『人を望んでしまったのなら。人に還れ』
小田舵木
『人を望んでしまったのなら。人に還れ』
脈打つ心臓が俺の手の上にある。
俺はそいつをじっくりと眺める。ヒトの生命を司る臓器。かつては心の在処だと信じられた臓器。
冷たい雨が降りしきる。それに心臓は冷やされている。
眼の前には心臓を抜かれた死骸。俺はコイツを憎んでいた。
だから。心臓を抜き去ってやった。完全な
俺は心臓に喰らいつく。血の味が口に広がる。鉄分のえぐ味。
俺の腹が満たされていくのを感じる。そして俺の腹に収まった心臓は俺の寿命を伸ばすだろう。
俺には
俺もかつては人間だったが。ハート・スナッチャーである事に気付いてからは人倫を外れた。
人間社会のアウトサイダー。
俺は社会に迎合できずに生きてきて。
戦国の世で足軽をしていた俺は―死骸を漁った。
兵糧攻めの最中の話だ。我が主の城には米がひと粒もなく。
俺達は人肉を喰らい、命を長らえていたが。
俺は気づいてしまったのだ。自分の手が死骸の心臓を
そして腹が減っていた俺は。掴んだ心臓を喰らい。命が伸びる事に気が付いた。
それからは。主の城から抜け出し。市井に生きて。
徳川政府が倒れるのを見守り、明治、大正年間を潜んで過ごし、昭和期には南方戦線に従事し。平成の平和をホームレスとして過ごし。今は令和。
俺は姿を変えられる。ハート・スナッチャーは
俺は平成の終わり頃にホームレスに身を
そして子どもになり。児童養護施設を経て。一般の家庭に潜り込み。
高校生として、今は生きているが。
一匹狼的な性分は直っておらず。浮いた存在であり。
いじめにあっていた。この眼の前にいるヤツが主犯格だ。
俺を臭いだのなんだの言いがかりをつけ、
俺は見事にクラスで浮いた存在になり、学校生活は過ごし難いモノになった。
…だから。俺はコイツを憎んで。
今日、ここに呼び出して。心臓を抜き去ってやったのだ。
ああ。すっきりした。これで学校で少しは過ごしやすくなるだろう。
後は始末をして去るだけである。
問題はない。何の痕跡も残していない。
ただ。俺は彼の心臓を抜き去っただけだ。
◆
俺は素知らぬ顔をして、家に帰る。
義母に迎えられた俺は腹が減ったと言い、食事を食べ。後は部屋にこもった。
心臓を抜き去った死骸は川原に放置してきた。
心臓以外には一切手を触れていない。なんなら口さえきいてない。
呼び出した彼が来た瞬間、俺は心臓を抜き去ったのだから。
俺は部屋で勉強をして。後は風呂に入ってそのまま眠る。
警察の手が及ばないと良いが。今回は露骨なやり方をしてしまった。
呼び出したのは
◆
かの者は。翌日に発見された。
新聞の地方欄にその報道があった。『奇妙な死骸。心臓のみが行方不明』。
ああ。これで俺に捜査の手が伸びない事を願いたい。
だが。いじめの事実は捜査で浮かんでくるだろう。そして俺は事情を聴取されるに違いない。
だが。俺が。心臓を抜けるなんて誰が想像しようか?
これが露見しない限りは、俺は完全犯罪を為している。
◆
案の定。俺は警察の取り調べを受けるハメになった。
学校に登校したら、教員に生徒指導室に連れて行かれ。
そこで殺した
だが。俺はそこであくまで被害者の
何故。彼が死んだのかは分からないがと繰り返しながら。
そして疑惑の目を向けられながら部屋を辞した。
「ったく…」俺は廊下で
「ったく…どうしたんだい?」声が聞こえてくる。廊下の先の方から。
廊下の柱の影に人影があり。そこにはスーツ姿の若い女性。新しい教員だろうか?
