第4話

 十一月六日


 美佐子、どうして姉さんの前に現れてくれないの?あんなに頑張ったのに、ずっと迎えを待っているのに。


 お願い、早く来て。そうしないと、姉さんは本当に奇怪しくなってしまうわ。


 この頃、よく昔の事を思い出す。子供の頃遊んだ小川や、夏になると必ず泳ぎに行った海。

麦わら帽子をかぶって、自転車をこいで、友達と出掛けたあの海。ああ、あの頃に戻りたい。


 あの平和な時代に。


 何の迷いもなく、ひたすら前だけを見て生きていた少女時代。汚れを知らず、正しいものは正しいと、胸を張って言う事が出来た。


 この頃、眠る事が出来ない。正しい事をして、美佐子に喜んで貰える筈なのに、何故か夜になると怖いのだ。


 まるで誰かに責められているように、これでいいのかと考えてしまう。私がした事は正しかったのか、間違ってはいなかったのか。


 そう考えるのは、とても恐ろしい事なのだ。恐ろしくて仕方ないのに、美佐子が迎えに来ないのは、きっとなにかいけない事があったに違いないと思ってしまう。


 睡眠薬を飲むと、どうにか眠る事が出来るけど、次の日がとても辛い。


 噂で、日本の参戦が確定的になったと聞いた。最近は、テレビを見るのも怖くて出来ない。息苦しくなって、とても嫌な気分になるのだ。


 私は、永遠に許されない罪人で、どんな償いをしても無駄だと言うのだろうか。

美佐子、教えて。私は、いったいどうすればいいの?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 私に、教えられる筈もない。


 しかし、前の日記に比べ、いくらかましになっているような気がした。一時的に、精神が錯乱していただけかもしれない。


 姉は、本来理性的な人だ。何時までも自分の罪の意識を、無いものに縋って忘れようとは出来ないだろう。


 多分、そうだからこそ、精神的にギリギリの状態まで追い込まれているのではないか?


 まだ、チャンスはある筈だ。こんな姉を、放っておいてはいけない。


そこで、私は自分の事を考えた。


 消えた私は、何処に居るのだろう?何故、姉を助けようとはしないのか。それとも、未だに姉を恨み続けているのか。


 私の事に関しては、全くと言っていいほど分からなかった。


 その一ヵ月先を見ようとして、日記がそこまで書かれていないのに気付いた。もう、終わりが近づいている。

 私は、最後の日記を呼び出す為、ボードのキイを叩いた。



 十一月二十一日


 美佐子、美佐子、美佐子。姉さんは、もう駄目です。もう、逃げられない。

 最後に、あなたに伝えたい。どうか、この日記を見てくれるよう。


 あいつが、生きていた。殺した筈のあいつが。


 私は、大失敗を犯してしまった。焼いた筈の書類が、あの時吹き飛ばした研究所にあった資料が、あの男と共に全て残っていたのだ。


 そう、あれはコピーだったの。本物は、別の場所に厳重に保管されていた。それが残っている限り、兵器を造り出す事はいとも簡単な事。


 書類を取り戻す為に、私はあらゆる手段を用いました。

 でも、もう駄目です。時間が無い、奴らがもうすぐここに辿り着くでしょう。だから、簡単に書いておきます。



 私達がしていた事が、生物兵器の開発だとは知ってますね。


 動物の組織を食べて繁殖する、恐ろしい細菌を見つけたのが事の始まりでした。


 あなたも以前から、私が怪しげな研究をしていたのは知っていたと思います。この細菌を見つけた時、私は踊り上がるほど喜びました。


 見つかったのは、動物の組織を食べると言っても、それほど激しいものではありませんでした。繁殖も遅く、もし人が感染しても、すぐに命を落とすというものではなかったのです。


