骸なき子供たちに愛をこめて

であであ

骸なき子供たちに愛をこめて


 そよ風にゆれる草木の音が聞こえる。川のせせらぎが、小鳥たちのさえずりが聞こえる。辺りは草木で生い茂っているが、無数の木漏れ日のおかげで不気味な印象は感じない。むしろ、辺りは不思議とキラキラと輝いており、誰が見ても美しいとしか言いようのないその光景に、一人の少女は歩きながらも目を奪われていた。


「誰かー?いませんかー?」


 黄色い声を上げる少女だが、それに応答するものはなく、反響した自分の声がまた耳に届くだけ。少女がこの森に迷い込んでからどのくらい経っただろう。出口を求めてしばらく歩き続けてきたが、これまで動物はもちろん、人の影さえ見ることはなかった。自分の置かれている状況が理解できず、段々と少女の心に不安が芽生えて行く。今まで歩いてきた疲労と心細さから込み上げる涙を必死に堪えようと俯いた少女、その視線の先を一点の光が飛び去って行くのが見えた。


「ま、待って……!」


 少女はまるで縋るように、光の余韻を追いかけて、さらに奥へ奥へと進んで行くのだった。


 * *


「何これ……、おっきい……」


 一点の光は、まるで少女を誘うように、森の最奥へと飛んでいった。辿り着いたそこは、いくつもの木漏れ日など比べものにならないほど、光に満ち溢れていた。数多の光が、まるで少女の最奥への到達を祝福するかのように瞬きフワフワと浮遊している。少女を最奥へと誘った一点の光もまた、それらに溶け込んで行く。そして、軽く息を切らした少女が見上げた先、少女は愚か、どんな大人とも比べることが出来ないほど巨大な石像が、少女を見下ろしているのだった。


「ようこそ、聖域の最奥へ。大川茜さん……」


「どうして私の名前知ってるの?あなたは誰?」


 至る所にひび割れが、足元は苔で覆われたその石像はとても美しいものとは言えない。静かな森の最奥に響く、温かく優しい女性の声は目の前の石像から発せられたものだ。少女、茜は一瞬目を見開いたが、すぐに首をかしげて問を投げかける。


「私は、この聖域を守護する女神。大川茜さん……、どうやらあなたも、私のかわいい子供のようですね」


「ううん、違うよ。私はママの子供だから、女神さまの子供じゃないよ」


「うふふ、そうですね。ですが実際、あなたはこの聖域に迷い込んでしまったようです」


「せーいき?何それ?」


 茜の歳では、まだ知っている言葉の方が少ない。故に“聖域”などという今まで一度も耳にしたことのない音に、彼女は小首をかしげて女神像を見上げる。


「ここは、幼くして命を落とした哀れな子供たちの魂が集う場所。私は、その子供たちと一緒に、ここで楽しく暮らしているのです」


「死んじゃった子たちが、みんなここにいるの?」


「えぇ。彼らの魂は妖精となり、この聖域で永遠の安らぎを得ることが出来るのです」


「え、妖精さんがいるの!?どこどこ!?」


「あなたは先ほど、彼に誘われてここに辿り着いたのですよ」


 “妖精”という言葉は知っている。夜寝る前、母親に読み聞かせてもらった絵本の中に、同じ音の言葉があったのを茜は思い出した。はしゃぐ茜の視線の先、キラキラと浮遊する一点の光たち、それらはすべて妖精、子供たちの魂だったものである。茜が最奥に辿り着く前、彼女をここへ誘った一点の光もまた妖精である。今は、他の光たちに紛れてしまい、どれがそうであったのか判別することは出来ないが。


「っていうことは、私も死んじゃったってこと……?」


 唐突に、茜の表情に影が落ちる。ここが、死んだ子供たちの魂を妖精として安置するための場所であるならば、この聖域に迷い込んでしまった茜もまた、同じく死者なのではないか。そのことに気づいた茜が眉を歪ませる。


「えぇ、そのはずなのですが……。一つ、不思議なことがあるのです」


「不思議なこと?」


「この聖域には、魂だけが訪れるはずなのですが……、大川茜さん、あなたは魂を肉体に宿したままこの聖域に現れました」


「どういうこと?」


「あなたはあなたの姿のまま、この聖域に訪れたのです。ほら、あなたと周りの妖精さんたちとでは、姿形が全く同じではないでしょう?」


 そう言われた茜は、すぐに自分の体と周りを浮遊している光たちとを見比べる。当然、その必要などない程、彼らと茜の容姿は明らかに異なっている。妖精たちに、茜のような幼い顔も小さな体も手も足もないし、茜の体は妖精たちのように光っていなければ、空中をフワフワと漂うことも出来ない。故に、茜が妖精にならず、肉体のままこの聖域に足を踏み入れたとこに、女神像も納得の行かない様子であった。そして、一つの仮説に辿り着いた女神像が、聖域の沈黙を破った。


「もしかしたらあなたは、まだ完全な死を迎えていないのかもしれませんね」


「私、まだ死んでないの……?」


「えぇ、限りなく死に近い状態ではありますが……。昏睡状態か何かでしょうか」


「こんすいじょうたい?」


「あなたの魂は、まだあなたの肉体から解き放たれていないのです。故に、今こうして私とお話ししている茜さんは、現実の茜さんではない。意識だけが、この聖域に迷い込んでしまったのでしょう」


「なんだか、よく分からない」


 幼い少女には到底理解できない話であろう。だからと言って、彼女にも伝わるようにかみ砕いて、分かりやすい言葉を使って説明できるほど、単純な現象でもない。理解できない言葉の羅列に飽きたのか、今まで女神像を見上げていた茜はそっぽを向き、いじけた様に片足をブンブンと前後に振り始めた。


