愛が集うこの場所で

(よし、たぶんいい感じ)


 私、咲本さくもと小春こはるは、たった今ケーキのスポンジ生地をオーブンに送り出して一息ついているところだ。もともとお菓子作りは得意だったけど、プロが横でじっと見てくるのは結構緊張する。


 結局作るケーキはさっき試食させてもらったタルトではなく、苺のショートケーキにした。椋太郎りょうたろうさん曰く、タルトはもう少し研究したいらしい。


「小春ちゃん、エディブルフラワーなんだけど、結構種類あるんだ。どれにする?」


 そう言うと、椋太郎さんはいろいろなお花が入ったケースを見せてくれた。マリーゴールド、バラ……あ、ビオラも食べられるんだ。


「どれもかわいいので迷いますね」

「そうだな。俺が少し調べたノートがあるから、これを参考にしても良いと思う」

「わぁ、ありがとうございます」


 椋太郎さんが見せてくれたノートには、およそ二十種類程のお花のメモがあった。それぞれ名前、花言葉、花から受ける印象などが細かく記してある。


『黄色のキンセンカ、花言葉:別れの悲しみ、甘い香りがする』


 せっかく花言葉が書いてあるし、参考にしてみよう。キンセンカ……これはちょっとネガティブすぎるな。甘い香りはなんとなく気になっちゃうけど。


『オレンジのチューリップ、花言葉:照れ屋、花弁が厚くて存在感がある』


 綺麗なんだけど、なんかもっと、あなたが好きっていうのが伝わるのがいい。


『赤いバラ、花言葉:愛情や情熱、大人びた印象』


 これはちょっと私には大人っぽすぎるかな。花言葉を直接伝える訳では無いけど、"情熱"はだいぶ恥ずかしい。


『赤色のカーネーション、花言葉:純粋な愛、花びら一枚ずつ使うので使いやすい』


 あ、これはいいかも。カーネーションって母の日のイメージしか無かったけど、こんな花言葉なんだ。私の恋は純粋って呼んでいいのかは分からないけど、少なくとも私は本気であの人のことが好き。


「椋太郎さん、この赤いカーネーションってありますか?」

「ああ、あるよ。これにするかい」

「はい! ありがとうございます」


 真っ赤でひらひらした花弁を観察していると、つぼみちゃんが覗き込んできた。


「小春ちゃん、それ使ったら上手く行きそうですね。愛の妙薬的な感じで!」


 そう言ってにやりと笑ったこの子は、数秒後言ってしまった、という感じで目を見開いた。すっと私の耳元まで近寄って小声で話しかけてくる。


「ごめんなさい、完璧に二人にバレちゃったかもしれないです。どうすればいいんでしょう、本当にごめんなさい!」

「ひどい、蕾ちゃん。私の最大の秘密をバラしちゃうなんて」


 必死に謝る蕾ちゃんがかわいくて、少しからかってしまう。この子はこうやって少し抜けてる所があるけど、妹みたいで憎めない。


「全然大丈夫だよ」


 私は蕾ちゃんの肩をぽんぽん、と二回優しく叩いてそう言った。浅芽さんを好きなことは蕾ちゃんにしか言ってないけど、多分知っている人がもう一人ここにいる。


 菜摘なつみさんだ。菜摘さんのご近所ネットワークはものすごい精度と情報の速さを誇っている。だから浅芽さんがお店を辞める事も既に知っていて、それと私が落ち込んでいたことがバイト前の時点で繋がっていたんだろう。


 その証拠に、奥に私たちをお日さまの下で干した布団みたいな暖かい目で見守っている菜摘さんがいる。


 数秒あとに、菜摘さんが何かに気づいたように口を開く。


「そういえば、蕾ちゃんはまだ帰らなくていいの?」


 蕾ちゃんは菜摘さんの言葉に反応して時計を見ると、さっきのようにまん丸に目を見開いた。


「もう八時ですね! 帰らなきゃ、お母さんたちが心配しちゃいます」

「お、帰るのか。今日は手伝ってくれてありがとう」

「私からも、どうもありがとう」


 蕾ちゃんは二人の言葉に大きく頷いたあと、急いで準備室に戻った。数十秒後、帰り支度を済ませた彼女が厨房のドアから顔を出す。


「美味しいケーキをありがとうございました。それと小春ちゃん、応援してます!」


 ドアを開けて走り去る微かな足音が聞こえなくなるまで彼女を見送り、私はホイップクリームの準備に入った。



  ❖  ❖  ❖  ❖  ❖  



「できたー!」


 たった今完成した薄いピンク色のクリームに包まれた苺のケーキを前に、小春が歓喜の声を上げる。苺の隣にはひらひらとした赤いカーネーションの花弁がさりげなく、優しく寄り添っていた。


「お疲れ様。ラッピングは私がやっておくから、小春ちゃんはもう帰りなさいね。せっかくのチャンスでしょう。とびきり可愛く仕上げてあげる」

「洗い物もほとんど小春ちゃんがやってくれたからな。これくらいならやっておくよ」


 二人の暖かい声が、小春を労う。時計はもう二十時半を指していた。


「明日までここで冷やしといてあげるから、取りに来て」

「すみません。何から何まで、本当にありがとうございます」


 椋太郎と夏海に向かって深く頭を下げた小春は、何回も振り返って二人に小さく礼をしながら荷物をまとめに準備室へと入っていった。ドアが閉まるのを見届けてから、菜摘はひとり言をつぶやく。


「……何年前の事なんだろうね、あんたが告白と一緒にケーキ渡してきたのは」


――この店も、あんたも、働いてくれる子達も、全部私の大切なものだよ。


 小さい小さいひとり言は、椋太郎が器具を洗うがちゃがちゃという音でかき消されてしまう。菜摘がぼんやりと夫の後ろ姿を眺めていると、意識をこちらへ引き戻すようちドアの開く音が鳴った。


「おふたりとも、本当にありがとうございました! すごくお世話になってしまったので、今度何かお礼をさせてください」

「いいのよ、ねえ椋太郎さん?」

「そうだな。また元気でいてくれればそれで良いよ」


 嬉しそうににこりと笑う小春を見て、菜摘の心にひとつの言葉が浮かんだ。


 "この店はきっと無数の純粋な愛でできている。"

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想いをブーケに包んだら (有)あずき書店 @alumicanue

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