル・クロウ


 宣するように、銃弾の名を告げる咲龗子。


「ヘキサカーボンや特殊合金など、弾丸の威力を減退させる性質のある素材に命中すると、射出された弾丸のキャップが変質し形状を鋭利にさせて貫通する特殊弾。弾には予め切り込みが入ってるから、食い込んだ体内で四散しサイボーグを内側から破壊出来る。アレを一発でも喰らえば、立っていられるサイボーグは僅かでしょうね」

「そんなとんでもない銃弾だったのか、アレ」


 半笑いで、僕はアクセルを踏む。

 フロント硝子の雨粒が、ワイパーに捕まる前に上へ逃げていった。


「立川署みたいな特例を除き、銃刀法が改正されて銃社会になったのに、相変わらず許可がないとマシンガンはおろかライフルさえ満足に使用が出来ない警察われわれの為に開発された破魔の銀弾シルヴァー・ブレッド。問題は単価コストが非常に高い事ね。一発四千円は幾ら何でも高すぎるわ。足下見られすぎよ、ったく」

「そりゃ高い」


 停止線でストップ。左右を確認してから、再びアクセルを踏んだ。


「四千円あれば、かなり美味しい肉が食べられるのに」

「相変わらず食い意地張ってるわね、アンタ」


 嘆息。


「でも、四千円でサイボーグと渡り合えるなら安いもんよ。チタンフレームとカーボン・セルロイドで脳髄を鎧い、人間より優秀な種族になったと勘違いしている馬鹿共に、人間様の恐ろしさを叩き込んでやるわ。奴らが徒党を組んで人間様に反乱を起こしても無駄だって、機械に埋もれた脳髄に教え込む為にね」

「人間とサイボーグの戦争・・・・・・か」


 思えば、あの砂男リヴィング・サウンドの能力もそれを意識したものだったのかもしれない。敵サイボーグを乗っ取り意のままに操る能力は、間違いなくサイボーグにとって脅威となる。べい・・・・・・親切な誰かが奴の残骸を回収したのも、単に技術流出を防ぐ為だけではないだろう。


 近い将来、互いの生存権を賭けて間違いなくサイボーグと人間は殺し合う。でもきっとサイボーグと戦う〝人間〟は、カプセルの中に押し込められた脳髄ひとじちなんだろうと、僕は思った。


 いや、そもそもサイボーグも――


「・・・・・・そういえばあの時、かしずいたんだよな」

「誰が?」

砂男リヴィング・サウンドの能力で操られた警備用サイボーグ達さ。僕が放った能ある猛禽アウル・クロウによって、奴の軀は完全に破壊されて能力が使えなかった筈なのに、警備用サイボーグ達は自分の仲間の軀を乗っ取った奴に対して王様を崇めるみたいに傅いていた。何故だろう?」

「見間違いでしょ」

「そんな筈、有るかよ。銃だって奴に手渡したんだぜ?」

「見間違いよ。それか、誤作動ね」


 興味なさげに言い放つと、再び咲龗子はチョコレートを囓り窓に打ち付ける雨粒を数える作業に戻っていった。


 沈黙。

 聞こえるのは雨音混じりのエンジン音と、カーラジオから聞こえてくる名前も知らぬ洋楽。


「――あの・・・・・・いけ好かない年増にね、わたしがアンタを傭兵に・・・・・・怪物に変えたって言われた」


 ぽつりと、初めからこの話題を切り出すのを見計らっていたように、僕に顔を向けず咲龗子は言った。


「初めは腹が立ったけれど、何度も考えて・・・・・・やっぱりわたしが、アンタを怪物に変えたんだと思った。あの時、あの組事務所でわたしがアンタを見つけてこっちへ誘わなければ、きちんと大学を卒業してもっと別な生き方が出来たんじゃないかって・・・・・・」