「色々ありまして」俺はかの女性に
「…明次くんの話かな?生徒指導室から出てきたって事は?」
「まあ。色々ありましたからね。事情を聴取されたんです」
「…君は重要参考人の
「そういう
「警察ではないけど。今回の捜査に参加している者だよ。名を
「どうも」俺はその手を握っておく。
「君は―今、一番疑われているんだよ」彼女は早々と切り出す。
「そりゃ。
「君にはアリバイがない」
「その時は街の本屋に寄っていましたよ」
「…裏取り出来る話かな?」
「…さあ?」拙い嘘をついてしまった。
「まあ。良い。細かい話は警察に任せよう。私の仕事ではない」彼女は髪をかき分けながら言う。
「で?後は何か聞きたい事はありますか?」俺は尋ねておく。相手の出方を見ておきたい。
「…ぶっちゃけて聴くのは楽だが。場所が場所だしね」
「ココでは出来ない話ですか?」
「うん」
「場所変えますか?」
「お願い出来る?」
◆
俺は新藤に伴われ。街の喫茶店に押し込まれた。
一方の俺はブラックコーヒーを
「さて。藤野くん」新藤は問う。
「はい?」さて。何が出てくるか?
「ハート・スナッチャーと言う語に聞き覚えは?」クリティカルなところを突かれる。まさかコイツは―
「ありませんが?」しらばっくれる。
「そうかい。まあ。良いんだけど。説明しとこう。ハート・スナッチャーってのは一種の化物でね」
「化物?」コイツは
「心臓を喰らう者…その心臓で永久の命を得た者…今回の事件。犯行者はハート・スナッチャーである可能性が大だ。だから私のような専門家が呼び出される」
「荒唐無稽過ぎて着いていけませんね」
「荒唐無稽だが。現実だ。明次小太郎の死骸は不思議な事に心臓だけが抜かれている。それ以外の外傷はない…化物の仕業以外の何になる?」
「…もし。ハート・スナッチャーとやらが居たとして。俺はそいつとは関係ない」
「…だよねえ。見た目は一般人だ」
「まさか。当てずっぽうで俺をココに呼び出した?」
「ある種そうなるかな。ま。もしヒットすればラッキー程度に考えていた」新藤は苦笑いしながら言う。
「…捜査関係者とは思えない軽率さ」俺は呆れる。
「なにせ。普段はタダのキャリアウーマンだ。特に捜査のノウハウがある訳ではないのよ」
「ただのキャリアウーマンが何故捜査に?」俺は分かっている事を訊く。
「さっき言ったろ。専門家、私は祓い屋稼業もしていてね。今回は警察に招集された」
「…着いていけない世界だ」
「だが。着いてきてもらう必要がある」
「その必要はないです。僕は一介の高校生だ」
「だが。しばらくはマークされるだろうさ」
「…うんざりだ」
「しょうがないっしょ。君が一番きな臭い」
「ま、無実は証明されます」
「だと。良いけどね…」
◆
俺は新藤と別れると学校へと戻り。
そのまま授業を受けて、放課後に。
普段どおりの生活を心がける。ボロは出してはならない。
しかし。まさか祓い屋が出てくるとは。
俺はハート・スナッチャーとして割と永い年月を過ごして来たが。それまでに祓い屋とは遭遇しなかった。
運が良かった、というよりは。祓い屋自体が衰退した事が原因だと思う。
祓い屋の家系は平安時代まで
俺は祓い屋が居なくなった時代を永く生きてきた。
だが。今回、初めて祓い屋に遭遇した。コイツは拙い。
ハート・スナッチャーを殺しうる存在。それが祓い屋。俺は命の危機を迎えようとしているのだ。
だが。俺は心臓を喰らったばかりであり。力はそれなりにある。
…直接対決をしようが。勝つ自身はある。
◆
それから。俺の生活に新藤は現れるようになった。
捜査は遅々として進んでいないらしい。
「藤野っち!」小動物のような彼女は気安く俺を呼ぶ。
「あだ名、つけんといてくださいよ」
「私と君は知り合いだろお〜」絡んでくる。
「知り合いですが。アンタは俺を疑っているんだろう?」
「んまあ。そうだけど。まずは人を知ることが捜査に繋がるかなって」俺と新藤は街に出ている。放課後に捕まってしまったのだ。
「…アンタ暇なんすか?キャリアウーマンなんでしょ?」
「今は捜査に専従中。いやあ。副業に緩い会社で良かった」
「…その内クビ切られますよ?こうやってサボっていたら」
「サボっているとは失礼な!これも捜査の一環だってば」
「…ただ。高校生を捕まえて絡んでいるだけですけどね」俺は毒を吐く。
「まあまあ。こうやって、おねーさんが絡んでやってるんだ。少しは嬉しそうにしなさいよ」
「男子高校生の皆が皆、性欲に塗れていると思わんといてください」
「へ?そんなもんじゃない?私の知り合いの焼き鳥屋がそんな事言ってたんだけど」
「…その人は性欲が強い。それだけです」
「はは。確かに
俺と新藤は並んで街を歩くが。新藤は本当に小さい。
俺の肩くらいの所に頭がある。
…こんなナリで祓い屋が務まるのだろうか?