「早くお家に帰らないと、ママが心配しちゃ〜う」


「そうですね。こうして私とあなたが相対したのも、何か理由があるのでしょう」


「どうして私は、ここに来ちゃったかの?」


「明確な理由は分かりませんが、あなたはまだ助かるかもしれない」


「ほんと?」


「まだ亡くなっていないのであれば、あなたをそのようにしてしまった原因を排除すればいいのです」


「どういうこと?」


「時を遡り、あなたが死に近づくことになってしまった現象を回避すれば、あなたの意識は再びあなたの中に戻るでしょう」


「お家に帰れるってこと?」


「その通りです」


 少し前の過去に戻り、茜を死に至らしめる元凶を回避し、運命を変えるというのが女神像の出した解決策だ。その言葉に希望を見出した茜が「やったー!」と飛び上がり、一切の曇りのない表情で再び女神像を見上げる。


「ですが、運命を変えるには、その元凶を突き止めなければなりません」


「どういうこと?」


「茜さん、ここに来る前のこと……、この聖域に迷い込む前のこと、覚えていませんか?」


 目を覚ました時、茜は既に森の中にいた。木漏れ日は、一体どれくらいの間、地べたに寝そべる少女を照らしていたのだろう。女神像の問いかけに、茜は人差し指をおでこにつけ、いかにも思い出そうとしているポーズをとる。瞬間、少女の脳内に何かが唐突に映し出され、茜はそれを無意識のうちに口にしていた。


「横断歩道……、夏美ちゃん……、ランドセル……」


「思い出しましたか?」


「……おっきな、トラックが迫ってくる」


「なるほど。茜さんは登校中、交通事故に巻き込まれてしまったようですね」


「私、トラックに轢かれたの?」


「恐らく、そのトラックがあなたを死の淵に追いやった元凶ですね」


「ねぇ、夏美ちゃんは?夏美ちゃんはどうなったの!?」


「茜さんは、お友達想いの良い子ですね……。でも、今はあなた自身が助かることを考えましょう。それがきっと、お友達を助けることにも繋がりますよ」


「うん……」


 記憶の片隅に僅かに、でも確かに存在する茜の友人の存在が、彼女の瞳を潤ませる。どう足掻いても、今の友人の存在を確認する術などこの場にはない。最悪の想定が茜の思考を支配するが、彼女は自分がなすべきことを理解している。友人を思い俯いた顔をもう一度上げ、一人呟く。


「私も助かって、夏美ちゃんも助けないと……」


「茜さん、今からあなたの意識を過去へ飛ばします。無事危機を回避すれば、あなたは亡くならずに済みますよ」


「うん、頑張る!」


 拳を握り締め、決意をあらわにする茜。その瞬間、女神像から真っ白な光が眩く溢れ出し、聖域を、森を、妖精たちを、そして茜を包み込んだのだった。


「私は願っていますよ……」


 * *


 眩い白が茜の視界から消えるまで、そう長くはなかった。目を開け、辺りを見渡す。見慣れた道路の薄い白線、ひび割れた塀と、その家は真っ黄色な塗装で、近所でもよく知られている。耳に馴染んだ学童擁護員のおはよう、という挨拶。それに対して挨拶を返す同い年の子たちの元気な声。肩にかかる重みは、教科書を沢山入れたランドセルを背負っている証だ。いくつもの見慣れた光景が目に入り、安堵と同時に本当に過去に戻ってきたことを認識する茜。


「あのトラックだ……」


 遠目に見えるのは、一台の白い大型トラック。茜を死の淵に追いやった元凶だ。今しがた交差点を曲がり、こちらに直進してきた。しかし、茜は冷静だった。何故なら、これから何が起きるのか、既に知っているから。歩行者信号が青になる前に、あのトラックは茜の前を通り過ぎる。ならばしっかりと信号を守り、渡るときは右左をよく確認すれば、それだけで彼女は死の運命を回避することが出来る。大事を取って、何度か青信号を見送ってもいいかもしれない。


「よし……、トラック通り過ぎる……」


 トラックに最大限の注意を注ぐ。間もなくトラックは、横断歩道の白線に重なろうとしている。もう少しで、無事に死の運命を変えることが出来る。その瞬間を見逃すまいと、集中をトラックのみに向ける。

 ただ、あまりに集中してトラックを見つめるものだから、背後からランドセルを勢いよく押されて、認識範囲外からの影響に咄嗟に反応出来なかった。反応出来ずに大きくよろめいて、まだ赤信号の横断歩道に飛び出してしまったから、きっと信号無視をした悪い子、というレッテルを張られてしまうだろう。

 トラックは、白線より先に茜と重なった。鈍い音が響き渡る。人は車に轢かれて跳ね飛ばされている時、視界がスローモーションに見えるらしい。茜にも同じことが起きていたから、さっき彼女が立っていたすぐ後ろで、真顔で両手を突き出している一人の女の子の姿がはっきりと見えた。


「夏美ちゃん……」


 * *


 私は、願っていましたよ……、あなたがもう一度、この聖域に戻ってきてくれることを。あなたがこの聖域に足を踏み入れたその時から、聖域はあなたの魂と強く結びつきました。あなたがどう足掻いても、もう死の運命は変えられないのです……。でも、あなたは何も不幸ではありません……、むしろ幸福なのです。だって、みんなここにいるのだから。不完全な記憶で、誠の死の元凶を見落としていたことに感謝しなくてはいけませんね。改めてようこそ、骸なき子供たちの楽園へ。さぁ、私たちと、ここで、穏やかなる永遠の時を過ごしましょう。

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