 しかし、それは可能性を示していました。


 もしこれが、もっと激しく人の組織を食べるようになったら。最初から抑える方法を研究しておいて、それに伴って改良を加えていけばどうだろうか。


 そして、それを生物兵器にすれば、きっと核兵器よりも人を震え上がらせるだろう。


 すぐに所長に相談して、スタッフを組む事になりました。勿論、チーフは私です。


 私はその研究に、使命に似たものを感じました。私は私なりの正義で、それを楯に平和を唱えるつもりだったのです。


 この国は平和国家であるし、戦争に関与する事はまず無いと思っていました。だからこそこの国が率先して、平和を導く手になる必要があるのだと考えました。


 例えば戦争をしている国に、それを示して警告を与える。もし戦争を止めなければ、両国とも恐ろしい目に合うだろうと。


 その脅威から、世界は争いを無くして行くだろうと思ったのです。


 政府は、私の意見を立派だと認めてくれました。私は期待に応える為、より一層研究に没頭しました。


 世界の平和が、現実のものとなる。あなたの言った通り、愚かな事でした。


 私は、政府に裏切られました。彼らは、それを元々戦争に使う為としか考えていなかったのです。


 ただ私をおだてて持ち上げて、散々いいように使った挙げ句、ゴミ屑のように捨てられてしまいました。騙されているのも知らず、いい気になっていた私は、本当に愚か者です。


 全部、あなたの言う通りでしたね。


 私は、彼らを恨みました。人類の為にとはよく言ったもので、結局自分のプライドを傷つけられた恨みを、晴らす為の行為だったのです。


 あなたに言われて、やっと目が覚めました。

私を騙し、踏みつけ、自尊心をぼろぼろにした、奴等への憎悪。それが、私の気持ちの全てだったのでしょう。


 見ていろ、今に酷い目に合わせてやる。私を軽く見た事を、死ぬほど後悔させてやる。そして政府の馬鹿どもに、泣きっ面をかかせてやる。


 狂っていました。あなたにでも縋っていなければ、とても精神を保てなかっただろうと思います。余りにも愚か過ぎて、自分が情けないです。


 あなたは、私は優秀で自分は落ちこぼれだったと言っていましたが、その為に私は弱い人間になってしまいました。自分を庇う事に、慣れてしまっていたのです。


 その結果が、こういう事態。


 でも、もう終わりです。最後にあなたと会う事が出来て、本当に良かった。あなたは、自分はただの人間でたいした事も出来ないと言っていたけど、私はそうは思いません。


 あなたが、この時の為にずっと以前から仲間を集め、地下に潜って運動を続けていた事には驚きでしたが、あなたや、あなたの仲間達を見て確信しました。


 大丈夫、きっとあなたならやり遂げてくれる。やっぱりあなたは、素晴らしいって。


 ようやく、私の中の霧が晴れました。頭がすっきりして、気持ちも穏やかです。その中で、改めて自分の犯した罪を思い返しています。


 あなたに会えて、本当に良かった。今でも、あなたの為なら、死すら恐れはしません。あなたは、きっとまた怒るでしょうが。


 今、表で激しく戸を叩く音がしています。多分、奴等が辿り着いたのでしょう。時間がなくなって来たので、肝心な事だけ記します。


 書類は今、小田原という男が持っています。あなたも知っている人ですね。どうかあの男を見つけ出して、書類諸共処分して下さい。あなたなら、きっと出来る筈。


 この日記を読んでいるなら、無事にメモリーカードを見つけてくれたんでしょうね。あの熊のぬいぐるみは、私の宝物です。これから行く場所に、持って行けないのが残念ですが。


 ああ、段々うるさくなってきました。どうやら、戸を蹴破ろうとしているみたい。もう止めないと、これからこれを隠さないといけないし。


 さて、これから犯した罪を償う為の罰が、私を待っています。でも、さっき言ったように、もう怖くはありません。いいえ、本当はちょっと怖いかも。あなたに嘘をついても、すぐばれてしまうものね。