「失礼な目線を飛ばすんじゃないよ」新藤はプリプリしながら言う。
「いやあ。小さいなって」
「コンプレックスなんだけど」
「男はちっちゃい者好きです」
「…我が想い人はデカい女が好きだったよ」
「そりゃご不幸」
「まったくだね」
◆
日々は過ぎていき。明次の死は風化していく。
最初の方は学校に激震が走ったが。一ヶ月もすれば皆、新しい未来へと切り替えていくものなのだ。
だが。新藤は俺にまだまだ付き
いい加減、相手をするのにも疲れてきた。
最近は警察に呼び出される事も減ってきたのに。新藤だけは俺を睨み続けている。
今日だって―
「ふじの〜ん」と帰り道。後ろから声をかけられて。
「へいへい」と俺は面倒くさがりながら返事をする。
「元気に学校生活送ってるかい?」
「明次が居なくなったお陰で。俺の学校生活は気楽なモノになった」実際。いじめの主犯格が居なくなると。いじめは止んだ。俺が願っていた通りになった。
「そういう発言は危ないなあ」新藤はそう言う。
「別に、俺が殺した訳じゃないですし」
「そりゃそうかも知れんが」
「んで?今日は何の用ですか?」
「別に。ちょいと様子を見に来ただけだよ」
「警察としての仕事は?」
「ぼちぼちやってはいるけど。最近はあまりお声がかからない」
「これで。俺に付き纏う理由はなくなったんじゃ?」
「事件絡みじゃないと絡んじゃいけんの?」
「そうでもないが…」俺は言い淀む。ここで新藤を拒絶するのは簡単だが。あまり露骨にやりすぎないようにしなくては。こんなナリでも祓い屋なのだ。
「私と君は知り合いだ…ねえねえ暇だろう?」
「…暇ではないです」嘘だ。
「うん。暇なんだね。ちっと付き合いなっせ」
「…何処に?」
「知り合いの焼き鳥屋。奢ってあげよう」
「んまあ。それなら付き合いますが」
◆
そこは若い夫婦が切り盛りする焼き鳥屋であり。
俺と新藤はカウンターに座る。
「
「酒
「…いいじゃんよ。今日は捜査とか抜きにして話そうや」
「…話すことなんか」俺は面倒くさくなってきている。酔っ払い予備者に絡まれているからだ。
背の高い綺麗な女性がビールと鶏皮を出す。新藤はそれを嬉しそうに受け取る。
「…新藤。ついに年下に目覚めたの?」綺麗な女性は新藤に絡んでいる。
「そんなんじゃない…はず。一応仕事絡みで知り合った子。今日はご馳走して親睦を深めようかと」
「…このお姉さんには気をつけなさいよ」綺麗な女性は俺に釘を刺す。
「善処します」
そこから新藤は完全な酒呑みモードに移行し。
俺は鶏皮や他の焼き鳥をツマミながらそれに付き合う。
「いやあ。祓い屋稼業ってのも面倒くさい」彼女はビールを
「一応。長い歴史がある仕事なんでしょう?化物を祓う仕事なんて」
「まあそうだが。今の世の中怪異なんてそうそう居ないもんでね。お陰で二足の草鞋さ」
「儲からない仕事なんですか?」
「儲からないねえ。依頼が少なすぎる」
「廃業すれば良いじゃないですか?」
「そういう訳にもいかなんだ」新藤は綺麗な女性の方を見ながら言う。俺はその視線の意味が分からない。
「家を続けていかなくてはならない?」
「そ。伝統だけは長いからね。平安時代に遡る」
「そりゃ。長い歴史で」俺が産まれる前の時代。産まれてなくて良かったな、と思う。もし俺が平安の世に産まれていれば。あっという間に祓われていた事だろう。
「私もさあ。年頃の女だよ。男漁りとかしてえ」新藤はしみじみ言う。
「別にアンタ、ブサイクな訳じゃないんだから。すれば良いじゃないか」
「お褒め頂きどうも。でもさ、時間がない訳」
「依頼は少ないんじゃないのか?」
「少ないけど。解決に時間がかかるんだな」
「祓い屋は力で
「そんな脳筋プレイ、通用したのは平安まで。今は割と時間がかかる」
「…大変だ」
俺は新藤を見つめてみる。
酒を呑んでフニャフニャになってる彼女はどうにも頼りない。
これが俺を殺しうる存在なのだろうか?
