四、『プレーリー・オイスター』その6

「――落とし物、ですよ」


 上から降ってくる、カタリナの声。

 同時。どん、と寝そべる僕の足下へ置かれる鞄。


「それから、これも」


 中折れ帽。

 被せようとして、カタリナの手が止まった。


「確かに・・・・・・では、満足に被れないな」


 額から伸びた、反り立つ二本角。


「申し訳ありません」

「構わない」


 深呼吸。


「へし折りゃ良いんだよ、


 無理矢理手折たおり、角の残骸を宙へ放る。二本角は夜空で二つのみかづきを形作ると、すぐさま地面へ堕して砂男リヴィング・サウンドの亡骸の側で墓標のように突き刺さった。


「これで、問題なく被れるだろ」

「何も、自分で折らなくても――」


 僕へ中折れ帽を差し出しながら、カタリナは困った笑みを浮かべる。


「自分で折るさ」


 折った角を隠すように、深く被る中折れ帽。


「角の生えた人間が、居るかよ」


 独り言ちるように言葉を絞り出し、ゆっくりと立ち上がる。


「・・・・・・あのサイボーグに、下手な銃の代わりに自分の拳でぶん殴った方が良いだろうって言われた」

「そうですか」

「出来る訳ねぇのにな、そんな事。こんな拳でぶっ殺したら、探偵じゃなくて、本当に怪物になっちまうじゃないか。これ以上、人間離れするのは御免だよ」


 言いながら、僕は背中に生えた翼をもぎ取る。既に壊死が始まっていた飛膜の翼は、親知らずを抜かれるような痛みと共にあっけなく千切れ去った。


「けれど、まあ・・・・・・あの時は咄嗟の冗談だったけれど、どうやら本当に咲龗子に特別な処刑場を作って貰う必要が出てきたみたいだ。飼い主の責任としてさ」


 屈み、生まれ変わったハードボーラーを拾う。汗と血糊を吸って黒さを増した銃把グリップの黒檀が、月明かりを照り返し妖しく光った。


 ふと、空いた左手を自分の腹へ遣った。ついさっき巨大なナイフで文字通り串刺しになった筈なのに、傷跡はおろか瘡蓋かさぶたのような凹凸さえ見当たらない。


 右手から伝わる、銃の重さと冷たい感触。

 白と黒のツートーン・カラー。これで回転灯でも付ければまるでパトカーみたいだと、僕は無理矢理笑ってみた。 


「・・・・・・依頼を果たしに来たよ。君に言われた通り、探偵としてね」


 頬を引きつらせながら、空を指差す。

 血糊さえ付く事の無かった左手で。


「青空、見たいんだろう?」


 まだ闇は深く、日の光は遠い。

 しかし雲は一つも無く、風も凪いでいた。


「今日は快晴だ。あと二時間ぐらいすれば空も明るくなって、綺麗な青空が見えると思う。まあ、そこまで研究所跡地ここにいたら色々問題が生じると思うけれどね」


 グリップのトリガーを押して鞄を展開。ハードボーラーを差し込むと、自動的に鞄が閉じる。


「でも、ここが一番青空が綺麗に見えると思うよ。この辺更地になっていて、鬱陶しい高い建物がないからさ」


 数々の問題は、咲龗子辺りにでも丸投げしよう。

 元を辿れば、今回の一件はアイツが黒幕みたいなものだから、厭とは言えない筈だ。


「彼が・・・・・・言っていました。此所は、作り物然としたジオラマみたいな街だと」

「それは、全てが停まった夜だからだ。朝が来れば、作り物なんかじゃ再現出来ない程、賑やかな街になるぜ」


 無理矢理明るく言って、僕は煙草を一本咥える。


「特に大学通りは、昼間だと歩くのが大変だ。でも大変だからって、自転車道には絶対出て行くなよ。滅茶苦茶、迷惑だから。あと、通りにある本屋には気を付けた方が良い」


 着火。

 紫煙が、細い線を描いて静かに昇っていく。


「何故ですか?」

「マンガ売り場が地下にあるんだけれど、地下に行くエスカレーターは下りしかなくて、帰る時は階段で帰らないといけないんだ。いつもそれを忘れて、買った後についつい上りのエスカレーターを探してしまう。アレは実に危険なトラップだ」