「それは無理だよ」


 赤信号。

 シフトレバーをニュートラルへ。


「警察の厄介になった大学生なんか、普通に考えて退学に決まっているじゃないか」

「それは、わたしが揉み消して――」

「有り難う。おかげで、両親は僕の悪行を知らない。それだけで、僕は十分だよ」


 それにね、と青信号と同時にニュートラルからドライブへ移しながら僕は言った。


「探偵は事件へ楔を打ち込む者――――あの日、お前がそう言ってくれたから、僕は探偵を目指したんだ。でもそれは、きっかけに過ぎない。探偵になると決めたのは僕。別にお前が、僕を怪物に変えた訳ではないさ」


 平和に暮らす人達を眺めるのが苦痛だった。

 平和に入り込めず右往左往するのが厭だった。

 何より、平和の中で一人生き恥を晒し続ける自分が赦せなかった。



 ――その力で、このまち探偵ヒーローになってみない?



 そんな僕に手を差し伸べてくれたお前を、僕は責める事など出来はしない。

 お前は、僕の精神いのちの恩人なのだから。


「しかし・・・・・・傭兵か。傭兵探偵なんて、なかなか格好いいじゃないか。ついでに飛行機のライセンスでも取ろうかな、フランスで」

「マンガに影響され過ぎ、馬鹿ッ! こっちは真面目な話を――」

「僕にエリア88貸したのはお前だろ?」

「あれは、その・・・・・・どうせなら、好きな漫画を一緒に語り合いたいとか・・・・・・えと――」

「やっぱりお前、友達居ないだろう・・・・・・」


 ハンドルを左に切る。

 見えてきた、見慣れた商店街。


「・・・・・・それより、結局どうするんだ? 彼女」

「どうするもこうするも、仕方ないじゃない。分類としては遺失物だけれど、女社長の話だと屋敷はとっくの昔に荒れ果てて、所有者すら分からない・・・・・・でもだからといって、いつまでも署に置いておけないでしょ」

