きっかけのケーキ
町の入口の花屋さんから歩いて二分くらいのところに、私がバイトしている洋菓子屋さんがあります。
私はこの『
初めて食べたここのケーキは苺のレアチーズタルトでした。生地が新雪みたいにさくさくして、ほんのりピンク色のレアチーズのところも苺の香りがして……それと、ひと切れにおっきな苺がみっつ分も乗ってたんです!
私、もう本当に感動しちゃって。高校生になってすぐバイトの面接に行ったんです。それで無事合格して、今は店主の
お店の人はみんな優しいんです。椋太郎さんは無口だけどケーキに対する本気の気持ちが伝わってくるし、菜摘さんはちょっと厳しいけど仕事を分かりやすく教えてくれます。バイトの先輩たちも、みんなとっても仲が良いです。
その中でも一番好きな人は小春ちゃんです。
今日の夕方からのバイトは私と小春ちゃん。一週間ぶりくらいに会えるから、楽しみにしてたんです。
「こんばんはー」
「あ、蕾ちゃん、こんばんは」
いつも通り、開始時間の十五分前にお店に到着。お店側から菜摘さんの声が飛んできました。菜摘さんが私の名前を呼ぶ声を聞くと、お仕事が始まるなって感じがして、好きです。
高めのポニーテールに着けた桃色のシュシュを外し、いろいろ身支度をしていると始まる十分前。いつもなら小春ちゃんはもう来てるはずなのに、まだなんて珍しいなぁ。
「こんばんは」
「小春ちゃん、こんばんは!」
かちゃり、と裏口のドアが開き、聞きなれた声が聞こえて、私は振り向きました。噂をすれば、やっぱり小春ちゃんです。私は嬉しくて小春ちゃんが挨拶を言い終わるか終わらないか分からないくらいで返してしまいました。
小春ちゃんが持っているお花、今店主の椋太郎さんが試作している苺のケーキたちにとっても似合いそうです。
「ねえ、蕾ちゃん」
あれ、なんとなくいつもより元気がない感じがします。大学のことで何かあったのかな、と私は考えました。
「どうしたんですか?」
「あのね……」
ためらいながら小春ちゃんが口を開きます。
「浅芽さんがお花屋さん辞めちゃうんだって」
「えぇ! なんでですか!」
浅芽さんは小春ちゃんがお花を買ってくるお店の店員さんのこと。私は冬頃に小春ちゃんがこの人を好きだって聞いてからずっと応援してたんです。
それが、一年くらいずっと好きだった人に会えなくなっちゃうかもしれないなんて! 私はびっくりして、大きい声を出してしまいました。それとほぼ同時に準備室のお店側のドアが開く音がします。
「ほら、二人ともそろそろ時間よ!」
「はーい! 今行きます!」
詳しく聞こうとしたら、菜摘さんが声をかけに来てくれました。すっごく気になるけど、聞くのはお仕事の後にします。
「小春ちゃん、お花ありがとう。……今回はブーケ?」
「はい、店員さんがサービスしてくれたんです」
「そうなの。早速飾ってくるわね」
あんなに綺麗なのに、お花好きの小春ちゃんを元気にできないなんて。
「小春ちゃん、あとで詳しく聞かせてください!」
「うん」
いつもにこにこな小春ちゃんが神妙な顔つきをしているのを何度も思い出しながら、私はなんとか掃除や陳列をやり遂げました。
午後六時半。仕事が終わり、小春ちゃんと私のトークタイムが始まりました。
「そうだったんですね」
これまでを話し終わって項垂れている小春ちゃんに何を言ったら一番いいのか、分かりません。地球儀が回るみたいに頭の中がぐるぐるしている感じがします。ここは大好きな先輩の為に地球で一番素敵なところを指してみせたいと思うけれど、いいアイデアが全然思い浮かびません。
うーん、と文字通り頭を抱えていると、菜摘さんがドアから顔を出し、声をかけてきました。
「二人とも、もう帰る?」