 大丈夫、心配しないで。私の罪に比べれば、ちっぽけなものだから。私の事は、どうか心配しないで下さい。そして、悲しまないで。一歩先に、そこへ行くだけだもの。


 あなたは、あなたの事だけを考えていて下さい。


 本当は、出来れば姉さんも一緒に活動したかった。言っても、仕方ない事を書いてしまいました。私には、その資格は無いもの。


 最後に美佐子、あなたが大好きよ。さようなら。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 日記は、そこで終わっていた。


 姉は、どうなったのだろう。未来の私は、無事にこの日記に辿り着いたのだろうか。それとも、この世界が示す通り・・・・・。


 しかしここは無人のゴーストタウンで、私にその答えを示してはくれなかった。


 ああ———、姉さん、私は姉さんを助けてあげたい。もしこれが現実なら、私にはそれが出来る筈なのに。


 たった二人だけの姉妹。姉が今まで私にしてくれた事を思えば、私には返さなければならない事が山ほどある。


 姉さん、姉さん、私も姉さんが大好きよ。


 もう一度日記に触れようとして、ふと窓の外を見た。真っ赤な夕日が、何時の間にか無人の街を包み込んでいる。


 思わず机から離れて、窓の側に寄った。


 ・・・・私は、未来を見てしまった。その未来は、少なくとも私達人間にとって、楽しい事ではないらしい。


 これが事実なら、私達は考えなくては。このゴーストタウンが、私達の将来に現実に起こり得る姿なのかもしれないのだから。


 不思議な罪の意識が、私の心を包んだ。未来を見てしまった事が、まるで禁断の地に足を踏み入れてしまったような、強い罪悪感を与える。


 ここに来れば、誰でも考えが変わるだろう。

私は、知りたくなかった。未来なんて、そんなものに縛られて、この先生きていかねばならないなら、私は———。


 そうだ。


 はっとして、ビルの谷間に溶けて行こうとする太陽を見つめた。


 駅員は、日没までに戻れと言っていたではないか。戻らないと、帰れなくなる。


 もう、時間が無い。


 私は、日記をそのままにして、部屋から飛び出した。持って帰って、読み直そうと言う気にはなれない。これ以上、禁断に触れたくはないのだ。


 アパートの階段を駆け降り、急いで外に出る。まだ、日は完全に沈んではいなかった。


 外は、相変わらず静かだ。誰も生活していない街の不気味さが、また私を背後から襲って来た。


 何時の間にか、私は走り出していた。走りながら、違う、これは現実じゃない、現実なんかじゃないんだと、自分に言い聞かせている自分を見た。


 口の中でぶつぶつ呟くが、自分でも何を呟いているのか分からない。


 異常なほどに赤い夕日が、私までも溶かしてしまいそうな気がして、尚更必死に走った。もう、何も考えない。ただ、駅に向かって走り続けるだけ。


 駅に着くと、立ち止まって張り裂けそうな心臓を休めた。こんなに走ったのは、本当に久しぶりだ。


 見ると、にやにや笑いのあの駅員が、来た時と同じ場所に立っていた。


 「間に合ったやないですか」

 「・・・・おっ・・・・おしえて・・・下さい」

 彼の許まで歩み寄ると、私は弾む息で駅員に尋ねた。


 「あれは、あれは、いったい何なんですか?」

 「あれって、なんや?」

 「今、私が見て来たものです」

 駅員は、不意ににやにや笑いを引っ込めて、軽く肩を竦めた。


 「俺は、ここにいるだけや。あんた等が何を見て来たんか、俺には分からへんわ」


 私は、身を支えていた手を膝から離し、鋭く駅員を睨みつけた。無性に腹が立って、自分でも抑える事が出来ない。


 「じゃあ、何故こんなものがあるんですか!?あなたは、何の為にここに居るのよ!!」

 駅員の襟元を掴んで、激しく揺らす。この駅員が悪い訳ではないのに、誰かに当たらずにはいられなかった。


 「堪忍してや、俺は番人なんや。あんたには悪いが、俺もよう知らん。気がつくとここにおって、それからずっとここで番人してるんや。意味なんて、あらへんのやから。ただここにおる事が、俺の役目や」

 私はふらふらした足取りで、駅員から離れた。


 ・・・・・いったい何なの、どうしてこんな事をするの?