「それは、澪だけなのでは・・・・・・?」


 そんな筈はない。

 この間、咲龗子が迷っていた現場を目撃している。


「あと、大学通りじゃないけれど、僕が暮らす富士見台商店街には他にも美味しい焼きトン屋や、事情通のオッサンが居る薬屋があったり、他には――」

「澪は、好きなのですね。この街が」

「ああ、だから命を賭けて探偵やっているんだ」


 国立市ここが好きだから。

 もちろん、咲龗子の為でもあるけれど。


「探偵はさ、事件を解決するだけじゃあ二流。探偵が事件現場に訪れた瞬間、難解で複雑にこんがらがった事件に楔が打ち込まれて明解する――――そういうヒーロー的な安心感を依頼人に与えるようにならなきゃ、一流とは呼べないんだ」


 誰かの受け売りだけれどね、と僕は付け加え、それに続けて言葉を紫煙のように空へ吐き出した。


「そんな格好いい探偵に、僕はなりたいんだよ。今は単なる格好付けだけれどさ」

「そうですか――」


 目を伏せ、カタリナは黙考する。


「なりたいもの・・・・・・そういう望みは、目的を持って造られた自動人形オートマタのわたしには有りません。だから少し、羨ましいですね」

「目的?」

「人間が滅んだ後に栄えた種族に人間の事を伝える――――それが、わたしに与えられた目的です」

「随分、面倒な目的だな」


 中指と人差し指で煙草を挟み、僕は言った。


「何万年後の事だよ、それ」

「恐らく、わたしを制作したヨーゼフ・ゲーテル氏は、数十年後の事だと思ったのでしょうね。愚かな人間は自らが引き起こした戦争によって自滅する――――それが、彼の口癖でしたから」


 カタリナは、伏せた瞳を静かに開く。

 その口調には、僅かな哀れみが含まれていた。


「きっと、彼はわたしを介してをしたかったのでしょう。人間は、こんなにも愚かな存在であったと。戦争を起こして自滅した矮小な存在だったと。自分の事を大きな棚に押し上げて、次の支配者に伝えるつもりだったのだと思います」

「・・・・・・それだけの為に、君を造ったのか? 人類は愚かだって、たった一言の為だけに――」

「わたしと同じぐらい生きる事が出来れば、彼もまた違った見方が出来たのでしょうね。百年という月日は、自分の考えを整理するのに十分な時間ですから」


 首を傾げ、困ったような笑みを浮かべてカタリナは言った。

 その困惑した貌は、果たして僕に向けられたものなのか。


 それとも――


「わたしは、人間の全てを記憶します。愚かさに賢さも何もかも。そして次の支配者に、それを余す事なく伝えるつもりです。告げ口ではなく、人間という種族がこの地球で確かに生きていた事を覚えていて貰う為に」

「・・・・・・話が壮大すぎて、まったくついていけないけれど」


 フィルターだけになった煙草を指で弾いて、僕は言う。


「自分が居なくなった後に、誰かが自分を覚えているってのは何だか少し、こそばゆいな」


 その感触が、治りかけの瘡蓋のようで腹立たしい。

 僕の腹には、瘡蓋さえ出来なかったのに。


「でも、それは人間だけだろ? 僕のような――」

「クラッカーに、マスタードソースとケチャップ。トッピングは小さく切った六ピースチーズにサラミ」

「!?」


 途端、カタリナの口から紡がれた言葉に僕は目を見開く。


「わたしは、記憶しているのです」


 彼女は僕のどうしようもない表情に柔和な笑みを浮かべ、僕が言葉を紡ぐのを遮るように首を振った。


 限界だ。

 このままだと、僕は自分の弱さを彼女に見せてしまう。

 きっと彼女はそんな僕を笑って慰めてくれるだろうが、そんな情けない事は探偵である僕に出来る筈は無かった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 静かに、僕は踵を返す。

 切ないこそばゆさを押し殺しながら。


「――待って下さい」


 呼び止める、声。


「まだわたしの依頼は、達成されていません」

「そんな事ないだろう。あと二時間もすれば――」

「二時間、澪は依頼人であるわたしに、一人で待たせる気なのですか?」


 振り返ると、そこには無邪気に笑うカタリナの姿。


「せめて青空が見えるまで、一緒に居て下さい」

「知らなかったのか?」


 だから僕も涙を払って、



怪物ぼくは青空と太陽が大っ嫌いなんだ」



 どうしようもない顔で、負けじと笑った。

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