「いえ、小春ちゃんとちょっとお話してから帰ります! あっ」
椋太郎さんと菜摘さんは、バイト後の学生によくこの準備室を貸してくれます。でも今日は何か二人の用事があるのかな、と気づき荷物をまとめようと立ち上がりました。隣で小春ちゃんもそうします。
「いや、まだ居ていいよ!」
菜摘さんは慌てた様子で言葉を付け足します。
「良かったらなんだけど、ケーキの試作手伝ってくれない?」
❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖
「えぇ! すっごい!」
椋太郎の作ったケーキたちを前にし、蕾が歓声を上げる。
「ショートケーキに、ミルフィーユに、ミルクレープ……あぁ! これ私が大好きなレアチーズ!」
「蕾ちゃんは本当に好きだねぇ、それ」
蕾のあまりのはしゃぎように、菜摘が半分呆れたように言う。椋太郎も優しい眼差しで見守っている。
「はい! このケーキを食べて面接に来たんですから。去年は大体五回くらい買いに来ましたね」
「そうか、ありがとう。今年は苺を増やして、飾りの花も乗せたんだ。これの感想を二人にも聞きたくてな」
椋太郎も会話に加わる。葉山洋菓子店のケーキは、全て椋太郎と菜摘の手作りだで、レシピ考案は椋太郎の仕事だ。ひとつひとつ心を込めて作る彼のケーキは、店員からも客からも愛されている。
蕾が大好きな苺のレアチーズタルトは、たくさんの苺の上に白いひらひらとしたエディブルフラワーが飾られていた。
「えぇ、いいんですか?!」
「美味しそう。ありがとうございます」
小春と蕾は揃って"いただきます"を言い、ケーキを食べ始める。
「やばい、美味しすぎます! 去年より断然レベルアップしてますよこれ!」
「上品な甘さでとっても美味しいです。お花が乗っていてかわいいし……」
小春は静かに、蕾は元気を振りまきながら、それぞれ甘い幸せにとぷりと浸る。
「んふふ、ごちそうさまでした! 文句無しですよ、今年のも大好きです」
最後の一口を食べ終わり、蕾はご満悦といった表情だ。
「ご馳走様でした。私も、とっても美味しかったです」
小春はそう言った後何かを思いついたようで、椋太郎と菜摘の方にがばっと体を向ける。
「椋太郎さん、菜摘さん!」
「なんだ?」
「どうしたの?」
「ひとつ、お願いがあるんです」
小春は必死の表情だった。対して椋太郎と菜摘はなんの事か分からず首を傾げている。
「私のす……大切な人が明日で会えなくなってしまうんです。それで何かしたいと思って。あの、今椋太郎さんのお花が乗ったケーキを見て、これをプレゼントしたら喜んでくれるんじゃないか、って」
小春は言い終わってからあまりの計画性の無さに気づき、俯いて両手でぎゅっとスカートを握った。
椋太郎は未だ困惑した表情をしているが、菜摘の方はにやにやと笑みを浮かべている。
「椋太郎さん、もちろん良いわよね?」
「……ああ、いつも頑張ってくれているからな」
小春の顔がみるみる晴れていき、雲ひとつ無くなる。蕾もつられて口角がきゅっと上がった。
「ほんとですか! ありがとうございます」
このケーキをプレゼントしたら喜んでくれるかも、と期待を膨らませる小春に、意外な言葉が帰ってくる。
「じゃあ、作るか」
「え?」
椋太郎の突拍子もない発言に、三人の声が重なる。
「作るの? 今から?」
菜摘は時計を二度見する。
「作った方が気持ちが篭もるだろう。俺は納得いく物しか出さないからな、覚悟しておけよ」
「はい! ありがとうございます!」
小春は驚きと喜びの混ざった表情で、そう返した。
蕾はそんな彼女を見て、ほくほくとした気持ちになった。
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