「そういやさあ。藤野くん。いじめられてたんだって?」
「そうですねえ」
「何でいじめられてたのさ?」
「単純にクラスで浮いていたからじゃないです?」
「君は話せば話すほど普通の子なんだけどな」
「他のヤツはそう思っていないらしい」
「君の人を見下したような態度がいけないんじゃないのかい?」
「…かも知れません」俺は永く生きてきた動物で。たかが17歳のガキ共とは違う…って態度が
「もうちっと、気楽にやろうぜ?」彼女は俺を見ながら言う。
「これで永く生きてきましたから」
「たかが17年だろ?」
「されど17年」本当はその倍の倍の倍の倍以上の命なのだが。
「まったく。人生ってのはままならんね」
◆
俺は22時まで新藤に付き合ったが、流石に遅くなってきたので辞する事にした。
「あんま呑んだくれないで下さいよ」
「あいあ〜い」ごきげんな新藤は俺を見送る。
俺は店を出て。
夜道を家に向かって帰る。
しかし。新藤はよく分からないヤツだ。
最初は俺を疑って近づいて来たのに。今やタダの知り合いで。
俺は彼女に気を許しつつある。
俺は永らく生きてきた動物だが。その人生は孤独そのものだった。
知り合ってきた人間は数えるほどしか居ない。そして知り合った人間は例外なく俺より先に死んでいく。
その中で初めて出会った、自分の領域にいる存在が新藤。
これで俺がハート・スナッチャーでなければもっと気安く付き合えるのだが…
なんて思考が。危険なことには気付いている。
俺は怪異であり。人倫から外れた存在で。
今は命の危機にあるのだ。
本来なら。俺は新藤に牙を剥くべきだろう。先制して殺すべきだろう。
今日なんて。酒を呑んで酔っ払ってるんだ。
殺すのにうってつけじゃないか。
…でも。俺は新藤をもっと知りたい欲が出てきていて。
殺すという思考が遠くに消えていくのを感じる。
◆
事件から3ヶ月が経つ。
俺は相変わらず逮捕されていない。最近は学校に警察が来る事もなくなった。
だが。相変わらず新藤に付き纏われている。
俺はそれを鬱陶しいと感じつつも喜んでいる…
不思議な気分だ。俺を追い詰めうる女とこんなに仲良くなってしまうとは。
俺と新藤は放課後によく遭う。新藤は本来の仕事上がりに俺を目ざとく発見する。
アイツ。捜査のスキルはないとか言いながらも、俺を執拗にマークし続けている。
「ふじや〜ん」なんて声が頭の後ろから。
「へいへい」と応えるのが習慣になっており。
「元気してるかい?」
「ぼちぼち。最近は進路の悩みがありますな」
「おーおー高2だもんな」
「…新藤は大学出てるんだよな?」
「一応ね。ここらの国立大学だけど」
「福岡で国立って言ったら」
「うん。あそこ」…新藤は見かけによらず頭が良いらしい。
「信じられん」俺は言う。普段の新藤はアホそのものだからだ。
「学校教育なんて、やることやってりゃ余裕だって」
「…俺はそれができんのだが」
「なんなら家庭教師しちゃろうか?」
「カネ取る気だろ」
「当たり前だろうが。人様の頭借りようってんだから」
「遠慮しとく。自力でなんとかするさ」
「ん。まあ、適当に頑張んな」
俺と新藤は連れ立って歩いて。
その後で焼き鳥屋に
俺は酒に酔う新藤を見慣れてきている。
…殺そうと思えば。何時でも彼女を殺せる。
だが。俺の好奇心がそれを押し止める。
彼女をもっと知りたいと願っているのだ。
もしかして。これは恋心というヤツなのだろうか?