「置いておけないからってお前の自宅に連れて行ったら、一日どころか一時間持たなかったもんな・・・・・・」


 ワイパーがフロントガラスを拭うと、僕が二階に居を構える八百屋が姿を現した。

 緑色のシャッター前に、赤い傘を差して佇む白い少女。


「五月蠅いッ! それは全部あのが――」

「着いたぞ」

「ブッ!」


 急ブレーキ。

 ブレーキペダルを踏んだまま、シフトレバーをパーキングへ移動させ、ハンドブレーキを引いた。


「アンタ、わざとやったでしょッ!?」

「だから言ったろ、若葉マークビギナーだって。まだブレーキの加減、慣れていないんだよ」


 嘘だけど。

 僕は額を両手で押さえ文句を宣う咲龗子を尻目に、シートベルトを外してドアを開けた。


「ただいま、カタリナ」

「お帰りなさいませ」


 律儀な角度で頭を垂れる、自動人形オートマタ

 自分が濡れる事も厭わず細い白い手から差し出された赤い傘が、車を降りた僕へ降る雨粒を遮った。


「ドライブ、楽しかったですか?」

「仕事じゃなくて、尚且つ自分で運転しなければね。あと、車内に灰皿がないのも最悪だ。場所を選ばず、自由に煙草が吸える君の時代が羨ましい」


 笑い、僕は窪んだ額が見える中折れ帽を被り直して傘を受け取った。

 しかし似合わないな。パトカーに若葉マークってのは。


「今度、一緒に立川の映画館に行こう。3D映画、まだ見ていないだろ? 昔と違って眼鏡を付けなくても立体に見えるんだ」

「いいですね。ちなみに、初めて見る3D映画はジョーズと決めてるんです。あの映画を見た時から、ずっと」


 王冠に似た撥条ぜんまい状の髪飾りを廻し、はにかむように笑う。

 その笑顔が、僕には作り物には思えなかった。


「・・・・・・単なる運転手には傘を差し出して、わたしには何も無い訳? 骨董呪詛人形」

「ああ、居たんですか。あまりにも見窄らしい格好だったので、わたしはてっきりモップが歩いているのかと」


 僕に向けられた声音と真逆の、凍て付く声。

 その声は、木枯らしが吹き荒れるこの師走に妙に似合っていた。


「アンタみたいな付喪神つくもがみと一緒にするな! 今度生意気な口を利いたら、脳みその代わりに入っている歯車を引っこ抜くわよ!?」

「成る程、わたしは神様だったのですか。ならばその不遜な発言、即刻取り消して拝んだ方が宜しいのでは? 神罰が下りますよ」

「残念ながらこの国は八百万の神がいて、アンタみたいに拝まなくてもいい祟り神みたいなのも大勢いるのよ!」

「感心しました。あなたが祟り神を知っているとは。わざわざわたしを罵倒する為に、普段読み慣れぬ辞書を引いたのですか。カカオ豆に犯されたニューロン細胞に、まだ紙を捲る機能が残っていたとは感心です」

「最近はインターネットってのがあるのよ、このガラクタ妖怪――」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 この調子では、当分僕の事務所で預かるのが正解か。

 僕としては人件費が掛からない従業員が入ってくれて助かるが、代償としてこうも毎日喧々囂々けんけんごうごうやられては堪ったものでは無い。

 富士見台分署の皆様も、さぞ大変だった事だろう。


「?」


 途端、足下に強い視線を感じる。

 視線の先には、一匹の灰色掛かったデブ野良猫がいた。洗濯機から命辛々脱出した直後のような姿に僕は哀れみの表情を浮かべるが、猫は「お前よりはマシだよ」と言わんばかりに鼻を鳴らして薬屋のある方角へ短い足で去って行く。


「まあ・・・・・・確かに、マシだよな。自由気ままってのは、楽で良い。好きな時間に寝て起きられる幸福は、何物にも代えがたい幸福だ」


 呟いて猫の後ろ姿を視線で追うと、僕は毛を逆立てて憤る二匹の雌猫に差した傘を傾けた。


「お前等、続きは雨の降っていない部屋の中でやれよ。僕はこれから、この車を富士見台分署へ返しに行くから」


「ちょっとアンタ、わたしの事置いて行く気!?」

「置いて行かれたくなかったら、さっさと乗れよ」


 邪険に言うと、僕はドアを開けて運転席に乗り込んだ。


「じゃあ、わたしはお茶の支度をして待っています」

「いや、お茶はいい」


 シートベルトを締めながら、僕は言う。


「今日は定休日だ。アルコールの方が似合っている」

「それでは、何か軽い物を作っておきましょう」

「クラッカーに、マスタードソースとケチャップ。トッピングは小さく切った六ピースチーズにサラミ」


 一瞬。

 カタリナの目が見開かれ、直ぐに瞼が細められている。

 頬を伝う一筋の雨粒が、彼女に代わって泣いた。


「頼むよ」

「はい、かしこまりました」


 ボタンを押して、窓を閉める。打ち付ける雨によって、彼女の泣き顔がフレスコ画のようにぼやけていく。


 隣では、スマートフォンを両手で操作しながら咲龗子が辞書を閲覧していた。どうやら、カタリナに対抗する為に語彙力を増やしているらしい。その顔は、何処か愉しげだった。


 ハンドブレーキを下げ、シフトレバーをパーキングからドライブへ。ブレーキからアクセルへ脚を変えると、雨を掻き分けるように車は静かに走り出した。


 僕の名前は、潭澤 澪。

 この国立市で探偵業を営んでいる。


 猫ではないが、事務所にまだ名はない。








         The Detective Destructer & Amorous Automaton is The END !!





湊 利記の作品まとめ倉庫

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傭兵探偵と時計仕掛けの眠り姫 湊利記 @riki3710

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