 怒りは益々大きくなって行く。


 私にこんな事して、それが楽しいの!?

 神がそうしたのだったら、そんな権利がいったい何処にあるのか。私から楽しい毎日や、平穏な日々を奪う権利なんか、誰にもない筈だ。


 私には多分、永遠に平穏な日々など訪れないだろう。未来を知った事で、たとえ元の世界に戻ったとしても、心の片隅にこの事が残り続ける。


 「・・・・私は、そんなの嫌!!」

 自分の叫び声が、静かな駅の中で虚しくこだました。


 「可哀相に、ひどいめにあったんやな。この外から帰って来るもんは、様々や。その中には、やっぱりあんたみたいに絶望しとる人もおる。俺はなんや恐ろしゅうて、よう聞かへんのやけど」


 駅員の戸惑い顔を見て、私からふと力が抜けた。

 急速に怒りが消え、代わりにぽっかりと穴が開いたような虚ろな気分になる。


 そのまますっと駅員の脇を抜け、改札口を通った。


・・・・・誰が、悪い訳でもない。


 歩きながら、同じ言葉を繰り返す。何もかもが、幻のように見えて虚しかった。


 きっと、誰も悪くはない。駅員があそこにいるのも、私がここに来たのも、誰のせいでもないのだ。


 たまたま、ほんの小さな時の歪みに、私が居合わせてしまっただけに過ぎない。


 それが偶然か、必然かなど、本当は意味のない事なのだ。



 どれくらいそうしていただろう。どうやってここに来たのか、私はいつの間にか駅のホームに立っていた。ざわざわと空気を揺らす声に、


 突然我に返る。

 

 到着したばかりの電車から、ぞろぞろと人が降りて来て、初めてここが元の世界だという事に気付いた。


 私は、私が生活していた世界に帰って来たのだ。生きた人々が暮らし、生きている姉のいるこの世界へ。


 じわじわと涙が溢れて、頬を伝った。私はそれを拭こうともせず、立ったまま泣き続けた。それを、通る人が気味悪そうに見て行くが、そんな事は構わない。


 戻って来た、そう、これが本当の世界なのだ。

 何時までも、何時までも、私はそこに立ち尽くしていた。



 それから二年後、私は何時ものように、駅の出口に向かって歩いていた。ここを通る度に、あの時の事を思い出す。


 今考えると、あれが本当の出来事だったのか、良く分からなくなっていた。記憶は残っていても、不鮮明で曖昧な部分が多くなっていたのだ。


 私は今、前の学校を止めて、心理学の専門大学に通っていた。別に、あの日記に合わせた訳ではなく、私にはそちらが合っているように思えたからだ。


 姉も、相変わらずあの研究所に通っていた。何度か、姉の研究についてそれとなく尋ねてみたが、ただ笑うだけで教えてえはくれなかった。


 あれ以来、あの不思議な改札には出ていない。


 様々な不安は未だに胸の奥にあるものの、鮮やかに通り過ぎる日々の中で、先の見えないものに振り回され、怯える真似はよそうと思うようになっていた。


 そうだ、私は今を生きている。


 あれが未来と言うのなら、きっと変える事だって出来る筈だ。


 未来は、与えられるものではない。未来は、自分の手で切り開いていくものなのだから。


 新しく芽生えた強い意志が、残像としてあった架空の街の姿を消していく。私は大きく息を吸い込み、何時もと同じように、生きている街へ力強く足を踏み出した。



                 END

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架空の街 しょうりん @shyorin

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