俺は困惑する。今まで生きてきて。初めて恋をするのだ。
しかも相手は敵であり。本来ならそんな事に
「ふじやん?」隣で酒を呑む新藤が言う。
「…ああ。なんだっけ?」俺は新藤を見つめながら放心していた。
「だからあ。私が男にモテるためにはどうすれば良いかって話」
「…今の性格がダメだな」俺は偉そうに批評する。
「性格かよ。直しようがないっつうの」
「諦めろ」
「あのねえ。今のご時世になろうが女性は結婚しにゃ立場ない訳」
「…古い考え方だ」
「どっこい。古いものを見くびる無かれ。残ってるってことは根強いって事さ」
「アンタなら。一人でも生きていけそうだ」
「こころ〜ん。ふじやんがいじめるぅ」新藤は女将さんに絡んでいる。
「…17歳に絡む30代なんて犯罪スレスレよ?」女将さんは呆れながら言う。
「しゃあねえじゃん。会社の連中は出世に必死で絡んでくれないんだから」
「…アンタも出世目指せよ」俺は突っ込む。
「面倒くせえ。どうせ私は副業してるし。あんま出世とは縁がない」
「仕事にも恋にも生きれない女は悲惨だ」俺は言ってしまう。
「…泣けてくるぜ」新藤は凹んでいた。
◆
俺と新藤の日々は続いていくように思われた。
俺は高3になっており。
それでも新藤は絡んでくるが―今日はなんだか雰囲気が変だ。
「藤野くん」珍しく俺をキチンと呼ぶ新藤。
「どうかしたか?」俺は受験対策の講義を受けた帰りだ。
「大事な話がある」
「…大事な話って?」
「ま。いつもの所に行こうや」
「…あまり長くは付き合えない」
俺と新藤はいつもの焼き鳥屋に入るが。
珍しく客が俺達しか居ない。
「いつも繁盛してるのに珍しい」俺は零す。
「主人に頼んで貸し切りにしてもらったからね」
「…何か訳ありだな」
「藤野くん」今日ばかりは酒を頼まない新藤は俺に向き合う。テーブルを挟んで。
「どうかしたかよ?酒は?」俺は警戒を強める。
「…今日はナシだ」
「おいおいおい。飲兵衛のアンタが呑まないなんて。明日は槍でも振るんじゃねえか?」
「私はね、クソ真面目な時は呑まない方針でね」
「…クソ真面目な話聞かせろよ」
「藤野くん…君はハート・スナッチャーだ。そうだろ?」新藤は言い。
「根拠もなしに俺を犯人呼ばわりか?」
「根拠なら―あるさ。私が度々君をこの店に連れてきていたのにも理由はある」
「…男子高生に痛い絡み方する30代じゃなかったんだな」
「まさか…心さん?」新藤は女将さんを呼び。
俺達のテーブルの前に綺麗で背の高い女将さんが現れる。
「女将さん?なんの用です?」俺は尋ねる。
「…私の元同胞って事で良いと思うわよ、新藤。感知するのに時間がかかったけど」
「あーあ。これで確定だ」新藤は言う。心底残念そうに。
「何で確定なんだよ、意味が分からん」
「心さん。言ったろ。元同胞なのだと」
「…おい。まさか」
「初めまして。私もかつては心臓を抜いていたわよ」女将さんは俺を見ながら言う。
「かつては。ねえ」
「今は人に戻りつつある…」
「そいつはご苦労なこって」俺は言う。
「藤野くん…残念だけど。最近人を殺した君を私は
「…お前。もしかして」俺は嫌な予感がする。
「
「ちぃっ」俺は立ち上がり、焼き鳥屋の出口を目指すが。
「ま。焼き鳥食って行けよ青年」親父さんだ。普段は焼き場に引っ込んでいるので、あまり面識はない。
「邪魔だてするなら―殺す」俺はそう言ってしまう。正体が割れた時点で俺の出来る事は少ない。新藤に
「やってみやがれ。ハート・スナッチャー。僕はお前に殺される位なら妻に心臓を渡すぞ。心臓食べたての同胞を相手にして無事でいれると思うか?」
「…」俺は大人しく席に戻る、まったく。俺はハメられていたのだ。ここ半年以上。情けない。そしてそれを引き起こしてしまったのは俺の心境の変化だ。新藤に絆されて。絆を結ぼうとしてしまった。選りに選って一番厄介な相手と。
◆
「さてさて。どうしてくれようか」新藤は言う。鶏皮を貪りながら。
「どうしようもこうしようも。俺は心臓を抜く化物なんだぜ?祓うしかねえだろ」
「…そうなんだよな。もったいない話だが」
「もったいない…ねえ。俺は人倫から抜けた存在だぞ?」
「とは言え。話してみればありふれた高校生でしかない…」
「舐められたもんだな」
「そいつはね。私、祓い屋ですから。化物の相手も慣れている」
「俺は…」言い淀む。ああ、逃げることが叶わないなら。いっそ戦って果ててやろうかと思うが。新藤を相手にする気概がない…
「君は見事に私に絆されているみたいだね」
「…侮って。近づいて。関係を結んだのが間違いだった」
「君も化物の割には感情が人間臭い」
「元は人間だ…ま、何百年も前の話だが」
「平安産まれ?」
「いいや戦国の世だ」
「んじゃ。心さんの後輩だ」
「女将さんは―永い時を生きてきたんだな」
「そして。そこの大将に出会って。ハート・スナッチャーを辞めたんだよ」
「…恵まれてんな」
「君は可愛そうな生き物だ」
「安い同情なんてされない方がマシだ」
「…まともな人間に出会っていれば。心も変わったかも知れないのに」新藤は残念そうに言ってくる。それが俺の感情を逆撫でする。
「…俺はお前に出会わなければ。ハート・スナッチャーとして命を全うできたのに」
「悪いことをしたね。残念ながら私は祓い屋で。君の敵だ」
「…ああ。まったく。自分の愚かさが嫌になる」
「愚かでもないさ。ただ。巡り合わせが悪かっただけ」
「止めろよ。今から俺を祓うんだろう?」
「抵抗したら。君を祓って還すつもりだったが。君は今のとこ大人しい」
「…同胞相手に頑張るガッツはもうねえよ」俺は零す。新藤に絆される前なら。
今は新藤の顔をみると殺意が曇る。
それだけ。俺は新藤に入れ込んでしまっている。
孤独を愛したはずのハート・スナッチャーなのに。
「君には選択肢を与える」新藤は言う。
「…自首しろと?」
「そうだ。人として罪を償うか。はたまたハート・スナッチャーとして祓われるか。選ぶと良い。今まで騙してきた償いだ」新藤はシリアスな顔で言う。似合わない。コイツは酒を呑んでヘラヘラしているべき女だ。
「俺は…」
◆
その後の事は書かなくても想像できるだろう?
俺は明次小太郎の殺害を自供した。
俺はハート・スナッチャーであり続けることを拒否した。
それもこれも全て新藤のせいである。
俺は新藤と絆を結んだ事で。絆されてしまった。
人の世に戻りたいと願ってしまった。
だが。俺には直近に犯した罪があり。それは償わなければならない。
俺は裁判を受け。
無期懲役を宣告された。これで。俺は一生
だが。ヒトとして死ぬことは出来るだろう。
心臓を食べない限りは。
俺はこの選択を後悔しているか?
少しは後悔しているが。
仕方ない。ヒトに戻る代償だと考えれば。安いモノなのかも知れない。
新藤とは手紙のやり取りをしている。
騙してしまった償いの一環らしい。
だが。俺は新藤と再び
どうせ。一生の刑期をここで過ごすのだから。
だが。俺には思い出があり。
それを抱えながら牢で過ごす。
独りで生きてきたハート・スナッチャーの頃に比べれば。かなりマシになったと思う。
…そうなのだ。俺はハート・スナッチャーとして永久を生きながらも。
人を欲してしまったのだ。
そこに現れたるは新藤で。
こうなってしまったのは運命としか言いようがない。
◆
『人を望んでしまったのなら。人に還れ』 小田舵木 @odakajiki
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